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反省だけなら猿でもできるって言うけどかといって猿が反省するかというとそこんとこどうなの

 ちょっとワケあってですね、ここんところ「思考」の稼働率を上げてたんですよ。意図的に。
 そしたらたぶん、「自我」の活発度も増したんでしょうね。
 気付かないうちに「望まない波動」と同化しちゃって、
 知らず知らず「望まない観念」を握っちゃってたんでしょうね。

 ぶっちゃけると。
 今朝上げた前回のエントリ、
 たわしの自身の「望む在り方」に大きく背いちゃってます。

 いくら「全てにYES」とはいっても、だからって無軌道に暴走するのとは意味合いが違う。 
 いやほんと、誰に指摘されたとかじゃないんだけど、正直猛反省中。o(_ _o)

 特に阿部さんのエントリをそのダシに使ったと言っても過言じゃない形にしちゃってるし……あーもう、ごめんなさい。


 でもね おかげさまで、
 「自分は何を望み、何を望まないのか」
 をひとつ改めてハッキリと浮き彫りにしてももらえたんですよ、今回。

 ちょいと今は思考の影響で「いまここ」の感覚にうまく入れてないんで、「あちら側」の声が途切れちゃってるんですが、
 もしかしたら、そんな意図があったのかもしれません。


 ころんでもただではおきない。


 てなわけで、
 不本意な記事ですが自戒のために消さずにそのままにしといて、ちょいと頭冷やしてきまする。ノシ

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あまのじゃっかー

 一昨日のエントリでもおわかりの通り、
 世間様を遠慮なく差し置いていつもの曖昧さでお送りしてますこのブログ。

 なぜそのスタンスなのかは、13日にも触れました

 これはあくえりあんさんが昨日のエントリで語っておられたことと全く共通することです。
 このシンクロは正直嬉しいです。


 が、それだけがたわしの書いたことの全てとは限りませんよーっと。



 そんな、「また違う一面」をすぱぱっと表現していただいたエントリに出会わせていただいたので、今日はそのリンクを列挙っ。



 ・いまここ:徒然なるままに

 ・It’s Party Time!:「不謹慎だ」という風潮に負けず「くだらないこと」を言って笑おう

 ・おちまさとオフィシャルブログ:『不謹慎』とは何か。

 ・アゴラ:不謹慎・自粛ムードに関する反論

 ・アゴラ:東日本大震災で「ユーモア」が許されないこの緊張状態は危険

 ・togetter:震災時にスポーツや娯楽を行うのは不謹慎なのだろうか?

 ・幹事クリタのコーカイブログ;遊び楽しむことは不謹慎ではなく必要なこと

 ・大日本浪漫放浪記:不謹慎や自粛という空気・言説に関して ~東北地方太平洋沖地震後のみんカラを拝見して~ ※地震後覚書含む

 ・明日もやられやく:【アニメ】『イナズマイレブン』『ダンボール戦機』は予定通り放映 「このような状況であるからこそ、少しでも子どもたちの力に」

 ・BIGLOBEニュース:自粛ムードに批判の声 本当に「不謹慎」なのか



 ……スカブラってのは初めて知ったなぁ。


 んなわけで、パン焼きとかの長閑なエントリには、「平常を引き寄せるため」という意図の他に、
 ある種の「アンチテーゼ」的な意味も、別の一面として現状確かに存在します。

 ……まあ、アンチテーゼという捉え方をして(されて)いる時点で、そこは「ソース」とか「統合」とかからズレてるか。
 なので、実際のたわしのスタンスはアンチテーゼとはちとニュアンス違うんですが、面倒なのでこの単語で代用(ぇー


 にしても、テレビもラジオも新聞も見聞きしない、
 さらに実はtwitterもやってないたわしが、
 まるで自動的にこんなふうに動いてるなんてね。

 さすがあまのじゃっかーでんげきたい。(それもズレてます




 あ、予告どーりAA貼っときますね(=・ω・)っ

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 世には、名刀と称される一振りがある。

 それは、抜きん出て鋭い刀のことではない。
 単によく切れるだけの刀のことでは決してない。

 真の名刀とは、
 優れた剣士が手にすれば、切るも切らぬも自由自在。
 切るべきときには切り、切らぬべきときには切らぬよう、
 使い手の意思に沿いその刃を変幻に走らせる。


 一方、ただ切れ味ばかり鋭いだけの、
 切ることしかできない刀は、妖刀と呼ぶ。


 名刀は、平素静かに鞘の中で刃を休ませている。
 有事には抜き振るわれもするが、
 用が済めば自ら鞘に収まることを心得ている。

 しかし、妖刀に鞘は有って無きが如し。
 妖刀は何かを切り傷つけるまでは決して鞘に納まろうとはせず、
 納まったとしても、すぐにまた鞘の外へと抜け出したがる。
 常に血を欲し、常に抜き身でありたがる。


 人は必ず、自分だけの鋭い一振りを携えている。

 まさに唯一無二、使い方一つで護国の宝刀にもなりうる、素晴らしい業物。
 誰しもが、その使い手だ。


 しかし勿体無き哉。
 その殆どは、宝刀たる自覚もなしに、
 ただ無闇に振り回されている。

 いや、そもそも使い手達は、
 それが刀であり、刃であるという認識すらなきまま、
 休むことなく振り回し続けている。



 刀には、重みがある。

 延々振り回し続ければ、どんな剛の者でもいずれ疲れる。
 しかし妖刀はその魔力を以って、
 使い手に振り回すのを止めることを許さない。

 疲れ果てた使い手は、必ずどこかで手元を狂わせる。
 そして必ず、無明の刃で自分や他人を不要に傷つける。


 だから、鞘に入れなければならない。
 妖刀の呪縛から逃れ、鞘に納めることを覚えなければならない。

 妖刀に操られることなく、国士無双の名刀を携え、
 自在の剣を以ってあらゆる強敵にも後れを取らぬ剣豪には、
 鞘なくしては決して成ることはできない。



 刀の名は、思考。
 鞘の名は、瞑想。

 瞑想が、妖刀を生まれ変わらせる。

 瞑想が、名刀を産む。

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雪で融けた

 ただ感じろ。
 感じているものを楽しみ、感じること自体を楽しめ。
 指先に水が触れている事を楽しめ。足が床に触れている事を楽しめ。
 風が頬に当たる事を楽しめ。空気がある事を楽しめ。


 結果を目的とするのではなく、その行為そのものを楽しめ。
 どこかに向うために歩く以前に、歩くこと自体を楽しめ。
 悩むのなら悩むこと自体を楽しめ。あるいは悩みを解消する道筋を探る事を楽しめ。
 思考が止まぬなら思考が止まぬ事を楽しめ。あるいはどのように思考が落ち着いていくのかを楽しめ。

 なんでもいい。
 ただ、今この瞬間を感じ、今この瞬間を楽しめ。


 ……とっくに知っていたはずなのに、なぜか忘れていたそんなこと。
 でも、その「なぜか」の理由は、本当はわかってる。

 それは、「思い出すため」。

 思い出すことで、更に深く刻み込むため。



 この数日間、実は思考の激しい働きが収まらず、
 さらに自分でもどうしたものか、超基本的なことを忘れてそれを押さえつけようとしてしまい、
 当然ながら抑えきれず、瞑想状態に入ろうにも上手くいかないまま、気分的に悶々とする時間が多かった。


 だけど今日。
 歩きながら、ふっと雪がひとひら、目の前に舞い降りた瞬間、
 全身からストンと力が抜けるような感覚と同時に、どうしようもなく微笑みが溢れ出てきた。


 たった一粒、雪が降った。
 それだけが、訳も無く嬉しかった。
 それだけで、凝り固まっていた心が融けていった。

 
 そうして苦しみが晴れた途端、様々な方面、様々な方々から、様々な智慧や示唆やシンクロが怒涛のように流れ込んできた。
 全てが的確に。

 確かに、どこか奥底で気付いてた。
 この苦しみも、ただこの気付きための準備期間に過ぎなかったのだと。

 
 名指しにしていいものか本当は迷いましたが、やっぱり敢えて名指しにすると、
 阿部さんやユウさんやponsunさんにも、今回そんな示唆やシンクロをそれぞれもたらしていただきました。
 この場を借りて御礼申しあげます。ありがとうございます。

 ありがとうございます。



<将(まさ)にこれを歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを張れ。
 将にこれを弱めんと欲すれば、必ず固くこれを強くせよ。>
   老子道徳経より。

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覚悟って「目覚めて悟る」って書くんだよね。

 勇気とは、変化に反抗し押し留めようとする気概ではなく、
 全ては変化し続けるという無常を受け容れる謙虚である。


 立ち向かう心とは、逆風に抵抗し耐え忍ぶ足腰ではなく、
 ただそこに立って流れと誠実に向き合う視線である。

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