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セカンドパラダイムシフト(3)

 一日三度のアップはこれっきりにしたいww

 記事の雛形は随分前に作ってあったんですけどね、
 さすがにこんな話題&分量を読むに堪える(堪えるのコレ?)ようにまとめて清書するのはちと一仕事だわぁ( ̄∀ ̄;)

 とまあ、それはともかく。

 前回前々回と物語的なスタイルで電波なこと書き連ねてきましたが、
 実はこんな物語なんて存在しません。(ぇー


 いや、真っ赤な嘘をついているというわけではなく。

 物語として語る「過去」が「『今この瞬間』であった時」は存在したけれど、
 それが過去となった今、その物語は記憶という非実在の中にしか見て取れない、ということ。


 たとえば実際のところ、
 前回は川´ー`)が守護霊ではないと知ってすぐに、川´ー`)の姿をイメージしたみたいな描写になってますけど、本当はその間に随分と(一ヶ月くらいかな?)間があって。

 当初は、(今思えば雲さんみたいなスタイルに憧れて)どんな姿か見せてくれない?って聞いてみても、

川´ー`)「その必要は無い。例えばあの世に聞いたこの世の仕組みでは、ブログという可視性のコンテンツに影響する上でも都合が良いゆえに、視覚化できるイメージがもたらされたのじゃ。現段階におけるおぬしにはまだ早い。イメージを産めるほど接続は安定しておらんし、また安定しておっても現状その必要も無い」

 って突っぱねられたんですよ。
 萌え系巫女さん(笑)の映像が出てきたのは、それから少々月日が経った後の話で。


 要は、今思い出し書き起こしているこの物語は、過去を実在化するものではなく、

 「単に『今この瞬間』に思い出している記憶情報をベースとして、
  更にある程度記事として読みやすいよう編集を加えたもの」

 にすぎません。


 だから、長々と目を通して頂いておきながらこう言うのも心底申し訳ないんですが、
 こんな物語を見ても実は大した、どころか本質的には全く意味なんてないんです。ぶっちゃけ。


 重要なのは、今この瞬間あなたが何を思い、何を感じているか。
 それこそがあなたのリアルであり、あなたの作っているリアルである、ということ。

 リアルは外側ではなく内側に、過去でも未来でもなく今この瞬間にあるということ。


 全ての存在は、人格も、状況も、あなたも、わたしも、
 常に一瞬一瞬、新しく生まれ変わり続けているんです。
 一瞬過去の自分がこうだったから、一瞬後である今この瞬間の自分もこうあらねばならない、なんてことはないんです。

 諸行無常すなわち変化という連続性はあっても、それは決して、
「(過ぎ去り、すでにそうである)過去が今この瞬間の自分までも固定する」
 というものではないんです。


 今この瞬間を感じ続けるということは、
 その一瞬の連続性の中にある、無量大数すら超える量の無限微細な刹那の数々を全て、感覚という意識のマウスポインタに捉え続ける、
 という感じで喩えられることでもあるんです。分かりにくい比喩ですみませんが。
 いずれにせよ到底、思考や理屈というものの処理能力で捌ききれる領域ではありません。感覚で捉えるしかないんです。

 その要諦だけ、わかるならわかるなりに、わからないならわからないなりに踏まえておいてもらえれば、と思います。


 続き


 で、

 またもぶっちゃけた話、
 宇意さん川´ー`)は直接対話する中で、「真理」や真理めいたものをほとんど語ったりはしてくれません。

 たとえばユウさんが接続する方々とは違い、何らかの筋道立った啓示を示してくれることは滅多にないように思います。

「最初」こそ、整然とたとえ話を用いて「自分が宇宙である」ことを理解させてくれたんですが、
 それ以外は、「真理」を語るにしても理屈や論理や現在の人類における常識から飛躍した「根っ子」だけをポーンと投げつけてくる格好。

 それをこの世の人間社会という固定観念の塊にどう適合させていくかについては、自分で探れ、と千尋の谷方式で。
 せいぜい、それらを導き出すための「機会」や「ヒント」、「検証材料」を提供してくれるだけ。

 答えを訊ねても、
川´ー`)「それは自分で考えい」
 と、つっけんどん気味に突き放されることもしばしば。
 まあそれは、本当に何かを学ばせたいためであったり、考えさせることによって思考能力を疲れさせ、ふっと力の抜けた瞬間にインスピレーションを流し込むためであったりと、何らかの愛ある意図によるものなんですが。

 あとは、自分がどうしても選択に迷ったとき、その背中を押してくれるか、あるいは引き止めてくれるか。
 あるいは、対話の中で「自分でも気付かない自分自身」をさらっと表現してくれる、そのくらいです。

 場合によっては「自分で認めたくなくて見ないふりをしていた自分自身」を半ば無理矢理に認識するよう仕向けてくることもありました。


 いわく、

川´ー`)「おぬしが求めておるのは、真理は真理でも、普遍的全体的な真理ではない。おぬし自身の人生を十全に生きるための真理じゃ。自己中心的なのじゃよ。
 じゃが、実は自己中心的以外の生き方などありはせん。エイブラハムの奴らも言うておるじゃろう。あれはまさにその通りじゃ。
 ゆえに、世界愛とでも呼べるものに基づく普遍的全体的な真理と、対して本来的な意味での自己愛に基づく自己中心的個人的真理とは、本来区別できる別個のものではない。
 要するにおぬしは、おぬしの人生を十全に生きることによって、おぬしが『真理』などと標榜して探求し、切望するものを知る、そのような道筋を選んでおるだけじゃ。もっとも、本質的にはその点誰しも同じなのじゃがな」

「奴ら」って……ヲイヲイ。(;-д-)ヾ




 何にせよ、一つだけ確実に言えるのは、

川´ー`)との対話を始めて以降、爆発的にシンクロニティが増えた」

 ということ。


 何の脈絡もなくふと浮かんだたった一つのキーワードが、直後読んだ複数の本の中で立て続けに出てくるようなことも多々発生したり。

 本に限らず、皆さんのブログなどもちろん、スパムメールのタイトルから駅のホームで流れるアナウンスまで、その連なりは本当に多岐多種多様にわたり拡がるほど。

 そんな情報的なものに限らず、たとえば、
「あー、今ちょっとマジで●●(お金でも物資でも)が必要だなぁ……」
 という状況になったとき、誰か、あるいはどこかからタイムリーにそれがもたらされた、なんてのも一度や二度ではなく。

 そうこうしている内に、徐々に蓄積された経験が実感に、そして実感が確信に変わっていくんですね。


 この世界のありとあらゆる現象事象には必ず、実は何らかのメッセージが含まれているんだ、と。


 これまでも、これからも、それは純然な事実として変わることはなく、
 唯一の違いは、ただそれに気付くか気付かないか、という、たったそれだけ。


 意味としては些細なことだったり重要なことだったりと様々ですが、
 川´ー`)視点からすれば些細とか重要とかって価値比較なんて一切なく、

「ただ、メッセージ」
 それだけです。




 そうすると、そうまでして伝えたいことがあるんなら、そんな回りくどいことしなくても、川´ー`)みたいな存在がいるなら全人類総チャネリングでぱぱーっと伝達しちまえばいいじゃん、って。
 なんで世界はそういうふうになってないの?って。


 なぜかって言うとそれは、気付いてみれば簡単なことで。

 実は、川´ー`)のような「あの世的存在」が、「この世的存在」であるわたしたちに何かを伝えたい場合、
 直接的な対話をセッティングするよりも、実在のありとあらゆる『経験』によって、まず優先的にメッセージを送ってくるのは、


 それが本来最も効率的・効果的なコミュニケーション方法だからです。


 逆に、チャネリングなども含まれる直接的な言葉や対話は、実は一番非効率的な手段なんです。


 更に言えば、まずは五感に受ける全てこそがもれなく完全に、メッセージであり、同時に真理や智慧そのものによって成り立っている。
 だから、既に完全に発信しているものを、わざわざチャネリングなどという(向こうからすれば)回りくどい上に「翻訳ミス」で内容も歪曲しやすい方法を使う意義は本来、とても薄いんです。

 でもそれなのに、自分も含めてほとんど誰しもが、そんな「メッセージ」を、そうとして受け取れないように歪め続けてきた「色眼鏡」「固定観念」を、意識や思考にこびりつかせてしまっている。
 同時にそのことが、人は誰しも持っているはずの「チャネリング能力なるもの」を有意義に使えなくしている理由でもあるわけで。


 だってそうでしょ。
 たとえば「言葉」ってものは通常、思考と論理によって成り立つ、いわば極めて自我的な用法の上に効力を発揮するツールでもあります(例外と呼べるのは詩・ポエムくらい)。
 そんな言葉を用いた会話というのは、思念情報をエンコードして発生し、更に相手はそれをデコードすることでようやく伝達が終わるという構造。
 このコーデックが、送信側と受信側で同一であることなんて稀です。

 人間同士の会話でも、
 ある絵画を見た人が「美しい」と口にして表現した時の感情と、
 それを聞いて「そうだね、美しいね」と答えた人の感情と、
 同じ「美しい」であっても完全に同じだとはいえない、例をあげればそういうわけです。


 これが「あの世的存在」との会話の場合は、
「思念でのやりとりなんだからそのあたりの齟齬が生じにくいんじゃないか」
 と一見思えますがそうでもなく。

 こっちが向こうの「思念」をそのまま理解できるのは、あくまで自己の「潜在的な領域」においてなんです。普通は。
「顕在的な領域」、言い換えれば「自我」や「顕在意識」のレベルで噛み砕こうと思うと、どうしても「言葉」との間の、コーデックを駆使した翻訳が必要。
 さらにその返信となる反問も、「理知的に」発信するためには、やはり自分の「思念」さえも自己翻訳しなければならない。
 結局、送信と受信、二つ共の段階で翻訳という作業を挟まないと、少なくともこうして文章に書き起こせるような対話になんてとても整わないんですね。
 
 まあ、それはつまり同時に、
「『思念』は『言語』へと翻訳を噛まさない限り、感覚的ではない面にも『腑に落ちる』ところまで深化するのは難しいのじゃ」
 ということでもあるので、ある程度はもちろん致し方ないんですが。川´ー`)いわく。

 だから、「あっちの世界」の存在さん達は、極力直接的な言葉、というか、
「受け取る側が個人的な観念の元に有する『言語』」などによる「概念の固定」を用いて語ろうとはしません。



 だけど、それは裏を返せば、
「チャネリングという方法が有効であるなら、それを用いてコンタクトを取ることを、あちらの存在は躊躇しない」
 ということでもあります。




 とにかく大事なのは、
「(チャネリングも含めて)形式的な『対話』に固執してしまわない」こと。

 あちらさんは、『常に』『ありとあらゆる形で』語りかけ続けてくれているんです。


 川´ー`)が巫女な姿なのだって、
「わたしにとっては」そういう姿をイメージさせた方が川´ー`)にとって都合がいい、というだけのことで。

 方法も、イメージも、全部学びのための一方便にすぎない、ということ。

(「学び」といっても、少なくともたわしのケースにおいては、です。そこんとこ誤解なきよう。
 人によっては、「遊び」とか「使命」とか「幸せ」だとか、いろんな言葉が当てはまるかと。根本的には全部同じな気もしますけど。)




 少し話は逸れますが、以前、こんなやりとりをしたことがありました。

川´ー`)「いずれは、わしという存在へのおぬしの感応は徐々に薄くなってゆくじゃろうな」

 へ? それって、まさかこうやって宇意さんと対話する能力を失うってこと?

川´ー`)「そうではない。おぬしらがチャネリングと呼ぶ、現在のこの意思疎通形態を必要としなくなる、というだけじゃ。
 そもそもこの姿は、ただの方便じゃろう?
 おぬしが、この姿のわしを介さず、おぬしの経験全般からわしの『声』を、これまでより鋭敏に聞き取れるようになれば、この姿のわしは必要ではない。
 そもそも、おぬしはいわゆるチャネラーとしての活動など意図しておらんじゃろう?」

 うん、まあ、確かに。
 戯れに宇意さん以外の『存在』に繋がってみたこともあるし、宇意さん以外にも名前つけて呼んでる『存在』もいるにはいるけど、
 正直、万年素人さんとかユウさんとかみたいに自由自在ってレベルの足元にも及ばないし、及ぶ必要性も感じてないもん。

川´ー`)「知っておる。もちろん、おぬしが望めばこの姿のわしといつでも対話できる。わしも必要がある場合にはこの姿で語りかけもしよう。
 じゃが、『人』としてのおぬし自身の意識が、より「あるがまま」や「真・善・美」への更なる高次な感性を育めば、ありとあらゆるその世の現象がわしら「あの世」の存在のメッセージであると、今以上に深くわかるじゃろう。
 そして、おぬし本来の意図は、そのようになることを望んでおる。
 思い返してみよ。わしとこうして対話するようになる以前、おぬしが様々な「教え」によって培わされてきた数々は、そのような「偏在するメッセージ」を認識するための下地作りとも解釈できぬか?」

 あっ……。

川´ー`)「そうじゃ。ならばわしとこうして対話するのも、その延長線と取れよう。
 よいか。チャネリングにはその先があるのじゃ。
 この『形式』は、おぬしにとってあくまで、変化の一過程にすぎん。
 全てが真なるおぬしの意志であると同時に、またわしらの意思でもあることを識り、そしてゆくゆくはわしらそのものへと同化していく、その流れじゃ」

 え? 同化って、でもそもそも宇意さんと自分とはひとつなんでしょ?

川´ー`)「言葉のあやじゃ。
 もちろん存在の根本は同一じゃ。しかしえてして、人の意識は存在から分離しておる。それはおぬしも蚊帳の外ではない。
 その次元での同化じゃ。それは、その世における『死』を介すれば自然的に訪れる。
 が、それを待たずとも、意識の変革次第でその世に在りながら、死を介さずに同化することも可能じゃ。
 言うなれば、『生きながらにして死ぬ』『即身成仏』とでもいうものじゃの」

 即身……なんつーか大仰な……( ̄Д ̄;)

川´ー`)「言葉、標語、あるいはレッテルなどというのはそういうものじゃ。
 イメージを固定化し、本質と分離させてしまう作用を持つ。元を正せば人の『固定観念』の為す業じゃがの。
 とにかく、その世に在りながらその世の意識を超越する。それもまた、おぬしという「本質」が意図するところのひとつじゃ」

 ……はぁ、さいですか。
 で、なんのためにたわしはそんなことを意図してるわけ?

川´ー`)「楽しむためじゃよ」




 ……とまあ、そんな経緯を経てから数ヶ月。

 実際、今のたわしの「対話相手としての川´ー`)というパーソナリティ」に対する認識力は、以前より確実に減退してます(ぇー

 でも、そこにあるのは「喪失」に類するものじゃないんですね。

「目は目を見ず」と言いまして、目は目それ自身を見ることができない。

 つまり、一体であればあるほど、一体となることが進行すればするほど、存在は存在自身を認識することが難しくなる。
 どうやら、川´ー`)の示唆したとおり、「一体となる道」の上に舵をとっているみたいです。


 ま、それこそそんな大仰なことではないんですが。


 例えば、宇宙即我と呼べるものを実感したと言っても、常にその状態でいられるほど、現状のたわしは「出来上がって」はいません。
 以前の日記を読んで頂いても一目瞭然な通り、まだ事あるごとにいっぱい迷って忘れて見失って、阿呆なくらいに節操なくいろんな次元のレイヤーを右往左往してます。

 ただ、そういう「世界の根っ子」を知ってしまった以上、
 そこに連なる「この世の自分という枝葉」が風に激しく揺れ動き、表層的な部分で「根っ子」を一時的に忘れてしまっても、
 本質的な存在は大丈夫なんだと、深いところでの把握を消し去ることはできないんです。

 その把握は、常に自分の最も奥深いところで息づき続けています。
 その呼気は、常に自分の最も奥深いところから徐々に拡散します。



 すると、どうなるか。

 結論だけ言うと、日々の中で「『幸せ』を自覚する瞬間の割合」が増えていくんです。



 そして、

 それによって周囲へと「幸せという温かい光」を放射する「光源」へと自分が徐々に変化していく。



 それこそが、川´ー`)をはじめとした見えざる存在たちの、「私」への最重要な意図の一つであり、
 そう変遷するべくして、「私」を導くためにもたらされ続けてきた流れなのだと、今は確信を持って言えます。

 そういう方向に「流されて」、とても自然な形で一体化のプロセスにいさせていただいている。
 終着点にはこの先何年かかるか何十年かかるか、あるいは何回の人生を要するかさえ自分には見通せませんが、
 とにかく、今、そういう状態にあるということ、ただそれだけです。



 セカンドパラダイムシフトによる恩恵の、おそらく最も大きな一つが、この方向性への決定的な転換でした。

 言い換えれば、『自らの存在が幸せそのものだと認識し続けることが、実は最も他者を幸せにする方法である』という、
 それまでにも有していた信念、そのより強固な再形成。



 ただその明確な転換には、トリガーとしてひとつだけ、川´ー`)からの「とある伝達」がありました。
 密かにつけてる日記を読み返すと、去年の11月16日のこと。

 それが今回、各所のブログで見えないリンク・シンクロを感じた理由へと繋がっていくんですが、それはまた次回。

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コメント一覧

うずら 2011年01月26日(Wed)16時55分 編集・削除

こんにちは。ユウさんのところから来ました。

うーん、最後の方いくつか読みましたが面白かったですよ。
長いけど。笑

せらつかーにばる@中の人 2011年01月26日(Wed)21時01分 編集・削除

 いらっしゃいませー オチャドゾー(* ̄∇ ̄)_旦~~

 そうなんです、長いんですw
 でも長いから、昨日まで書くのにかえってダラダラしちゃって、一気に書いたら逆に楽になりました(ぉぃ

 こんな内容ですが、読んでいただいて本当にありがとうございますm( _)m
 

2011年01月27日(Thu)10時45分 編集・削除

実はコメントするとき「長いけど」って書くかどうか迷ったんだけど書いちゃいましたw

長くても表現や内容が面白いから結構ラクに読めますよ^^
あ、お茶どーもです。~~且_(・∇・*)

あまがっぱ 2011年01月27日(Thu)16時45分 編集・削除

誠実な文でうれしいな。

せらつかきくけこ@中の人 2011年01月27日(Thu)19時30分 編集・削除

>結構ラクに読めますよ^^
>誠実な文でうれしいな。

 揃ってそんな風に言って頂けると、ありがたくて泣けてきます(つд`)
 ものを書く自信をありがとうございますm(_ _)m

 あ、ちなみにお茶はホットヘルシア緑茶で(ぇー