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うたいしこと。(62) :第4章-20

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■第4章:最後のありがとう ―― 第20話



 突拍子もない、しかもひどく根源的で抽象的な質問。拓実達は当惑した。
 あずさの口振りでは、まるで心も体も自分ではないと言っているように思えて、二人には答えはおろか質問の意図さえもまるで見当がつかない。雲をつかむような気分だった。

 しかし、後輩達の反応すら初めから解っていたのだろう。
 あずさは微かにふっと笑みを浮かべた。そしてゆっくりと拓実達へ向き直ると、

「それを端的に表した単語がある。魂だ」

 きょとんとした顔で同じく振り向いた二人へ、何のてらいもなくそう言った。

「たましい……? でも、そんなの……」

「私を人間としてこの世に生かしてくれているのは、確かにこの心と体だ。だが、それではなぜ私は人間としてこの世に生まれ落ちたのか。人間以前、私という存在の根源、突き詰めれば私自身とは一体何なのか。それを考える時、どうしてもこの魂という概念を避け得ないのだ」

 呆気にとられつつ口を挟んだ拓実に、しかしあずさは揺らぎの一切ない調子で語り続ける。

「人間は皆、何らかの意図の働きで、何らかの意図を秘めてこの世に産まれてくる。しかし両輪があっても、運転手がいなければ車は目的地へなど行けない。動けないか、迷走するだけだ。その運転手こそが我々の正体であり、精神と肉体を統べる……魂と呼ばれるものなのだ」

 表面上静かな彼女の言葉には、確固たる信念、確信に満ち満ちた、不思議な迫力があった。

「もちろん目には見えない。どこにあるのかもわからない。あるいは目にも見えているし、どこにでもあるものかもしれない。だがいずれにせよ、心と身体を行使し人間として生きる我々がいる以上、それは紛れもなく存在している。宗教がどうの科学がどうのなどという話ではない。ただ少なくとも私はそれを、ただの事実として受け取っている」

 唐突に始まった講義に、高遠も微妙に驚きを浮かべていた。
 何よりその賛否是非はどうあれ、歳若くしてこれほどまでの死生観を抱くあずさに感服した様子だった。

「つまり魂がこの世で働き、力を及ぼすために不可欠な道具であり、最大の協力者なのだ、人間という心身は。だから私の身も心も、突き詰めれば単に人間としての形骸であって私自身ではない、という解釈もできる」

 一方、拓実はその理屈、概念だけは一応納得できた。
 だが、自分の魂などというものを実感したことはない。
 やはり戸惑いを隠せずにいると、不意にあずさは優しく微笑んだ。

「この、魂が自分の本体であるという考え方にはな、実は大きなメリットがある」

 そして口調も今までより鷹揚に、まるで母が寝際に童話を聞かせるような面持ちで語った。

「体は弾丸やウイルスで傷付き、心は言葉の刃や自分自身の感情で傷付く。だが、魂はそういったものでは傷付かないし、傷付けられない。どんな痛みや感情の波に心身が苛まれようとも、魂という自分そのものは決して揺るがないのだという自覚に繋がる。そうなると、心身の患いに対して過剰に思い悩んで悲観的になり余計に生命力を削るのを、防ぐ事ができる。医学的に言えば免疫力が高まり、結果的に病気や怪我の回復が早くなるのだ」

 それは暗に、今は理解できなくてもいい、というあずさの意思表示。

「『汝自身を知れ』――ギリシャ、アポロン神殿の入口に刻まれている言葉だそうだ。人の心身、いわゆる命とはかけがえのないものだ。それを踏まえた上で我々は、我々の命に支えられた我々自身、自己という存在といつかは……この心身がある内に向き合うべきだと、私は考える」

 あずさの話は途方もなくて、拓実もゆいも、どこか朧な気分にならざるを得なかった。
 ただ、常日頃部長に教えられてきた――理解したものだけを受け入れるのではなく、まず全てを受け入れる――姿勢が、二人に自然と耳を傾けさせていた。

「陣内、神原。君達は輪廻転生というものを信じるか?」

 と、またしてもあずさの突拍子もない問い。



 ...To be Continued...

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