今日、数年ぶりに自分で食べるための生肉を買った。
国産鶏ムネ肉ぶつ切り100g98円を200g。
例えばラーメンに乗っかってくるチャーシューだとか、
パンの材料として使うためのベーコン・ウインナーなどの加工肉とか、
その他出来合いやら付け合せの肉は買ったり食ったりもしたけれど、
ハナから自分で自分が食うための生肉単品を、ってのは本当に、久々。
最後に買ったのは、まだ大絶賛うつ病真っ最中だったころ。
あの虚無感、停滞感、絶望感、もがき苦しみ行き場のない感触を、どうにか解消したくて、
その「ストレス解消」の一環として、一人バーベキューなんかやってみたりした時だったか。
思えば、色んな意味で的外れどころか勘違いも甚だしい、
逆効果な所業だったのだけど、と苦笑いもしてしまう。
だってそうなのさ。例を挙げれば。
まず「ストレス解消」だなんてトンデモな大義名分で、
「ストレス解消すればいいんだから、ストレスは溜めてもいい」ってな錯誤を生んじゃう。
もちろん、どうしても溜まってしまったストレスは解消すべきなのだけど、
そもそも、ストレスの蓄積をしないための方策(たとえば瞑想だとか)を追求するのが筋なのに。
それに、無駄な肉食のエネルギーは気性や気分を荒げ、情緒不安定を招く最大要因の一つってのは、
今になってみれば実感として理屈抜きでよーく理解できる。
……まあ、当時の自分にはそういうことなんて到底理解できなかったからこそ、
今の、まがりなりにも、それなりの、そんな立派なものじゃないにせよ、
それでも一応胸張って前を向けるだけの霊的理解が多分あるんだろうけど。
閑話休題。
で、生肉。
今日ね、献血行ってきたんですよ。
前もちらっと書いたんですが、献血のあとは外食することが多いんですが、今日はそうでなく。
一緒にウイスキー買って、帰宅して、そっちはストレートでコップに注いで。
肉はね、塩とそのウイスキーをパッパと振りかけて、生で(ぇー
良い子は真似しないでねと一応いっときます。
でも、危険だからとは書き足さないでおきますよ。
危険じゃない食なんて厳密には存在しないし、
同時に一つの生命として危険なんてものも存在しないから。
……なんて、小賢しい能書きは抜きです。
というのもね、知りたかったんですよ。体当たりで。
野菜や魚(刺身)は生で食べることも日本の世間では多いでしょうけど、
一般的な家畜の肉を生で食うことに、なぜそんな抵抗の風潮があるのか。
いや、わかるんですけどね、例えば寄生虫だとか病原菌だとか云々。
でも、ですよ。
そういう色眼鏡を取っ払ってみて、更に、ですよ。
やっぱこびりついてる観念として、植物より動物の方が、
『命を食ってる』実感(ことによっては罪悪感)が強いってのは、あると思うんです。
やっぱりそれも偏った価値観から来る幻だと承知の上で。
その、より『本来に近い姿の』『命を頂く事』、その感触を知りたかった。
刺身みたいな、食文化の名の下に麻痺しきった感覚の下で、ではなくて。
いや、だからって自分で開発したカテーテルを自身で人体実験したフォルスマンみたいな偉人さんと一緒にされても、あちらさんにすっごく失礼ですが(ぇー
鶏肉ね、タタキとか刺身用じゃないのですよ。
「硬めですよ、でも味がありますよ」って親切にもラベルに書かれた生鮮パック。
やっぱスジとか小骨とかあってね、いくら細切れつっても、生半可には噛んでも噛み切れない。
でも、噛めば噛むほど、まずスジ以外の部分がサワサワと消えていって、
それでも噛み続けて、ガムみたいになってって、
だけど同時に鶏出汁を濃縮したような(ような、じゃないよねそのまんまだし)風味も出てきて。
総じて言うと、すっごく『生々しい』んですね。
経験的な新鮮味ゆえのものではあるでしょうけれど、
日頃麻痺しがちな、
『命をいただく』ことへの強い実感が、確かにありました。
紛れもなく、
こっちの見知らぬ場所でてこてこ暮らしてた、動物だったんですよ。
噛み締めながら、
「ありがとう、ありがとう」と、
呟かずにはいられなかった6月の夕暮れ。
で、食ってから数時間。状況経過。
普段菜食が多いせいかもしれないですけど、
自分でもわかるくらい、身体から生肉スメルが出てるw
すごいねぇ……強烈なんだねぇ。これもまた、命ってことか。
そういえば、昔あるJリーガーが言ってたっけ。
国際試合で試合終了後にユニフォーム交換すると、
ヨーロッパ系の選手のはものすごく臭いのきついのが多い、って。
肉食文化特有の、濃密な臭気がするんだってさ。
ああ、危険なのでとは書かないとは言っても、
やっぱ自己責任です。
たわしもスーパーの肉売り場で、
川´ー`)「買え。生で食え。安全? 大丈夫じゃ」
てな具合にクエスト出されて軽く悩んだしw
あちらさん的にはいろんな企図があるみたいです。
例えば、気温の上がり始めた時期に合わせて本当に精力をつけさせるためだとか、
同時に、かつて「溺れていた」頃の自分を追体験させて、そこからの再離脱を促し気付きを促進させるためだとか、
こっちの顕在的に感じとれるだけでも他にも色々ありますが、
けど。それらも単なる後付の意味づけって言ってしまえばそれまでなので、結局どうでもいいんです。
なんにしても、どう転んでも、こっちには迷っても迷わなくても詮無きこと。
ともあれ、ひとつ分かった事は、
生だろうが焼こうが、「生(せい)」を食わせていただいていることに違いは微塵もない。
生きるということは、全ての波もひっくるめて、全てがフラットだ。
……さて、思い感じつつもよっぱらっちなので今日は寝ますレスは後で、すんまそん。
明日は朝を漬物と野菜だけにして、半断食でもするか。
さむらい 2011年06月04日(Sat)02時13分 編集・削除
お疲れ様です
人間が雑食なのは…極めて高い可能性と、故に背負った十字架なのかと思う自分と
それを感じる事が要るだけで、意味を求めなくとも良いと思う自分がいます(笑)
何でしょう…?
あっ(笑)
自分は冷凍庫にウィスキー(主にジム・ビーム)を突っ込んで、キンキンに冷やしてから瓶のままストレートで飲みます
出した時に、表面に霜が着く位の冷え具合が良いんですよね〜飲み過ぎてしまう事も多々ありますが、冬場には欠かせないパートナーなんです(爆)