前回の続き。
観相家としての南北くんの勢いは、留まるところを知りません。
(  ̄д ̄)「目ってのはな、清浄なる心の窓にして、精神つまり神の精の通い路にして、また人体でも特に感情の集う器官だ。
眠ってるときには何処にあるかも判らない人間の『心』は、目が覚めれば文字通り、目に再び留まる。
つまり目は相を観るときにも重要な『窓』になるのさ。
たとえば、勢いのある人間の目は輝きが強いし、俺ら観相者の目を正面から見据えてくるが、逆に悩み多く気力の弱った人間の目は暗く淀んで、相手の目を正視できない。
これは俺の極道としての経験からも言えるが、目の定まりが正しくまっすぐなら、そいつは心も正直でまっすぐだ。けど目が定まらず、落ち着きなく常にきょろきょろしてる奴は、心に邪なものがある。盗人なんかがいい例だな。
それに、精神集中して何かを見つめる時は、ほとんど瞬きもしないだろ。精神、つまり文字通り神の精、神の気を目の一点に集めるからなんだよ。逆に瞬きが多いときは、精神力が薄く心が浮ついてたりするもんだ。
つまり、その人の性格、根性、心の清濁、それにその時々の感情は、ことごとく目に表れる。
いいか、人の顔でまず観るべきは目だ。目で顔の相の七割は決まるぜ。
もちろん、我を離れて『観』なけりゃ、手前勝手なフィルターをかけて大失敗しちまうのは忘れるなよ」
(・o・ )(・o・ )(・o・ )「はーい」
喜兵衛別邸における日々の講義を経て、弟子たちも観相家として目の覚めるような成長を遂げてゆきました。
その弟子たちが、やはり観相を通じて、さらに多くの人々の運命を改善してゆく……南北くんの理想は、南北くん一人だけでは決して成しえない大きさで、しかし確かに実現の根を広げて続けていました。
また平行して、南北くんは件の『南北相法』の後編にあたる全五巻を完成させます。
講義の内容を弟子たちがまとめた前編と違い、
後編は南北くん自身が執筆、長年の実学で積み上げた観相における自らの見識を、
人体各所のみならず、暦、土地、方角など、微に入り細に入り様々に分別し、
それら一つ一つに対して事細かに解説する形で明確に記す形を取っています。
それが、享和二年(1802)のこと。
ところで。
この『南北相法』に記された、天明八年(1788)当時の南北くんの弟子は、
地元大坂だけでもなんと160名以上。
他にも東北から九州まで全国各地、中には地元では右に出るもののいないとされた、
当時の名だたる観相家たちが多数、南北くんの弟子として教えを乞うたとされています。
最終的に、弟子名簿へと記された名前は実に583人。
その内には更に数十人、百人以上の弟子を抱えた人物も複数存在するため、
孫弟子まで加えると、水野南北という観相家の門人は、ゆうに千人を軽く超えることになります。
ですが。
(; ̄д ̄)「しっかし、さすがにこれじゃ講義するにも手狭だわなぁ……」
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(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(-_- )Zzz..
(=_=`)「決して狭い屋敷ではないでござるのにな……門弟の中にも、窮屈すぎて講義に身が入らぬという者も出始めてござる」
(◎∀◎-)「ほなら先生、この際どーんと、もっと広いとこにお屋敷でも建てたらどないでっしゃろか? せっかくやから、門弟全員で寝食を共にできるくらいデッカイやつを」
(  ̄д ̄)「そっか。確かにそれが一番手っ取り早くて確実な手段だな。よし決めた」
提案に、善は急げと南北くん。
大勢の弟子たちが集える拠点となり得るだけの土地と屋敷を買い求めました。
実際、そのころの南北くんには、それだけの財力が備わっていました。
毎日の見料、つまり観相料金による収益だけでなく、
「悪相を良運へと導く」、南北くんの『天の相法』によって心身を救われた人が、、
謝礼として寄付を申し出るケースも珍しくなかったのです。
南北くん自身、日々粗食で食費も大してかさみませんし、
生来が無頼の徒で酒好き女好き博打好きではありますが、
それでも自ら観相の道を極めるべく程々に慎んでいるため、結局お金は貯まっていく一方です。
割合大きめな個人的出費と言えば、せいぜい、所用や見聞のための旅費程度。
来る日も来る日も、ひとつずつ、ひとつずつ、
ただ目の前の観相に心を集中し続けてきた結果、
いつのまにかこれほどのものが南北くんの元へと流れ込んできていたのです。
(  ̄д ̄)「しっかし、どうしたもんかねこの銭の使い道。溜め込んでもあの世にゃ持ってけねーしさ。
かといって弟子連中を養うための蔵を建ててもまだまだ余るし、なんか使い道は……そうだ!」
思いついたのはやはり、南北くんのできることであり、南北くんにしかできないことでした。
あの『南北相法』を、判り易いように要約したハンドブック、
とでも呼ぶべき『南北相法早引』を執筆し、
観相師を志す全国の若者たちのために無償で配って周ることにしたのです。
その数、千冊。
併せて、昔のように諸国の街頭に立って、
やはり無料で千人分の観相を行うことにもしました。
名目は、師匠・水野海常の追善供養として。
(゚┏ω┓゚ )「……え? ワシ死んだの? いつのまに?」
(  ̄д ̄)「ほらほらおじいちゃん、棺桶には去年入ったでしょ」
(゚┏ω┓゚ )「そうじゃったかのう。葬式はまだかのう……ってボケ老人ちゃうわい!」
(  ̄Д ̄)「おお、師匠のノリツッコミ初めて見た!」
霊界チャンネル遮断閑話休題。
かくして、敢えて弟子たちの手伝いも断り、
かつての修行時代同様、深傘と坊主姿に身を包んだ南北くんは、
無料の千人観相と施本を、ついにたった一人でやり遂げました。
この奉仕行脚を終えた南北くんの胸の内には、ある一つの想いがありました。
(  ̄Д ̄)「不思議なもんだよなぁ。若い頃は自分の事だけしか考えずに、挙句死にかけたこの俺が、だよ。
今じゃ何だか、いつのまにか世のため人のためになるようなことを、自然にやってるみたいだ。
久々に旅をして改めて感じたよ……金もそうだが、物も、縁も、お天道様も、みんな廻り廻ってる。
人だって、その体も、心も、同じように見えても、二度と全く同じ形、同じ『相』を持つことはない。
観相一筋でやってきたからこそ、今になってそれがよくわかる……」
陽は昇り、やがて沈み、そしてまた昇る。
誰しもが産声をあげてこの世に現れ、そしていずれ必ず息を引き取る。
それら「絶対不変にして普遍の変化」のかたち――『相』を、
南北くんは数十年、最早数え切れないほど間近で観て、触れ続けてきました。
まさしく森羅万象、天地自然の『相』、そのものの中で。
否、そのものとして。
(  ̄Д ̄)「それを確か、お釈迦さんは諸行無常って言ったんだっけな。
じゃあその『無常』なこの『命』ってのは、その命を運ぶ『運命』ってのは、
その運命をなぞって『生きる』ってのは……そもそも一体、何なんだろうな……?」
観相家としてでなく、ただ一個の、生命体として。
観相への追究という枠を超えた、命としての問いかけに突き動かされ……南北くんはついに決心しました。
(  ̄Д ̄)「……よっし、修行するか!」
文化九年(1812)の春。
時に水野南北、55歳。
人生の集大成とも言うべき修行の旅へと、その一歩を踏み出しました。
目指すは――伊勢神宮。
つづく。
次回、ナンボククエスト第十七話。
「極意開眼・食は命なり」
をお楽しみに。嘘じゃありません。
ponsun URL 2011年10月18日(Tue)09時00分 編集・削除
今じゃ何だか、いつのまにか世のため人のためになる
ようなことを、自然にやってるみたいだ。
久々に旅をして改めて感じたよ……金もそうだが、
物も、縁も、お天道様も、みんな廻り廻ってる。
人だって、その体も、心も、同じように見えても、
二度と全く同じ形、同じ『相』を持つことはない。
観相一筋でやってきたからこそ、今になってそれが
よくわかる……
とても清々しい読後感が、湧き上がってきました
南北くんに共感いたします
ありがとうございます