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■第3章:ちょっとだけファンタジー ―― 第19話(終)
あずさの澄んだ視線が、微かにその少年へと注がれた。
拓実も敏感にそれを察し、胸の中の沈痛なものも忘れて鼓動を高鳴らせた。
「本当に些細なきっかけで、私はその少年から初めてありがとうをもらった。それで気付いたのだ。私にはその力がある、私がこれまで生きて、感じ、思い、学んできた事こそがその力になるのだと」
そう言うと、あずさは手のひらのブローチをじっと見つめた。
あの時彼女に伝えた感謝も……その第一号として白金の中に眠っているのだと思うと、拓実は無性に誇らしげな気分になった。
「皮肉な事だが、恐らく……両親の死がなければその少年に出会う事はなく、下手をすれば私は今もろくにありがとうを集められない、寂しい人間のままだったかもしれない。思えば、今は亡き両親に育まれ、そしてグラティアに出会えたからこその恵みだった。だから私は彼らへの恩に報いるため、全身全霊をもってグラティアの悲願を達成することに決めた」
語りながら、グラティアを抱くあずさの腕に、そして言葉に力がこもっていった。
「それからの私の生活はあらゆる意味で一変した。何でもいい、身の回りの一見取るに足らないものでも、とにかく色々な事から学んでやろうという気持ちになった。その直後、私は今の……実の親に引き取られた。幸運なことに裕福な家でな、更に幸いな事に私自身、経済的な恩恵に浸ってもどうにか堕落する事なく、逆に目一杯利用してやるという根性を維持できた。学びたいままに習い事をさせてもらえたし、先人が残した貴重な知恵……そう、それはたくさんの本を手に入れて読む事ができた」
昨日あずさが語った知識欲。その根源を拓実はようやく知った。
そして、その一端に自分が関われた事、更にそれが時を経て、今自分へと新たな恵みとなって返って来ているという事実を前に、運命の妙なる手を感じずにはいられなかった。
「だが、中学の三年間でもそれほどありがとう集めは捗らなかった。その頃の私は……いや、今でもそうかもしれんが、とかく自分一人で何とかしてやろうという気持ちが強すぎたのだな。頭でっかちだったのだ、要するに。それに気付かされた私は、高校に入ってすぐにこの部を作った。そして今に至る、というわけだ」
その、『今』にあって。
自身を強く支えてきた、支えてくれた部員全員を見渡し、
「色々と骨の折れる事もあったが……結果としてこうして、かけがえのない仲間を得る事ができた。それが何よりの幸せだと、私はそう心から感じている」
そこまで語ると、あずさは深呼吸するように目を閉じた。
何かの感慨に耽るように、少し顎を上げ、降ろし……瞼を開き、
「……私の話は、以上だ」
どこまでも深い瞳でそう告げると、部室にしばしの静寂が訪れた。
「……俺は、部長の言葉を信じます」
誰より先んじて、拓実がその沈黙を破った。
初めからそうするつもりだった。
「仮に信じないとしても、この部がやる事は、この部の価値は……存在意義は変わらない。そうでしょう? 藤原先輩、弓削先輩……ゆい」
「たっくん……」
順番にメンバーの顔を見渡した拓実に、ゆいはどこか不思議そうに呟いた。
今までにない幼馴染みの積極的な姿に、何やら感じ入るものがあるらしい。
そして、
「見くびらないでほしいな、陣内君」
進一が神妙に口を開いた。
「僕と弓削さんは、君達より長い時間を部長と過ごしてきたんだ。部長が意味もなく嘘をつくような人じゃないことは、よく知っている。だよね、弓削さん」
「ええ……あずさ先輩は、その……信じられる人、ですから」
同意を求められたほのかも、そう言ってメガネの奥に優しい光を灯して微笑んだ。
「藤原、ほのか……ありがとう……」
あずさは、感無量。
こみ上げそうな涙を隠すかのように、瞳を閉じて俯いた。
「なあ、ゆい。お前はどうなんだ? この話の事……」
「ほよ? あ、うん、えっと……」
と、拓実は残るゆいへと視線を投げかけた。
ゆいは一瞬きょとんとした顔を見せたが、おもむろにあずさが抱く貝付きナマズをじーっと見つめると、
「その……ぐらてぃあちゃん、だっけ?」
「おう。なんだこのチビアマ」
アウトロー風味に反応したグラティアに、何故かゆいは、ぽっ、と頬を染めて一言。
「あのね……ぐらちゃんって呼んでもいいかな?」
「「は?」」
拓実とナマズのリアクションがユニゾンした。
上級生三人も微妙に唖然。
だがそんな事はお構いなし、ゆいはグーを握って瞳をキラキラ、何やら必死で力説開始。
「その……じ、実は前からかわいいなーって思ってたんですっ! でも大事なマスコットだって部長が言うから、ゆいが下手にさわって汚したりしないようにって、その……でもお話できるんだったら、いっぱいお話したいな、って! だからぐらちゃんって呼んでいいかなって!!」
ぽかーん、と。
部室をまた沈黙が支配した。
ゆいのお子様魂に魔法の国の王子様という響きがクリティカルだったのだろうか。
しかしこの肥満ナマズのどこが可愛いのか。今更ながら幼馴染みの美意識を疑う拓実。
「……っく、くくっ」
不意に、噛み殺しきれない笑いが漏れた。
誰あろう、あずさの口から。
「く、ふふっ、あはははっ、あはははははっ!」
それは程なく爆笑に。
「ぶ、部長!?」
「ははっ、神原……君は本当に、何て言うか……大した奴だよ! あっははははっ!」
何がそんなにツボに入ったのか。
焦る拓実をよそにあずさはひたすら腹を抱えて笑い転げた。
楚々とした彼女の精緻な見目は力一杯くしゃくしゃに歪み、それでもなお、
「あ……あずさ先輩がこんなに笑ったの、わたし初めて見た……」
「僕もだよ、弓削さん……はは、はははっ」
今までで最高に素敵な彼女の姿を、部員達の目に焼き付けさせた。
その胸元では、ゆいが興奮しきった様相でグラティアに顔を突きつけ、
「ねーねー、ぐらちゃん! いいよねっ、ぐらちゃんっ!」
「やなこったクソガキ!」
「イヤってことはいいってことだよねっ! やったーぐらちゃんだーっ!」
「ケーッ!」
諸手を挙げて飛び跳ね回るゆいへと、ナマズが精一杯の歓迎(?)を奇声で示した。
(は、はは、ははは……)
いつにない騒がしさが弾けた部室。
拓実は唖然としつつも、この上ない安堵感を抱いていた。
(でも本当に……良かったですね、部長……)
そして、いまだ笑い止まない佳麗なる恩人を密かに見詰め、心の中でそう呟いた。
~第3章・完~
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ponsun 2011年12月25日(Sun)09時13分 編集・削除
私がこれまで生きて、感じ、思い、学んできた事こそ
がその力になる
説得力がありますね
脳天気な私は、フィニッシュは、アメリカ映画や黄門様
のような、ハッピーエンドが好きなようです
目出度し、めでたし、ですね
ありがとうございます