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言語という智慧

 他所では言葉の限界ってものを時々俎上にのせるたわしですが、
 しかしそんな言葉、というか言語や文字にも、もぬすんごく深い智慧が含まれてることも多いわけで。


 たとえば、坐禅の「坐」は土の上に人が二人。

 土というゆるぎない大地の上で、二人の存在が向かい合ってるわけです。

 この二人は何かっていうと、

「本来は幻であるはずの主観によって作られ、それが本物だと信じてしまっている(この世的な)自分」
 と
「内にある真なる(あの世的な)自分」

 つまり、坐禅ってのは内なる自分と対面し真摯に向き合う禅ってことになるわけですよ。


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コメント一覧

ponsun URL 2011年01月24日(Mon)05時01分 編集・削除

内にある真なる(あの世的な)自分

ここに出逢う旅、ですね

あまがっぱ 2011年01月24日(Mon)09時25分 編集・削除

確かにガチガチに固めてます…

せらつかっちかち@中の人 2011年01月24日(Mon)18時23分 編集・削除

>ponsunさん
 出会って、しまいにゃひーとつーになるー♪、と。
 終わりも始まりもないんでしょうけどねw


>あまがっぱさん
 だいじょぶ!たわしもがっちがちやねん!(ぇー

 ま、仮面舞踏会しながら固まってることに気付いているかいないかって、その差は随分あると思いますよぃ(´∀`)ノ