さて、元々は一昨日アップしようと思って書いたこのエントリ。
でも以下書いてあることは、とってもイタタです。
宗教的に寛容でない方は、できれば見ないで頂けるとありがたいかな、お互いのために。
そんなヒト、そもそもこんなトコに来ないでしょうけどw
つーわけで
先日、そろそろweb巡回再開しようーなんて書いておいて実はまだ再開してなかった(※5/3現在)んですが(ぇー
つらつらと各所の過去ログをたどりつつ、そんな中でユウさんのブログみてびっくり。
チャネ停滞&内面を見つめ、自身の道を邁進するってメッセージ。
これ、まんま先日まで続いた(今も?)たわしの状況にもモロに当てはまってまして。
キーマンは↓この人(?)。
( ^-^)
以前一度だけここで出てもらったことのあるゴーさん。
認識できる限り最初のきっかけは、去年末にブックオフへ神との対話を探しに行った時に見つけた、「ブッダの道の歩き方」。
当時、著者のスマナサーラ長老のことは、名前も含めて全く知らなかったんですよ。
ただ何となく手にとって、何となく数ページめくって、ちょうどその時気になる言葉があったものだから、後日また出向いて買ったという。
で。
間違いなく「ブッダの道~」を読んでいなければ気にも留めなかったであろう、
同じくスマナサーラ長老の「怒らないこと」&「怒らないこと2」を買ったのは4月9日のこと。
そして読み終えたのは、4月20日ごろ。
うむ、このへん日記にちゃんとつけてるのさ(ぇー
この二冊を読んで、気付いたんですね。
「ああ、これはずっと自分が体現すべく試行錯誤しつづけてきた道、そのものだ」って。
がつんがつん、と。
長老の言葉が、道を遮っていた大岩に風穴ぶち開けるツルハシになってくれたんですよ。
ちなみに、大岩ってのはやっぱり自分自身(エゴ)ですw
そしてですよ。
さっきの「ブッダの道の歩き方」・「怒らないこと1&2」、それらの中で紹介されてたのが、
『スッタニパータ』
最古の仏教典だそうなんですが、詳しい経緯なんか知ってもしょーがないから調べてないです(ぇー
日本語訳としては「ブッダのことば」として文庫化されています。
これを、怒らないことシリーズを読了した後で自然とカートにポチってました(ぇー
で、この時( ^-^)が言ったんですよ。
キミもそれを読むべき段に来たよ、と。
どゆことよっつーかどうなんよそれ?と思いつつ商品到着。
読み進めて、もう。
まだ読了はしてないんですが、
訳註を除いて半分程度しか読み進めてない段階ですでにもう、言葉に出来ない小田和正状態。
♪らーらーらー、ららーらー
ただ間違いなく言えるのは。
上で言った、自分が体現すべくきた道とは、何か、ということ。
それは言ってみれば、釈迦の道。
釈迦になる道、って意味じゃないですよ。
二千五百年以上も昔に、お釈迦さんの示してくれた道、って意味です。
それで繋がったんですよ。
や、繋がったというか、確信したというか、
とにかくこの一連、川´ー`)よりもむしろ( ^-^)に誘導されてたってことを。
というのも、
ずっと前々から分かってて、でも公にするのもまた色々アレゲな気がしてたから伏せてきたんですが、もういいや。
ゴーさんの正体、お釈迦さんです(ぇー
いや、お釈迦さんだったこともあるエネルギー、って言うべきかな。
それでも誤解しそうだね。お釈迦さんを構成する一部だったこともあるエネルギー、らしいです。
3と5と8の数字の組み合わせに遭遇したときによく感じるし、
初認識も5時38分で、お釈迦さんの本名はゴータマさんだからゴーさん(ぇー
多分お釈迦さん本人そのものってわけじゃないはずですが、
ただ同時にスピ業界的な分類に敢えて当てはめれば、アセンデッドマスターってやつではあるようです。
まあ、そんな分類とか正直どうでもいいし、分類する気もないんですが。
他人がどう見ようとそれはその人の問題だし。
てめぇらの内で罪のねぇヤツから石投げやがれコンニャロー!( ̄д ̄#)
↑ヤケクソな上にそれはキリストです
つーかそもそも、もちろんそんなのホントかどうか知らないし確かめようも無いですもんね。
だからまあ、お釈迦さんとイコールなんじゃなくて、
お釈迦さんの流れを汲んだ何か、程度で見てくれた方が精神衛生上ありがたい( ̄∀ ̄;)
それなら、仏教という枠自体がもれなく汲んでるもんねw
けど、唯一つ言えるのは、
自分とは何物でもないことを踏まえた上で、何者として生きるかを徹すよう、仕向けられている。
現在否定ではない、ただハートの求めるがままの、精進の道に。
たわしの場合、その道は、今このエントリで上げたものがひとつ。
そして以前、別のエントリでチラッと、内容自体は明かしてませんが、「あるよ」とだけは触れたものがひとつ。
とりあえず現状、人生ゲームの明確な攻略ルートはその二つ、同時進行中です。
いや、攻略ルートってあくまで喩えですよ? 念のため。
思えばですね。
「ブッダの道~」を買ったのもある意味衝動的だったんですが、「怒らないこと」&「~2」は更にで。
財布の中身が少し心許なくなったから差し当たり預金を二千円ほど下ろした直後、ちょと今月は倹約しなきゃな~とか思いつつふらっと冷やかし目的で立ち寄った本屋で見つけて、気付いたらレジに持ってってたw
まさかこれ買わせるために預金下ろさせたんかい、とか勘繰ってまうくらいに(ぇー
スッタニパータの中で、特に強く響いた言葉がありまして。
「犀の角のようにただ独り歩め」
別の言葉で言えば、要するに『自灯明』であると、幸いにしてすぐに察せました。
web巡回を止めて沈黙していたのは、その覚悟と理解をより定着させるためでもありました。
それにしても、たとえばうみさんのブログも、最近仏教用語を使った説明やエントリが増えてますよね。
食についての話題にも不思議なシンクロを感じますし。
五感を超えた部分で、ユウさんやうみさん達とも繋がっているような、そんな気がしとります草葉の陰で(違
あーいや、根源的な事実として誰とでも繋がってるのよ~とかはこの際言いっこなしでw
ちなみに余談として。
「自分が歩むのは、釈迦の道なんだね」って気付いて確認で聞いてみた時、返ってきたのがこんな言葉でした。
( ^-^)「誤解はしないように。同じではありえないよ。だけど同時に、同じでしかありえない。
きみもぼくも、流れ行く一つのストーリーであるけれど、ストーリーですらない。
きみもぼくも、今、この瞬間にだけ存在しているのだから。
それをわきまえておけば、大丈夫だ。そうでなくても大丈夫だけど、大丈夫の上の大丈夫だ」
おまけ:「お釈迦さまの台座の花がなぜ蓮の花なのか?」
うみ URL 2011年05月05日(Thu)13時47分 編集・削除
あ~、実は私にもゴーさん来てましたです。あれね、記事ですが、自分、意味とか全部知らなったんですよ(;・∀・) あの仏教用語…
このとおり、私、仏教はヴィパッサナー瞑想の本でちょっとかじったくらいの知識なので、驚いたです(;・∀・)