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うたいしこと。(34) :第3章-11

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 続き
 

 

■第3章:ちょっとだけファンタジー ―― 第11話
 



 あずさは、その気付きを拓実の表情に察したのだろう。
 今まで以上に優しく、確かな笑みに口元を綻ばせた。

「シェークスピア曰く、『物事には本来、善悪はない。ただ我々の考え方如何で善悪がわかれる』……以前私が、そしてさっき陣内が言ったように、物事には元々幸も不幸もない。プラスでもマイナスでもなく、元々ニュートラル、つまりゼロなのだ。そして、ゼロをプラスにもマイナスにも傾けるのは我々の自由だ。ならば、プラスにしてやるのが人生断然得だろう?」

 そんな春の日差しのようなあずさの瞳に見つめられ、思わず拓実は首を縦に、こくり。

「もし仮にそこまでいかなくても、だ。とにかく、悲しくて気持ちが暗く沈んだ時には、強引にでも明るい言葉や立ち居振る舞いをするといい。そうすれば、本当に心が晴れてくるのだ。嘘だと思うなら機会があったときにやってみたまえ。ただし、中途半端はダメだ。徹底的に、容赦なく、粘り強くやるんだ」

「いわゆる自己暗示みたいなものね」

「うむ。ほのかの言う通り、似たようなものだな。そもそも人の心身には、自ら信じて根気よく言葉を浴びせ続ければその通りになろうとする不思議な習性がある。先程三宅君に話したダイエット法もそれを利用したものだ。口癖が自分を作ると言える。どうだ、単純だろう?」

 ほのかのフォローに頷いて、あずさは再び二人の一年生に微笑みかけた。

「ええ……まあ」

「できるかどうかはちょっとわかんないですけどぅ……」

 同意して、しかし拓実もゆいも少し自信なさげな面持ちで顔を見合わせる。
 自分だけではない。ゆいも自らの胸の内と照らし合わせて、立ち塞がる――自分の心という名の――障害に尻込みしているのだ……と拓実は察していた。

「要は慣れだ。最初は難しくとも、続ければそれが当たり前になる。まあ、肩肘張ることはない。かくいう私とて、完璧にマスターしているわけではないのだしな」

 そんな後輩達の緊張をほぐすためか。
 あずさはそう言いながら二人に歩み寄り、それぞれの肩に優しく手を置いた。

「それに涙が出るほど哀しい時は思い切り泣いて構わん。沸き立った怒りも、無理やり不自然に押さえつければ大きなストレスになる。中途半端はダメだというのは、そういうことだ。ただ、可能な限りマイナスの言葉だけは口にしないことだ。自分を悲劇の主人公に仕立て上げてもその時は満足かもしれんが、結局は自分を痛める毒にしかならん。そして真に強い心の持ち主は、常に笑顔を忘れんものだ」

 その言葉の通り、あずさは微笑を絶やさぬまま、後輩二人の顔を交互に見つめ続ける。
 今の拓実にとって、まさに目の前のこの女性こそが、強さの象徴だった。

「傍目に辛い目を受けても笑っていれば、ヘラヘラするな! と怒る者もいるだろう。だが、そういう言葉は気にしなくていい。少なくともそう言う人間より、自分は心が、ものの見方が柔軟なのだという証左なのだからな。あ、だからといって決して見下すということではないぞ? ただ、平穏でない時にも平穏な心でいられる自分を幸せに感じればそれでいい」

「それは……多分まだ、難しそうです……」

「ふふ、正直だな。だがそれで構わん。前にも言ったろう、理解したものだけを受け入れるのではなく、まず受け入れた方が人は成長する。この話も、今は憶えてさえいてくれればそれでいい」

 拓実のどこか頼りない返事にもあずさは鷹揚に笑って、一年生達の肩をぽんと軽く一叩き、

「よし、この話はここまでだ」

 そう言って颯爽と身を翻した。

 その刹那、彼女のセーラーの上着がはためき、スカートの上端につけられたコイン状のブローチが一瞬だけ拓実の視界に入った。
 白金に陽光を照り返して輝いた五百円玉ほどのそれは、拓実達が部の徽章として授かったバッジと似たようなデザインに見えた。

(でも……何だろう、もっと前に見たことがあるような……)

 妙な既視感にとらわれた拓実だったが、しかしその感覚を確かめる間もなく、

「さあ、行こう。藤原も一人で退屈だろうしな」

 歩き出しつつ振り返ったあずさの横顔を、我に返って追いかけたのだった。



 ...To be Continued...

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