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食はこころなりよ

 万物は波動でできている。
 目に見えるものも見えないものも、全部。

 肉体も、水も空気も食料も、思考や感情も。


 これ、精神的世界じゃ常識と言ってもいいと思います。
 また、科学的にも次第に同じ事が証明されつつあるそうですね。



 ところで。
 食べ物や飲み物は、体を養い、体が動くのに必要なエネルギーとなるだけのもの、
 っていうのが栄養学という化学的な捉え方。

 でも、個人的な実感として、
「飲食は、ダイレクトに思考や感情へと影響する」
 と言わざるを得ません。


 具体的には、

・少食、粗食、穀物菜食を心がけていると、心や思考が落ち着き、感じ取れる世界が澄み渡ってくる。

・多食、大食、暴飲暴食・肉食に溺れると、心も思考も乱れ、世界が不安に満ちたものに見えてくる。


 続き

 さて。

 何度かここで書いたことがありますが、
 普段のたわしの食生活は、玄米ベースの一汁一菜or二菜プラス漬物。
 基本一日二食。その日の活動内容などによって、臨機応変に三食で。

 牛・豚・鳥などの肉は、極力食べません。魚も食べるなら小魚だけ。

 いや、別に肉が嫌いなわけでも、肉食を禁じてるわけでもないです。
 宴席とか、もてなしで出された時なんかには普通にいただきますし。
 あと出汁とかエキスとかにまでこだわってたら、不自由で仕方ない。


 でもね、こないだ大食したって書いたでしょ。
 一度ああいう風に食を乱すと、それ以前並みの精神的安定を取り戻すのに、三日から一週間はかかるんですよ今のたわしのレベルだと。
 中々難儀っちゃぁ難儀なんですが、それもまた必ず過ぎ去ること、って幸いにしてわかってるからまあ大リーグ養成ギプス的な感覚で学びを楽しんでますけどね。



 で、あくまで独断と偏見ですよことわった上で。

 発表! この飲食が一番精神的な乱れを招くよランキング~! ぱふぱふぱふ



 ★第一位:大食・暴飲暴食

 文句なしにこれ、てきめんです。
 影響度デカイ上に、長引きます。
 なぜかって、まず最大の理由は、
 自分の体、特に胃腸へと極大な負担を強いるからです。
 つまり、この世で生きるために欠かせない自分の肉体という大事な存在を、虐待してるの。
 虐待ってのは言い換えれば、攻撃であり、強力な否定のエネルギーです。
 しかも自分の体に向けてるわけだから、実質的に自己否定。
 それが体のみならず心へとどれほどの悪影響をもたらすかなんて、今更とやかく語るまでもないでしょう。

 他にも、過剰に食材という「波動」を取り込むことで、本来不必要な摂取分が行き場を失って暴れまわる、とでも言える状態が起きるんですが、ここは第二位と密接に関連するので次へ。



 ★第二位:料理や食材に込められた、ネガティブ思念及び感情

 意外に、そしてバカバカしく思うかもしれませんが、料理に込められた想いというのは、実は大きいです。
 即効性で言えば、こっちが第一位。

 たとえば、不機嫌な人が作った料理を食べると、自分の心にも後から理由もなくイライラした波が出てくることがあります。
 逆に、ご機嫌な人・他人の幸せを願う人の作った料理を食べた後は、そうと知らなくても穏やかな気持ちが訪れたりするものです。

 売れないラーメン屋なんかを見ると、店主が不機嫌そうな顔をしてることがありますが、
 あれ、売れないから不機嫌なんじゃないんです。
 不機嫌だから、売れないんです。
 不機嫌エネルギーが込められてて、食べたら不機嫌になるラーメンなんて、誰もリピートしようとは思いませんもん。

 同じことは「食材」、言い換えれば食材の生まれた土壌・養殖場などの環境にも言えて。

 ある獣医さんの話によると、牧場主夫婦の間で喧嘩が絶えないところでは、そこで育つ牛も病気が絶えないそうです。
 逆に、感謝や喜びの言葉、笑いの絶えない養殖場では、普通よりも早く立派に魚が生育し、歩留まりが非常に良いのだとか。
 どちらの出荷した食材が食べた後で心地よくなるか、一目瞭然ですよね。(見えないけど)

 また、これら調理者や生産者など、食材に触れ関わる人々の影響の他、食卓などの食環境も重要です。
 食事はエネルギーをダイレクトに取り込む行為、つまり、食事中は外部に向けて自分のエネルギーの受け入れゲートが大解放されてる状態なんです。
 そんな時にテレビやらで、知ってもどうしようもない殺人やらの暗いニュースなんかを見聞きすると、知らない間に胃の中の食材にも暗いエネルギーが侵食します。それが吸収されれば、さてどうなるでしょうね。



 ★第三位:余分な肉食

 さっきも言ったけど、肉を食べるなってことじゃないんです。
 酒やお菓子同様、ほどほどにね、ってことで。

 医学的には、特に動物的な油分(脂肪)は体内で酸化し、血流という循環エネルギーを劣化させます。
 霊的にも、「殺された」動物の感情エネルギーはどうしても肉に残りますし、食用大量生産のために狭く不健康な環境で生育した家畜(豚とかブロイラーとか特に)は、その陰の気の蓄積は半端ないです。
 また、その手の家畜や養殖魚を早く太らせるために大量に与えられるエサも同様、コスト削減のために不健全な農法で生産された穀物などだったりして、ますます酷いことになっています。
 そんな環境じゃ家畜も慢性肥満と糖尿で死にかけてても不思議じゃないんですが、中には抗生物質で無理矢理採算が取れるまで生かされているケースも嘘かまことかあるそうな。

 某黄色のM字とかの繁栄で、肉は異様に安いものというイメージが世間的に定着してしまってます。
 でも本来、肉とは高価で、とても手間と時間のかかるもの。
 それがどうしてあんな低価格で供給されているのか、その裏に何があるのかは一考の余地あり……ってのはちょっと話が逸れたね。

 ともかく、そう言った負のエネルギーも、人間はある程度の量なら食べても中和できます。
 が、その「ある程度」を越えると、途端に精神に乱れが発生してくる。
 多少なりとも自覚的に精神の平静を得てきた人なら、その関連性は感覚的に納得できるかもしれません。
 逆に、肉食による不安定が当たり前の不感症になっている人は、まったく実感できないでしょうが……。

 ちなみにその「ある程度」については、
 真偽はともかくよく言われる話に、こんなのがありますね。

『人間の歯は、穀物をすりつぶすための臼歯が20本、
 野菜を切るための門歯が8本、
 肉や魚を食いちぎるための犬歯4本の、計32本。
 口にする食材もこの比率に従って
 穀物・野菜・肉魚類はおよそ5 : 2 : 1の割合が好ましい』


 ちなみにたわしの場合、肉を食べた後の心的不安定感は翌日か翌々日、忘れた頃にじわじわ出てきます。
 あれ不思議でねぇ……吸収されて自分の血肉に変化してから「出てくる」んだろか。



 ちなみに、酒は個人差や状況差にかなり開きがあるように思います。
 もちろん飲みすぎは論外ですが、たわしの場合、少しの量なら逆に川´ー`)と繋がりやすくなることもあるくらいです。逆に全然繋がらなくなることもありますがw



 ともあれ。

 思考は波動、食べ物も波動。
 なら、飲食した物がそのまま思考に影響を与えることはない、と考える方が、
 理屈抜きで不自然だと、常々感じています。

 五感では見えない、感じられないけれど時空を飛び越えて伝わってくるスピリチュアルなエネルギーよりも、
 三次元的な自身が日々、物質的にも直接取り込んでいる食料や飲料を一番に気をつける方が、
 よほどスピリチュアルな健全さへと続いている、そんな風に思えます。

 何にせよ、本気で精神的な何かを修めたいなら、
 神仏に祈ったり守護霊とお話しようとしたりするよりも、
 まず手近で確実で、現実的に着手できるところから始めるのが一番効果的じゃないかな。



<仏法は精神を治めることを本とするゆえに食を慎むのである。
 なぜなら万事心が乱れることは、みな飲食を本として起るからである。
 飲食を慎むときは心静かになり不動心を得る。
 不動心を得れば、その道(仏道)を得ることはたやすい。>

  水野南北「法相修身録」より
 

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コメント一覧

あまがっぱ 2011年01月31日(Mon)09時42分 編集・削除

高校の時、英語の教師が言った言葉。
「君ね、英語の感覚が身に付かないのは肉を食べないからだよ!」

せらつ@中の人 2011年01月31日(Mon)12時24分 編集・削除

 その発想は無かった!Σ( ̄Д ̄;)

 まー微妙にマジレスしますと、
 やっぱ人種や地域などによって遺伝的に、体内に有する消化酵素なんかに差が出るそうですね。
 ヨーロッパや中央アジアなどのどちらかというと狩猟系民族に比べて、日本人のような農耕民族は肉食に対する消化器系のキャパシティが低いとかなんとか。大雑把ですが。
 他にも聞いたところによると、アルコールの分解酵素は白人や黒人はほぼ全員元から持ってるけれど、黄色人種は約半分が持ってないそうな。
 ま、良し悪しの問題ではなく、単にそういう特徴があるってだけの話ってことで。

 ただ、伝統的な料理や食材ってのは、その土地の気候風土や人間への適性を元に長い間掛けて磨かれてきた先達の知恵の凝縮です。
 ぶっちゃけ納豆やら味噌やらの和製発酵食品を常食してるなら、ヤ●ルト飲んで余分な糖分まで摂取する必要なんてないんですよねw


 もっとも、本当に食べたい物を我慢して、ストレス溜めちゃうのは本末転倒。
 額面上は不摂生でも、心の栄養と割り切って心から楽しめば、重い波動も軽くなります。


 …とりあえず、肉食って食生活から心を欧米化しろって言いたかったんじゃなかろーかその先生は(ぇー

ponsun URL 2011年02月01日(Tue)05時08分 編集・削除

万物は波動でできている

そうなのですね。そして折にふれて

共振し合っているのでしょうね

当方も大食から粗食に変わりましたが、

世界が違ってきましたね

せらつ@中の人 2011年02月01日(Tue)12時17分 編集・削除

>世界が違ってきましたね

 ああー、確かにそれ言えますねぇ~( ̄∇ ̄*)

 外部の現象は何も変わってないはずなのに、見えるものに抱く印象も違うし、何より「色のない」「本来の姿」で見えてくるようになった一因には、きっと食生活の変化ってのはあったと思います。

 たぶん、仏教とかで不殺生戒とかが説かれてるのには、
 ある意味そういった実体験に基づく智慧もあるんでしょうね。
 厳密に言えば野菜や穀物だろうと切ったり煮たり食べたりするのは立派な殺生ですし。

 その矛盾をどう飲み込んでいくか、っていうのは、お釈迦さんの突きつけてくれたテーマの一つだと思ってます。

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