超個人的新着RSSリーダー

  • JavaScriptをONにすると、RSSリーダーが表示されます。


     

記事一覧

ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(18・最終回)

 前回の続き。



 食は命なり――。

 ついに、相法の極意に開眼した南北くん。
 その観相は、文字通りの百発百中の領域へと到達しました。

 さらに、慎食によって運勢を改善できるという、
 『節食開運説』
 の確立により、いわば『開運コンサルタント』としての実績と名声も、
 まさしくウナギノボリで高まってゆきました。

 この頃南北くんは既に、地元大坂のみならず、近畿一円を中心に複数の拠点を持っていました。
 それらを転々と巡りつつ、人々の観相や弟子の育成に力を注いでいました。


 ここはそんな拠点のひとつ。
 京都・南北庵。


∈( ・´-`・ )∋「さすがは高名な水野どのでおじゃる。麿の胸のつかえもすっきり取れたでおじゃるよ」

(  ̄д ̄)「なんの、俺は大したこたしてねーさ。お公卿さんが自分で本来の強く気高く高貴な心を奮い立たせる、そのためのきっかけを提示しただけにすぎないよ」

∈( ・´-`・ )∋「ほっほっほ、そうでおじゃろそうでおじゃろ~。しかし麿もさることながら、水野どのの力も大したものでおじゃるぞよ。では麿はこれにて帰るでおじゃる~、また来るでおじゃるよ~」

(  ̄д ̄)「はは、ありがたき幸せっす。またどうぞー」


 公卿が上機嫌で退室すると、入れ替わるように八助と喜兵衛が入ってきました。


(◎∀◎-)「いやー先生、相変わらず絶好調でんなー。やっぱ百発百中の観相に開運コンサルタントっちゅう二本柱で、もはや先生の名声も磐石でおます!」

(  ̄д ̄)「鼻高々なとこ悪いけど喜兵衛さん。名声つったって、つまるところ人様の役に立てたって結果の副産物でしかないさ。そりゃもちろんありがたいことだけどな。
 前も言ったろ、我を離れた心でなきゃ、観相家は務まんないさ。そもそもいくら百発百中したって、それが人の役に立たなきゃ、誰かの救いにならなきゃなんの意味もないだろ」

(=_=`)「……しかし、かような先生だからこそ、拙者たち弟子一同のみならず、先生の観相を求む数多の者たちが、こうして慕い集ってきているのでござる」

(◎∀◎-)「その通りでんがな! せやかて意外でおまんなー。いくら京の都ちゅうたかて、まっさかあないな身分のお方までもが観相やら人生相談を求めにやってきなはるやなんて」

(  ̄д ̄)「いや、悩みに身分の貴賎は関係ねーさ。迷いつつ生きれば誰しも、な」

(=_=`)「宮中人とて人は人。ゆえに相もあり、迷いもあり、悩みもある、ということでござるか」

(  ̄д ̄)「ま、そゆこった。リップサービスが効くのも人ゆえに、ってな」


 そう言った南北くん。
 ふと脳裏に、ある思い出が浮かびました。


(  ̄д ̄)「……人ゆえに、迷い悩みがあり、そして相もある……か」

(◎∀◎-)「? 先生、どないしはったんでっか?」

(  ̄д ̄)「……いや、俺の、南北って名前の由来さ」

(◎∀◎-)「由来でおまっか?」

(=_=`)「確か、海常大師匠より賜ったと、前に教えて頂いたでござるが」

(  ̄д ̄)「ああ。確か師匠はこう言ってた」


 (゚┏ω┓゚ )「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(迷うが故に三界は城、悟るが故に十方は空、本来東西無く、何処にか南北あらん)。
 ここより南北を賜いて、さらに我が姓を加えて水野南北!」


(=_=`)「本来東西は無く、南北など何処にもない……でござるか」

(◎∀◎-)「むぅ~、なんやイミシンでおまんなぁ」

(  ̄д ̄)「ま、今の俺なりに示すなら、こうかな」


 紙と筆を取った南北くん。
 さらさらと、一つの詩を記しました。 


 『東有東西南北    (東に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
  西有東西南北    (西に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
  南北各々亦然    (南も北も、また同じ。)
  若夫得一隻眼    (もしそれを本当に己の見方で観られたなら、)
  東西南北則在其所  (東西南北を、まさにそこに在らしめることができるんだ。)
  非有非無亦有亦無』 (有るでもなく無いでもなく、有であり無でもある、ってこった。)


(  ̄д ̄)「……前に、相は無相こそ最高の相とするって言ったよな。それもそのはずだ。元々全てに相なんかないんだからな」

(=_=`)「しかし、先生も多くの人々の相を、確かに観てきたはずでござるが?」

(  ̄д ̄)「ああ。その通りさ。元々全てに相などないが、同時に、全てのものには相があるんだからな」

(◎∀◎-)「なんでっかいなそれ、わけわからんでんな」

(  ̄д ̄)「言葉や理屈じゃ矛盾するからな、それも無理はない。けど、有も無も、同じなんだ。
 そうさ、それだけじゃない。俺たちも含めて全ては不生不滅、無始無終。ひとつの何かなんだよ」

(=_=`)(◎∀◎-)「……」

(  ̄д ̄)「そもそも、あらゆる不明も、恐れも、不運不幸も、迷いから生まれるのさ。
 迷うからだめなんだ。
 例えば価値観一つとっても、たくさんの人が迷ってる。
 一番多い迷い、迷妄、誤解は『幸せは他の何かとの比較や、他者からの評価で決まる』ってやつだ。
 ハッキリ言うぜ。
 幸せは何かや誰かとの比較で決めるもんじゃない。
 他人に限らない。過去や未来の自分だって、比べるものじゃない。
 ましてや、他人の承諾や是認や肯定を必要とするもんじゃない。
 今、自分で、今この一瞬の自分を認めて肯定する。幸せに必要なのはそれだけさ。
 今の自分が在るのは、他でもない、まさしく今なんだからな。

 ……まあ、つまるところだ。
 つべこべ言ってないで、黙って今一瞬の自分を生きろ、ってこったな。
 相を観るための境地も、相を超えて無相に生きるための境地も、全部そこに集約されてんだからさ」

(◎∀◎-)「う~、そうは言っても迷ってしまうのが人情でおまんがな」

(  ̄д ̄)「じゃあ……これ見なよ。今俺が描いたこの絵、何に見える?」

ファイル 532-1.jpeg

(◎∀◎-)「うわっはは、これはまた不細工なネズミでおまんなー」

(=_=`)「……喜兵衛殿、これはクマではござらぬか?」

(  ̄д ̄)「いやまあ、俺としちゃメスライオンのつもりで描いたんだがな」

(=_=`)(◎∀◎-)「……(汗)」

(  ̄д ̄)「ま、とにかく喜兵衛さんにとっちゃこいつはネズミ、八助にとっちゃクマ、俺にとっちゃメスライオン。
 だけどさ、よく考えてみなよ。
 三人三様、千差万別、各々それぞれの解釈、つまり現実や判断、価値観があるってのに、その大元であるこの絵、つまり事象そのものは、何にも変わっちゃいないだろ」

Σ(=_=`)(◎∀◎-)「あ」

(  ̄д ̄)「師匠に学ぶ前の俺は、本当に迷いの闇路で途方にくれてたも同然だった。
 だからそれこそ人の世の底辺でくすぶってたし、どうしょうもない死に様を迎えかけもした。
 人生や世間っつーただの事象を、迷いの目で見てたからそうなっちまってたんだ。
 だがそうは言っても迷っちまうってのはな、他人の、他人が勝手に作った価値観を、自分の価値観だと錯覚して、いいやむしろ絶対の真実として自動的に見てしまってるから、それだけにすぎないんだ。
 そうじゃなく、本当の自分の価値観で物事を観るんだ。観るように訓練してけばいい。
 もちろん、単に視野狭窄で強情なものの見方と取り違えてもらっちゃ困るぜ。
 まず評価や価値判断の無い、ありのままで物事を観る。それが自由自在に出来るようになってから、あらためて己の内側からの声に耳を傾けるんだ。
 そうすりゃ、おのずから本当の自分の価値観が確かなものになってくる。
 そしてそいつは、自然に周りと調和し、周りに……そうだな、愛ってやつをもたらすものになるんだろうな。
 少なくとも、俺はそう思うし、実際にいくらかは、観相を通じて、それこそ愛を誰かに与えることができたんじゃないかな、と自惚れもするわけさ。運命を上向きにして、幸せを感じてもらうことでな」

(=_=`)(◎∀◎-)「……」

(  ̄д ̄)「ま、要するに、だ」

ファイル 532-2.jpeg

(  ̄д ̄)「こう書き加えりゃ、こいつはたった今からメスライオン、ってこった」

(=_=`)「……ところで、ライオンとはいかなる獣なのでござろうか?」

(◎∀◎-)「……絵を見る限り、えらいトロそーな動物なんやおまへんか?」


 と、八助と喜兵衛が途方にくれた、その時でした。
 廊下を慌しく駆けてくる足音。そして……。


∈( ・´-`・ )∋「み、み、水野どの、水野どの~! 祝着でおじゃる~|」

(  ̄д ̄)「おぉぅ、何だい公卿さん。そんないきなり血相変えて飛び込んできて。おしろい塗ってるから顔色なんてわかんねーけどさ」

∈( ・´-`・ )∋「そ、そんなことよりでおじゃる水野どの!
 水野どのの観相の御業、麿が陛下のお耳にお入れいたしたところ、この度陛下より、水野どのの業績をたたえ『大日本(日本一)』ならびに『相学中祖(観相学中興の祖)』の号とともに、従五位出羽之介に叙するとの旨、麿が伝達を承ったでおじゃるよ~!」

(  ̄д ̄)「……………………は?」

(=_=`)「先生が……従五位……大日本?」

(◎∀◎-)「ほなら……先生が、お公卿はんに……?」




 その日。
 夜が明けるまで、南北庵は大騒ぎとあいなりました。



 ――かくして。
 観相家として、名実共に日本一の頂点に立った南北くん、

 いや、水野南北、その人は。

 終生観相一筋、 また自ら節制を徹し続けた結果、
 友や弟子たちに囲まれ、豊かに、かつ大変充実した人生を全うしました。

 皇室の引き立ても受け、晩年には広大な敷地と複数棟の蔵屋敷を有する大資産家にもなりながら、
 その生活、特に食生活は徹底して質素であり続けました。

 これは、自らが提唱した摂食開運説、すなわち慎食の教えを推し進めるべく、
 自ら人々の手本となるためでもありました。


 水野南北が亡くなったのは、天保五年(1834)、十一月十一日。
 大坂・道修町、小西邸の奥座敷にて、喜兵衛達高弟に見守られ、穏やかに息を引き取ったといいます。

 享年七十五歳。
 男性の平均寿命が40歳台といわれた江戸時代において、これは非常に長寿であったと言えるでしょう。


 彼が遺した『南北相法』などの書籍は、
 現在でも観相を志す者なら必ず目を通さなければならないとされるほどの名著とされています。



 福沢諭吉は、あの有名な『学問のすすめ』にて、次のように述べました。

『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。
 人は生まれながらに、貴賎上下の差別はない。
 けれども今この人間世界には、確かに、賢い人愚かな人、貧乏な人金持ちの人、身分の高い人低い人とがある。
 その違いは何だろう? それは甚だ明らかだ。
 賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによってできるのだ。
 人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、
 ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。』



 しかしそれよりも先んじて、
 水野南北は、このような言葉を残していたのです。


『人の貴くなること、また賤しくなることは、みな飲食の慎みにあるべし』


 南北いわく、食べ物は生命の源であり、生命は食べ物にしたがい生じるもの。
 すなわち食は命であり、命あればこそ、ようやくその上に学問も成り立つのは自明です。

 彼自身、無学を自認するがゆえもあり、もちろん学問の重要性は認めながらも、
 しかし学問よりも更に根本的なところにある、シンプルかつ重大な事実を見抜き、
 それを万人に通用し、万人の運命を土台から改善しうる方法として説き続けたのです。


 それは、明らかに『観相家』『観相学』の域にとどまるものではありませんでした。
 まさしく、生々しいまでの「にんげん」への熱い想い、
 いわば普遍的な人間愛という目線によるものであったのは、想像に難くありません。


 最後に、作家・神坂次郎氏が、
 著書「だまってすわれば」のあとがきにて記した水野南北評を引用し、この物語の締めとさせていただきます。


『南北の命運学の面目は、「適中を誇るべきではなく、人間を救う」ことに重点をおいたことであろう。
 南北が偉大なのは、ここである。』




 これをもちまして、
 ナンボククエストことストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース、完結と相成ります。

 長らく目を通していただき、お付き合いいただきまして、
 まことに、まことにありがとうございました。



■参考文献
 ・『だまってすわれば―観相師・水野南北一代 』(神坂次郎箸 新潮文庫刊)
 ・水野南北『食は命なり』
 ・開運の秘訣は食にあり
 ・北京堂鍼灸治療院さん:南北相法現代語訳『相法早引』現代語訳序文
 ・若く長生き! 幸福生活養生法さん:水野南北
  ――他多数。


 (  ̄д ̄)<みなさん本当にあざーっしたー!
 (゚┏ω┓゚ )(=_=`)(◎∀◎-)
 (´ム` )(=д= )(=“゚ω゚”)
 (メ●д▽)(=゚л゚)(´・ω・)(`д´メ)
 (・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
 (・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
 (・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )

  • この記事のURL
  • コメント(8)

  •  
                       

コメント一覧

sarasa 2011年10月29日(Sat)20時23分 編集・削除

ありがとうございました~。

…時々(今も)どうしても大食に陥るのは、テーマの一つなのだろうなあ…と、タイムリーに読ませて頂いて、思いましたです。

大食してても「美味い!」って思ってないんですよね。しかもすぐ体調が悪くなる上に引きずる。食べてない時のほうが断然体も心もラクだものなあ…わかってるなら実行ですねー、その通り。

ともあれ、長い連載、ありがとうございました。
次の展開も楽しみに^^

せらつ@中の人 2011年10月29日(Sat)22時00分 編集・削除

>sarasaさん
 こちらこそ長いことありがとうございます~
 大食って、一種の麻薬的な依存力があるから不思議ですよねぇ。
 だからって自罰して自己嫌悪するのもあれですけど。

 ちなみに南北たん、腹八分とは言ってますけど、同時に、

 ・肉体労働者や、戦のような非常時は大食しても構わない。
 ・青菜の類はいくら食べても構わない。

 みたいなことも言ってます。
 ま、食習慣とともに食材も同時に調節していけばいいのかもー。


 むしろメディア漬けな現代人の多くは、
 特定の食材で痩せるとかあの病気に効くとかの情報ばっか浴びてるもんだから、
 食材ばかり気にして食習慣を省みてないっぽいですもん。
 ですからそれに比べりゃよっぽど健全な気もしますw

不摂生王もこちゃん 2011年10月30日(Sun)04時51分 編集・削除

長期連載お疲れ様でしたぁ~

>>本当の自分の価値観で物事を観るんだ。観るように訓練してけばいい。
まず評価や価値判断の無い、ありのままで物事を観る。それが自由自在に出来るようになってから、あらためて己の内側からの声に耳を傾けるんだ。
そうすりゃ、おのずから本当の自分の価値観が確かなものになってくる。

どんな人にもその人なりの「色」はありますもんね。
色づけしないありのままの見方、在り方を身につけて、さらにそこから一歩進めるってかんじですか。
フラットな視点を保ちつつ自分なりの価値観も持つわけですねぇ。

ponsun URL 2011年10月30日(Sun)07時50分 編集・削除

フィナーレにふさわしい
示唆に富んだお話ですね


幸せは何かや誰かとの比較で決めるもんじゃない。
他人に限らない。過去や未来の自分だって、比べる
ものじゃない。
ましてや、他人の承諾や是認や肯定を必要とする
もんじゃない。
今、自分で、今この一瞬の自分を認めて肯定する。
幸せに必要なのはそれだけさ。
今の自分が在るのは、他でもない、まさしく今
なんだからな


比較・評価にとらわれない世界に意識を向けていること
そのまま、ありのままの今に浸っていること
でしょうね

忘れても、それに気づいていれば大丈夫でしょう


ありがとうございます

せらつ@中の人 2011年10月30日(Sun)09時53分 編集・削除

>もこちゃんさん
 不摂生王て海賊王じゃないんだからwww

>色づけしないありのままの見方、在り方を身につけて
 ですねー。
 あえて重箱の隅的つっこみをいれるなら、
 いままで自動的に色付けしてしまってた「ものの見方機能」を手放したら、
 勝手にありのままの見方在り方が浮かび上がってくる、って感じかも。
 行為か無行為かの違いですかねー。

 ともあれ、前に書いた「あるがまま」と「わがまま」の違い、ってやつに通じるですよ。

 『人の数だけ世界がある』
 この事実をしっかり承知していれば、たいていの出来事は受け流せると思いますw
 ありがとうです~^^


>ponsunさん
 そうですね~、しょっちゅう忘れもしますが、
 それと少なくとも同じ分だけしょっちゅう思い出しもしますw
 気付いているって、偉大ですねぇ。
 ありがとうございますっ

河内国之言珠媛こと敦 URL 2011年10月30日(Sun)17時01分 編集・削除

長いこと楽しませていただきありがとうございました。
始まりがあればいつか終わりがきますが、何だか寂しい気がします。

>まず評価や価値判断の無い、ありのままで物事を観る。それが自由自在に出来るようになってから、あらためて己の内側からの声に耳を傾けるんだ。

何が正しいのか、何が本当なのか、見極めるのがむずかしい世の中 ありのままを観て自分の内側の声に耳を傾ける。
そうですよね、最後は自分が判断するんですよね。

お疲れ様でした。
次も楽しい物語またよろしくお願いします。
ありがとうございました。

パン田 2011年10月30日(Sun)21時24分 編集・削除

連載終了、お疲れさんした~。

うんうん、やっぱり腹八分目だよね。

昨日、風邪気味だったので夕飯はおかゆにして、で、おいしかったので、鍋焼きうどんの土鍋に作ったおかゆの2/3を一気食いしたら苦しくなりました。
おかゆだってたくさん食べたら苦しい!…当たり前か。

自給農業を始めてから、だんだんおかずの数が少なくなってきました。ほんとに一汁一菜だったりします。

料理も、ゆでるだけー、とか焼くだけーとか、超シンプルになっていく。

そのうち、米だけで生きていくようになるのかな? 酒も米だし…。 (ぇー

せらつ@中の人 2011年10月31日(Mon)10時44分 編集・削除

 次のは既に準備OK(ぇ


>河内国之言珠媛こと敦さん
 そうなんですよね。
 ひいていえば、他人の意見を尊重するのと同じく、自分の意見を尊重しなければ、
 結局は自他をないがしろにしちゃうのと同じことになっちゃうんですよね。

「己こそ己の寄る辺」とは確か少林寺の訓だったと思いますが、
 結局のところ、自分というものへの認識がしっかり立っている人こそ、
 他人に敬意を持って接せられるのだろうし、また他人も敬意を持って接してくれるのでしょうね。

 と同時に、自分という分離した個はない、という認識もあって、初めて有効になるのかもしれませんがw
 ありがとうございますです。


>パン田さん
 やっぱ腹八分目までですが、山は十合目まで登りたいです(ぇ
 おかゆー、あつあつふーふー乙ですよねーw
 
 たわしも料理は、純粋に食べる目的だけの分は、言われて見ればシンプル調理ですねー
 パンとかは作る過程が楽しいわけでw

 米だけ生活、玄米だけ生活……玄米漬け生活(何

 ちなみに玄米漬け(漬物)って食べたことないですわ
 ↑アクセスログの検索キーワードで見てその存在を初めて知った罠(ぇー