えーっと、実は、昨日の朝はですね。
クンバハカについてじゃなくて、アノ存在の正体的な何かについて触れたエントリを上げようと思って用意してたんですが、
唐突に開眼(ぇー)しちゃったもんだから、今日に回そうということで……
と、思ってたんですが、
今日もまた別の書きたい事が出てきたのでそっちをアップします(ぇぇー
正体的な何かについては、またまた明日に回しちゃいますすんまそん( ̄д ̄;)
特にコトノハさんが楽しみにしてるのかも?w
つーかしれっとその予想惜しいっ(何
では、本題。
うみさんのブログのこのエントリで、特に心に触れる部分があったんですが、
コメント欄で返すにはちと長文になりそうだったので、こっちで書くことにしたんですよ。
それは、さむらいさん、そして、けいさんのコメント。
>ですがすぐに「いや…まてよ」…屠殺よりも苦しんで死んだのかも知れないけれど、鶏肉と何処が違うのか?
>そう思うと、いつも普通に肉を調理して…例えば軟骨や筋を処理する時には「感謝」が無いわけです、確実に食材や料理を粗末に扱ってはいなかったつもりなのに、何か違うなと
>「食」に対して感謝していたつもりでしたが、何だかもっと“根本”で違っていたのかも知れない
>いつも思うのが、植物も生きているから殺生になるのかな?と言う所です。
>それを言い出すと人間は生きて行けなくなりますが、
>人によっては顔があるものを食べるのが殺生だという人もいますし、
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うみ URL 2011年05月04日(Wed)05時33分 編集・削除
「矛盾」というのは、まさにエゴの視点でのみ存在するものなんですよね。エゴは必死に矛盾を「理屈で辻褄合わせ」をしようとする。で、その矛盾を誤魔化そうと、「植物は命じゃないんだよ」等の屁理屈で自分を納得させてみたりするw
で、前に雲黒斎さんのブログで「自分の願いは自分で叶えることが出来ない」という事が書かれていました。これはせらつかさんのおっしゃる、味噌汁ひとつ調理することも、様々な恩恵で成り立っているという事なんですよね。自分が煮干を「創った」わけではない。
最近、美味い事に気づいたきんぴらごぼうを、よ~く噛んで食べてみたわけです。噛めば噛むほど美味いじゃありませんか!嫌いだった(嫌いな物多すぎw)お赤飯を食べてみました。ホントによく噛むほど、「うぉ、これってこんなに美味かったの?」と。
これは、せらつかさんのコメントで気づかせて頂きました。感謝です!
こういう縁も、さっきの味噌汁の例と同じなんですよね。全てが「縁」で成り立っている。
というワケで、食関係の記事も楽しみにしてますよ(ひつこくプレッシャーw)