リファラ辿ってたら、同じ名前のキャバクラがあるってわかって思わず爆笑( ̄∇ ̄;)
さて。
先日、肉は極力食べないって書きました。
でもこれ、宴席とかの他にも2つほど例外があって。
その内の1つは、どーーーーーうしても食べたいとき。
そうしょっちゅうあるわけではないですが、しかし心や体が食肉を必要としている時には、意固地になって食べるのを拒むのは逆に良くありません。
もちろん、ただの煩悩的貪欲的欲求な場合もあるので、その見極め、判断にはしっかり自分の内面と面談する必要がありますがw
そしてもう一つ。
上の、「心や体が食肉を必要としている時」とある意味同じ事なのですが、
「心身が明らかに弱っているとき」
です。
……よし。
現代の一般的な観念とは違うのは重々承知の上だけど、
ここで敢えて断言してしまいませう。
肉は、薬です。
ひとことでいえば、これがたわしの食肉観。
大量生産のためのコスト最優先、あるいは人間の喧嘩や愚痴が絶えない、不健全な環境で育った家畜の肉は毒ですが、健やかな環境でのびのびと育った家畜の肉は、薬です。
「食料品」ではなく、「医薬品」です。
用法用量を守って、初めて効果が期待できるものです。
多量摂取や常食とするものではないし、そんなことをすれば逆に様々な害を引き起こします。
現代の様々な医薬品と同様に。
江戸時代、肉(特に牛肉)を食べることは「薬喰い」とも呼ばれたそうです。→wikipedia「牛肉」
薬と認識されていたので、当然、病で体の弱った人などに食べさせるものでした。
でも一方、
先日も書いたとおり、「食肉の持つネガティブなエネルギー」ってものも確かにあります。
大量生産のために毒へと捻じ曲げられた肉は別としても、
それは今も昔も、基本的には変わらないのではないか、と思います。
だけど実は、その「ネガティブエネルギー」を、
体内に取り込む前にある程度中和してしまう方法があるんです。
「感謝」です。
世界各地で今も狩猟によって日々の食料を得る原住民族の多くには、狩りの前に感謝の祈りを捧げる風習のあるところが多いそうです。
すると、その祈りに導かれるようにして、食料となってくれる動物が狩人の前に姿を現してくれる、といいます。
そうして得た肉を、部族の皆で歓喜しながら分け合う。
そうやって、彼らは自然とともに脈々と生き続けてきました。
さきほどの薬喰いの例でも、当時としては高価な薬なので、
やっぱりありがたがられ、感謝の元に「服用」されてたんじゃないでしょうか。
たわしの場合は、こうしてます。
まず、箸でつまんだ肉をじっと見つめて、「ありがとう」と告げる。
人目があって憚られるときは、心の中でもいいから「ありがとう」と真摯に伝える。
肉を提供してくれた動物さんが育ってきた日々を走馬灯のように思い描き、
最期に味わった痛みも想像とはいえしっかり心で受け止めて、
その上でやっぱり感謝して、身を挺して血肉になってくれてありがとう、と感謝した上で、口に入れます。
それから、噛む。
噛んで噛んで噛んで噛んで噛んで噛んで噛んで、噛んで、隅から隅までひたすら噛む。
10回20回どころの話じゃありません。
エキスも肉汁も全部引き出すほどの執拗さで、肉の繊維も感じられなくなるくらい、ミンチにするよりもずっと徹底的に、一心不乱に噛み倒して、唾液も絡んで完全にドロドロな状態になってから、ようやく飲み込む。
そうすると、ただ単に「ひょいぱくっ」と食べて飲み込むだけの時と比べて、
ずっと心身への悪影響は小さく、逆に好ましい影響が表に現れてきます。
実はここ数日、まとわりつくような心的不調和、とでもいえる低調な波を抱えてたんですよ。
その間、体調も朝の寝起きも普段と比べて少々良くなくて。
で、昨夜、鶏肉を一切れ、上の方法で食べたんですね。
今朝は目覚めも心も体もめっちゃすっきりw
ちなみに。
あくまでも自分の場合は、と断っておきますが、
冒頭二つのような理由で肉を食べる際、その量はささやかなもので充分です。
ほんの一切れ、重量で言えば50gもあれば、大抵は十二分に事足りるみたいです。
なんせ、噛み倒すお陰で充分に食材の味を堪能しつくせるので、次から次に貪り食う必要もなくなるんです。
それに、何度も噛み続ける行為は、瞑想としてもすっごく自然に生活に取り入れられるし。
(これらの点はなにも肉に限ったことじゃありませんが)
ていうか、いくら感謝したところで分限を守らず大食いすればやっぱり毒になるからね。
まーこんなところで、今回の要点。
・肉は薬と心得え、用量用法を把握し守る。
・感謝してから口に入れ、とことん噛み倒してから飲み込む。
精神あってこその肉体ですが、肉体あってこその精神でもあります。
スピ世界に傾倒していると物質的な肉体がおろそかになってしまいがちですが、
こういったところから肉体も大事にしてあげる方が、よほど精神的じゃないかな、という自分自身への指差し確認も兼ねて。
そもそも、無駄食いしないのもよく噛むのも一切追加コスト不要なのがステキ。
あとは、やるかやらないか、ただそれだけのお話だもん。
あまがっぱ 2011年02月02日(Wed)13時29分 編集・削除
もう17・8年も前の本。
著者は、あのキャロライン メイス。
チャクラ中心の遠隔医療の内容の一文。
「…受け入れる側が整っていれば、ドッグフードを食べていても健康でいられる…」
強えーっ!