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とてもシンプルな煩悩の消し方。

 例えば、
 仏教でいう「預流果」に至った人からは、「有身見」という「煩悩」が消え去っています。

「有身見」とは、
「自分という、全体から分離し独立した存在が、存在する」
 という固定観念です。

「世界は私に冷たい」「世間は厳しい」「みんな社会のせいだ」
 これら全て、有身見という煩悩に基づく分離感から生まれる『誤認識』です。
 もう少し言葉を柔らかくしても、せいぜい『極度に偏った認識』です。 

 つまり、仏教で言われる「煩悩」のざっくばらんな正体とは、

 「固定観念」や「思い癖」です。

 よって、しばしばいわゆる悟りの境地に至るための道として扱われる、
 「煩悩を無くす」という実践は、
 イコール固定観念や思い癖を手放すこと、ということにもなります。




 今、イメージしてみましょう。
 

 家族に呼ばれて、廊下を普通に歩いているとします。

 「自分の力で自分の足を使って歩いている」

 その時大抵の場合、言葉にしてみれば、おそらく自動的にこう認識していると思います。

 このような自動的な認識、すなわち固定観念こそが、煩悩という名の思い癖です。



 その「家族に呼ばれて廊下を普通に歩く」という行為に必要なものを、可能な限り挙げてみて下さい。


 まず、廊下。
 板、板となってくれた木、木を育んだ山、土、水、光、空気などが必要です。
 廊下だけでなく、柱、壁、土台、屋根、建物、釘、塗料、断熱材、配管、配線、
 それらを組んでくれた大工さん、製材してくれた工員さん、板を運んだドライバーさん、
 また彼らの使う工具、機械、車、またそれらを形作った人々や材料、道路、燃料……

 足がなければ歩けません。
 それ以前に人体全体、血液、内臓、神経、少なからず歩ける形で稼動してくれていなければ歩けません。
 その人体全てを今の形に維持させてくれているのは、まず水と食料。
 水は、雲であったり地下であったり、様々な媒介を経てやってきてくれました。
 食料も、あらゆる天地の恵み、農家・流通の人々の力があって、やっと手元に届きました。
 水を飲むためのコップも、食料を食べるための食器や箸も大抵はあるはずです。
 衣服や布団や家や、他にもいっぱい挙げられます。

 家族がいなければ、生きていてくれなければ、呼ばれることはできません。
 空気がなければ、呼び声も届きません。
 家族を生かしてくれる食料や水やその他諸々は、上で挙げたものと共通します。

 これも忘れてはなりません。
 陸地、重力、そして地球。
 このどれかが欠けても、呼ばれも歩きもできません。

 そしてある意味最も肝要なのが、
「それらの内一つとして、自分の力でゼロから作り出せるものはない」
 という事実。

 こんな風に、挙げると本当に、きりがありません。



「自分の力で、自分の足を使って、歩いている」

 この、「自分がいて、自分の力でやっている」という自動認識、

 すなわち思い癖・固定観念は、

 先ほど挙げた無数の「支えてくれるあらゆる要素」を、

 それらへと繋がる認識を全部、まとめて豪快に覆い隠してしまいます。



 感謝が、思い癖を手放すことに繋がるとされる理由は、ここです。



 おかげさま。

 すべては皆の、おかげさま。



 そうやって感謝の対象を無数に挙げて、無限に拡げていくと、

 ある点で、大小無数の「ループ」「サイクル」ができあがるのに気付くはずです。



 なーんだ、全部、繋がったひとつのものだったんだ、と。



 あるがままに見るというのは、

 そんな「素の事実」を心の底から認め、受け容れる、ということです。

 統合、ワンネス、素粒子など、言葉を変えてもその根底に流れる意味は皆同じです。


 そうして認め、深いレベルで受け容れた時、

 無意識に握り締め続けていた思い癖が、するっと手放されていきます。

 すなわち固定観念が、外れます。


 もちろん、握り締めることがずっと習慣になっていたので、

 最初の内はまたすぐに握ってしまうでしょう。

 そしたらまた、感謝して、するっと放れていくのに任せればいいんです。


 「手放そう」と力を入れるのではなく、

 「あれ、手放しちゃった?」ってくらいに勝手に力が抜けて離れてくれるまで、

 感謝に没頭するのがコツかな?


 繰り返せば、慣れてきます。

 そして、そっちの方がずっと気持ちよく、心身にもとっても良い影響があると、気付けます。


 半信半疑な人は、それが本当かどうか他人に尋ねる前に、やりましょう。

 もちろんやるやらないは自由意志。強制するつもりもありませんしできませんが、

 やった人にしか、絶対にわからないことですから。



 ちょっと最近頭でっかちなエントリが増え出してきたのでその自戒と、
 せっかく「リスタート」したのだからということで、
 とっても原始的で初歩的で、核心的な部分をおさらい。

 ぶっちゃけ、悟りとか覚醒とかワンネスとか気にする必要は全然どこにも一切ないのよ。
 感謝を深め続けていけば、勝手にそこに辿り着いてるから。

 たわしの場合も、最初のきっかけの一つは、
 小林正観さんの「年齢×●万回のありがとうで奇跡が起きる(ただし途中で愚痴文句不平不満悪口泣き言を一切言わない)」だったしw
 実践すれば、奇跡はさておき、感謝習慣が絶対身につくから。


 かるくなろ。

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ちょっとした(という程度ともいえない)ひとりごと。

 唐突ですが。

 たわしがこのブログの更新再開に踏み切ったのが去年末。
 それまで実質2年近い空白があったわけですが、
 ご覧の通り、その空白前後の内容は、大違いです。


 空白前は、愚痴や文句や否定や裁きやストレスや固定観念、
 そして五感以内のものばかりに基づいた表現が多数。
 いわば、表面的・外的・物質的。

 空白後は、それらから多少なりとも解放されてます。
 ご存知の通り、五感以外のものにも興味を向けています。
 いわば、深層的・内的・精神的。


 これだけ異なる内容に変貌するにあたって、
 再開ではなく、全く新しく別のブログを立てるという選択肢もありました。
 でも、そうしませんでした。

 この「変化」と「差異」を、明らかな形で残しておくのもまた一興かもねー、って。
 動機としてはそんな軽いものだったかもしれませんが。
 

 今になって、その奥深くに在った「意図」を、言葉に変換してみたくなりました。



 あくまで現状のたわしの観点から、と前置きした上で、

 結論から言います。


 スピリチュアリティとマテリアリティ。
 霊性と物性。


 この二つ、全く同じものなんですよ。


 別たれた別々のものではないんです。

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どこにもいないけどいる

 この世に「私」はいない。



 この世の全ては、「宇宙の現象」。

 この手の、腕の、足の、心臓の、

 この体くんの刻むあらゆる動作も、宇宙の現象。


 この視覚の、聴覚の、心の、感情の、

 この心くんの感じるあらゆる情報も、宇宙の現象。



 「私」は、ただそれを観察するのみ。

 この世ではない、少なくとも物質ではないどこかから。



 そして、いつだって、

 この世では体くんと心くんが、勝手にお仕事してくれている。



 香ばしい米の香りにホッとしてくれて、

 しっかりと箸と茶碗を持ってくれて、

 美味しく噛み締めた食べ物を消化吸収してくれて、

 肺も心臓も血流も、年がら年中動き続けてくれて。



 ほとんどの人が、体くんや心くんこそが「私」だと思い込んでる。

 けど、本当はそうじゃないことを、「私」は知っている。

 ただ、それを忘れているだけ。



 昔は、体くんや心くんに、ああしろこうしろと命令してばかりいた。

 それどころか、「私」の力で体くんや心くんを完全に動かして、生かして、成り立たせているのだと思い上がっていた。


 だけど、他人が自分の思いどおりに動くことはほとんどないのと同じ。

 「私」ではない体くんや心くんは、必ずしも命令どおりに動いてくれるわけじゃない。


 内臓ひとつ、神経ひとつ、呼吸ひとつ、「私」の力じゃ働かない。

 腕一本、指一本、どんなに命令しても動かないときは動かせない。

 心だって、思考だって、「私」を離れて勝手に暴走するなんてのも珍しくない。


 そんな単純なことも理解せず、「私」は体くんや心くんに罵声を浴びせ、鞭をうち、痛めつけてしまっていた。

 そんなんじゃ、体くんや心くんだって、厭にもなるよね。



 今はもう、ただ見守るだけ、観察するだけの方が多くなった。

 せいぜい、「できればここはこうしてくれたらありがたいな」と、ちょっとだけお願いするくらい。


 ああしろこうしろと、下手に「私」がこと細かく口出しするより、

 体くんと心くんが自主的に動いてくれた方がよほどいい仕事してくれるから。


 ありがとう。ありがとう。



 ……え?

 じゃあ、「私」ってのは一体何だって?



 そんなの説明できるわけないじゃん。

 説明したくないんじゃなくて、説明不能。明示不能。


 だって、知りようがないから。

 「私について」を知ることはできても、「私」を知ることはできなさそうだから。

 この世の理屈で表せる形では、ね。



 でも、そうだねぇ。それでも強いて言えば。


 想像してみて。

 今の自分から視覚を除いて、聴覚を除いて、触覚嗅覚味覚その他全身体感覚を除いて、

 思考を除いて、感情を除いて、信念も衝動も反射も何もかも、完全に除いて除ききって、


 そうして残ったものが、『私』だよ。




<私は、私が何も知らないことを知っている>
   ソクラテス

 個人的に、
「私は、私が『私を』何も知らないことを知っている」
 とした方が、一般的に言われる『無知の知』より根本的な意味に近いと思うんだ。
「私を知る」のと「私について知る」のとは全く違う、ってのを踏まえた上でだけど。

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バカボンのエンディングテーマで

「♪その日は朝から夜だった」

 で始まるあの歌ありますよね。
 曲名もそのまんまですが。

 実は、かの嘉門達夫たんの歌だって今日始めて知ったってのはまあ内緒として(ぇー

 あれ、ほんとすごいなーと最近になってつくづく思うんですわ。


 だって、歌詞の内容が固定観念無視、
 つきぬけてあるがままなんだもんw



 たとえば、いきなりの「♪その日は朝から夜だった」

 たわし普段午前3時か4時には起きて活動開始するんですけど、
 当然空は真っ暗なわけですよ。
 これ、朝なん? 夜なん?

 まさしく朝から夜だった状態なわけで、
 それって要するに、朝も夜も明確に分けられるもんでもなく、

 朝でもあり夜でもある?
 朝でもなく夜でもない?

 まあ、どっちでもいいじゃん。今日も一日はじまるよー!

 って具合でw



 ほかにも、
「♪だけどウグイスパンにはウグイス入ってない」とか。

 これほんと、そのまんまだよねw

 で、これを聞いて「ホントだウグイス入ってねーじゃんべ、けしからん」
 みたいな否定をサッとはさむ人っているんと思うんですよ。

 だけど歌の中じゃ、ウグイスパンにウグイス入ってないのが悪いなんてひとことも言ってないw




 あともう一つ挙げると、
「♪地球の上に朝が来る
  ね・うし・とら・う・ねこ・パンダ・カメレオン」

 いやほら、なんとなく当たり前のように思ってる人がごろごろいますけど、十二支が子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥でなきゃいけない必然性なんて、実はどこにもないんですよw
 12個でなくちゃいけない理由もないしw



 もうね。
 こんなふうに、徹頭徹尾投げっぱなしジャーマンなんです(ぇー


 昔初めて聞いたときは、ただただナンセンスでお笑いなだけの歌かと思ってたですよ? 正直。

 でもこうして今の段階で改めて聞いてみると、いろんなものが見えてくるもんですね。

 こうでなければならない、ああでなければならない、
 そんな観念を握り締めてたなら、こんな曲を産み出す事なんてそもそもできやしないと思いますわほんと。



 まあ、とにかく面白い良い歌ですw
 聞いたことない人はぜひ。
 


 ナスがママならこの世は天国。



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触れ続けてきたもの

 あなたの手を、宙に差し伸べてごらん。

 その手は、何かに触れているかな?



 何も触れていない、そう思うでしょう。

 でも、そんなことはありえないんだよ。



 だってあなたの体、その皮膚の全ては、

 常に必ず、何かに触れ続けているから。



 空気に、水に、服に、タオルに、靴底に、

 一瞬たりとも、何かに触れていない時はないんだ。

 でも、あまりに当たり前すぎて、見落としてきたよね。



 もし気が向いたら、試してごらん。

 これは空気だ、これは水だ、これは服の裏地だ、

 そんな風に「判定」しないで、「判別」しないで、

 「頭」で、「名前」や「言葉」で、「理解」しようとしないで、

 ただ、ただ、「肌」で、「感触」してみてごらん。



 その「名前のない感触」を見つけ出せたとき、

 「名前をつける前の、あるがままの感触」を思い出せたとき、



 それが、本当のリアリティーへの、

 本当のこの世界への、入り口になるんだよ。




 もし、その扉を開けてみたいなら。


 あなたの手を、宙に差し伸べてごらん。

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