「この人の、こんな所が好き」
と言ってはばからない人の中には、
「この人」が「こんな所」にそぐわない部分を見せると、途端に眉をひそめる人もいる。
「この人」が自己を表現するのに「どんな所」を見せたって、自由なのにね。
結局、眉をひそめる人が好きなのは、
「この人のこんな所」でも「こんな所のあるこの人」でもなくて、
「こんな所こそがこの人だ」と言わんばかりに『あるがままの「この人」』を覆い歪めてしまう、
自分の「色眼鏡」なんだ。
……もちろん「眉をひそめる」のもまた自由であり、そして個性って場合もあるから、一概に斬って捨てるものじゃないのは承知の上。
ただ、「その見方しか選択肢にない」という不自由な状態に陥っていないかどうかが大きな分かれ目。
とはいえ、かく言う自分にも、大なり小なりそんな部分はある。
後から気付いて「あちゃー」となるばかりではなく、その時に気付けるようにもなったのは幸いだけれど。
それよりもむしろ、どんな『色眼鏡』で見られても、
自分そのものはいつだって天然色、あるいは無色だとわかったこと、
そして、何より、自分自身をそんな本来の色のままで見られる瞬間が昔より圧倒的に多くなったのが、嬉しい。
<有漏地より 無漏地へ帰る 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け>
一休宗純