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叱るということ。

 
 叱る。

 道理に照らして間違っているものを、
 間違っていると指摘して、諭すこと。

 だから叱るのに、怒るのは必要ない。
 怒鳴りつける事が、叱る事じゃない。


 一方で。
 怒りを乗せたら叱ることにならない、
 ……というわけでは、必ずしもない。

 単に、怒りを乗せて叱ってしまうと、
 相手が心閉ざしてしまいがちだから、
 諭し、間違いを正すという目的には、
 普通は不適格というだけに過ぎない。


 ところで。
 
 叱りに同じ怒気を乗せてるのに、
 周りに受け入れてもらえる人と、
 受け入れてもらえない人がいる。

 その違いは何か、と考えたとき、
 ふと、「叱る」ための前提条件があることに気付く。 


 「叱る」という行為は、
 そこに込めるものが「情熱」でなければ、成立しない。


 相手の成長を願う期待や、誰かを慮る愛情や、
 手の届く範囲で物事や環境の進歩を促す意欲。
 他にもあるけれど、それら全部、情熱の一種。

 要するに、叱ることを怒ることと勘違いし、
 結局鬱憤を晴らすために怒鳴っているのか、
 相手や物事に対する情熱に基づいているか、
 それだけの違い。


 怒りでもいい、笑顔でもいい。
 ただ、情熱があるかどうか。

 相手の心に届くか否かを分けるのは、
 そこなんじゃないかな、と感じる。


 ――理屈で人の心は動かない。

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  • コメント(13)

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コメント一覧

せらつ@中の人 2011年10月20日(Thu)21時12分 編集・削除

 ま、情けないところも赤裸々にしつつ、
 かと思ったら面の皮も厚く澄ましたこと書きつつ、
 同時にこういう声を自分で自分に言い聞かせつつ。

 やっぱ一瞬一瞬で様々に色を変える自分が見えてくるし、
 一瞬一瞬で現れては流れを繰り返しているのがわかるから、
 なんだかんだでブログもやってて面白い。

 と、自己レス。(ぇー

さむらい 2011年10月21日(Fri)00時19分 編集・削除

推して量らんや

読んでますよ

sarasa 2011年10月21日(Fri)01時22分 編集・削除

うん、ミラクルに変化しますね。
相反するものが同居してる。説明できないか、むつかしー

…とか思いつつ、仕事をさぼって、お休み堪能しましたの今週^^

正観さんの本、手に入れましたですー。
本屋さんに足を運んで、あるものの中からこれかな?と選んだのは「ごえん」の本でした。
そしておそらく、年初に友人が、「今年は素手でトイレ掃除をするようにしたい」と言っていたのは、正観さんの本を読んで、話してくれたのだろう…とリンク。

うん、努力するより感謝しますです^^ありがとう。

ponsun URL 2011年10月21日(Fri)05時53分 編集・削除

「叱る」という行為は、
 そこに込めるものが「情熱」でなければ、
成立しない。

 相手の成長を願う期待や、誰かを慮る愛情や、
 手の届く範囲で物事や環境の進歩を促す意欲。
 他にもあるけれど、それら全部、情熱の一種。

そういうことなのでしょうね
無意識的に、怒っていることもあるようなので、
心したいと思います

ありがとうございます!

パン田 2011年10月21日(Fri)17時26分 編集・削除

本コメントは今日の記事内容とは若干離れちゃうかもしれない&長くなりそう、なので最初におことわりしておきます。

昨日の「正観さんの辞世の句」に書いた私のコメントに対するせらつかさんのレスに対するコメントです。(←長い!&ややこしい!

せらつかさんはあのコメントの中で「だからこのコメント読んだ時、何の誇張もなく、嬉しくて嬉しくてどうしようもなかったです。」とおっしゃっているのですが、せらつかさんが嬉しかったのは「もう黒モード手放せ!」と叱られた(?)ところにあるのではないと思うのですよ。

その文章に続いている彼女に関する文章から、せらつかさんは、私がせらつかさんを全面肯定しているのを感じ取って嬉しかったのではないでしょうか。

ひとって、なかなか自分で自分を全面肯定することができません。「これで間違っていないはずだ」と思っていても一抹の不安がよぎったりします。

自分を全面肯定できていないときって、その肯定できていない部分が相手に伝わります。で、相手がこちらを攻撃しようとするときはそこが攻められます(相手のレベルによりますが)。

そんなときに他人から「あなたは間違っていない」って言われると、「ああ、やっぱりそうなんだ」って、「自分は自分のままでいいんだ」って、ものすごーーーく安心します。たいていはほっとして力が抜けて、目から汗がいっぱい出たりします。


せらつかさんは、ブログで受ける印象よりもずっときまじめな方なんだと思いました。

「『自分だけの力や試行錯誤やらに頼ることに固執しなくてもいい』ってことを受け入れられるかどうかの境目みたいなもので」…ってあなた、固執しなくていいに決まってんじゃないですか! なにをごちゃごちゃ考えてんでしょ。

以上、推測以外の何モノでもなく、ものすごく的を外れている可能性もありますので、違っていたらそっとやさしく訂正してやってください。 (はぃ?

せらつ@中の人 2011年10月22日(Sat)21時38分 編集・削除

>さむらいさん
 (つд`)なんかもういろいろとごめんなさいありがとう。


>sarasaさん
 同居はしてるけど、同時に感じることはできないんですよねー。

 たわしの場合、特に最近はお休みがないのが嬉しいくらいで(ぇー
 もっとも正直なところ、たわしの中ではおしごととおやすみの区別はしてないんですけど。

 素手でトイレ掃除はおすすめですよし。
 冗談抜きでこころがすっきりします。
 ってか、まさにトイレ掃除のエントリも用意してる途中だったですよなにこの連シンクロww
 ありがとございます^^


>ponsunさん
 >無意識的に、怒っていることもあるようなので、
 それに気付いているって大事ですよねぇ。
 その上で、怒りを刈るために怒りを使わないってことも。

 ところで、スマナサーラ長老の『怒らないこと2』に、
 怒りは大きく10種類あるってこととその分類がありますが、
 普段、怒りってのを私たちはすごく狭い解釈しかしていないってのが、痛いほどわかります。
 もし読まれたことがなければ、ぜひおすすめですー。
 ありがとうございますー^^

せらつ@中の人 2011年10月22日(Sat)21時39分 編集・削除

>パン田さん

 いえいえ、
「兄弟の肩についたおが屑は良く見えるのに、
 自分の目の中にある丸太は中々見えない」
 ってなもんですわマタイさん(誰

 まー私事っぽい何かですが、
 しばらく前に加速度的に精神的エンジンの回転数が上がってった時、
 その余波で自分の中でそれに追いつけていなかった部分とのギャップからちょっくら不安定が生じてたのも事実でして。
 まあ、ひょっとすると一種の躁状態と言えるのかもしれません。

 それが一番現れてたのは食生活で。
 リアルにこれまでになく様々な角度からの頼られ現象がみょこみょこ湧いてまして、
 エネルギーが余計に必要にもなってたんでしょうが、とにかく乱れてて。
 ぜんぶたわしの未熟不明。

 そんなのが1、2週間も続いてみれば、まあおかげさまで「心の乱れは全て食生活を元とす」ってな誰かの言葉を改めて思い知ったりもしましたがそれは責任逃れみたいにも聞こえちゃう以上にぶっちゃけどーでもよくて(いいんか


 そうなんです。
 これでええのんか?って迷いとか、従来の惰性とのせめぎあいとか。
 誰でもそうでしょうが、まあ、たわしも肯定できている時もあれば、できていない時もあって。
 わかっている時にはわかっている事が、わかっていない時にはわかってないわけで。
 「いまここっ」モードの時もあれば、「いつどこー?」モードの時もあって。

 いずれも後者の時は、確かにパッシブによろしくない意味で無防備ですよね。
 知らず知らず柔らかい横腹丸見え。変に閉じるとこ閉じて中途半端に丸見えなもんだから余計に。孤塁抜かれ(それ違う


 ぃぇぁ、固執しなくていいんです。
 わかっているはずのことをストレートにわからせてくれて、ありがとうございます! 

 ほんとにわかってはるのんか!?なんてのは聞かんといて首縦に振ろうにも振れへんから(ぇー
 

 ともあれ。
 色んな、いやあらゆる方向からあらゆるものに人々に恵まれて、
 たわしは幸せ者だとつくづく身にしみております。


 ――この状況もまた、今確かに感じてる、強い変化のやはり一環という確信。



 ところで、きまじめってきくらげのしんせきですか(あえてしらばっくれてみる

くーこ 2011年10月22日(Sat)23時17分 編集・削除

完璧な人なんていなくって、
誰もが間違いを犯したり、
人を傷つけたり、傷つけられたり、
そんな繰り返しで、
でも、そんな繰り返しを経験すればするほど、
なぜか経験値は上がっていって、
他人の間違いを理解できたり赦せたりする器が
ドンドン具わっていったりで、
だから、
傷はつけばつくほどイイような気がします。
カサブタの時は痛いけど、
いずれ傷跡も薄れた頃にはなつかしい思い出で、
ひとまわり大きくなった自分に会えるから・・・

あ、どうもすいません。
通りすがりのたわ言です。

せらつ@中の人 2011年10月23日(Sun)04時34分 編集・削除

 あら、部長さんいらっしゃいませオチャドゾー(* ̄∀ ̄)_且~~~ (ぇ

 そこはもうあれですよ、
 武田鉄也の贈る言葉みたいな?(何

 一連の事に限らず、全てが成長の礎になってくれているのは解りきってもあるわけで、
 呼吸を落ち着ければどれもこれも漏れなくありがたさを感じるんですよねー。

 と同時に、それらみんなひっくるめて、今に意識を置き続けられるか試され、
 置き続けられるよう砥ぎ続けられてるとでも言いましょうかうまく言えないけど。
 例えるに、このたび新しく砥石が与えられた、みたいな。

 動も静も、安らぎも平安も喜怒哀楽も賢さも愚かさも、
 やっぱ全部プレゼントなんだとつくづく感じてはります。
 通りすがっていただきありがとうございます^^

 

 そいえば以前アクセスログに自問部さんの掲示板からのがごろっと残ってたことあったなぁ……(何


 

くーこ 2011年10月23日(Sun)12時16分 編集・削除

>あら、部長さんいらっしゃいませオチャドゾー(* ̄∀ ̄)_且~~~ (ぇ

あ、ご存知でしたか~(*゚ー゚)ゞ
では、遠慮なく(。-人-。)
あーんまんま。これは玉露??
イイお茶使っておられますね~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

せらつかさんの焼かれたパンもひと口いただけます?
あ、厚かましすぎ?(≧▽≦)キャッ


>そいえば以前アクセスログに自問部さんの掲示板からのがごろっと残ってたことあったなぁ……(何

( ゚艸゚)・;'.、ブッ

思い当たることがあるけど・・・それはそっと胸にしまっておこう・・・ブツブツブツブツ( ̄□ ̄;)

さむらい 2011年10月23日(Sun)18時04分 編集・削除

昨日某所にコメントしたAlyssaさんというのは、自分が親しくさせて貰っているひとなんですが

“今回の事”について、思いのまま書き綴ってしまい
今、とても反省しています

お二方を心配しての事だったのに上手く表現出来なかった様なんです

Alyssaさんに代わり、お詫び申し上げます

パン田 2011年10月24日(Mon)12時09分 編集・削除

どーもー、パン田です。

なんか、釈迦に説法と言いますか、だから何?みたいなことを書いちゃったような気がしてますが、どうだったんでしょ?

去年から、精神的にほぼストレスフリーな生活をしているので、自我さんたち(複数いるらしい)が退屈していて「ドラマ」と見ると食いつくようです。困った人達です。

キマジメはカタコリの別名です。
カタコリの球根からはカタコリ粉が… (?

せらつ@中の人 2011年10月29日(Sat)21時49分 編集・削除

>くーこさん
 いやーパンくらいいつでもどぞどぞw
 むしろ年中無休で販売していやなんでもありません(何

>思い当たることがあるけど・・・それはそっと胸にしまっておこう・・・ブツブツブツブツ( ̄□ ̄;)
 うーわーきーにーなーるーwww
 気になるからとりあえず拝んどこう! アリガタヤアリガタヤ(-人-)ナマンダブナマンダブ(ぇ


>さむらいさん
 いやいや、何を詫びることがありましょうかー
 って別に代理だからとかそういうことじゃなくて、
 本当にたわしは、何をどう書き綴られていたとて、全然悪い風には感じてませんから。
 たとえ彼女がこちらをどう見ていようと、どう思っていようと、
 一切お構いなしにたわしは嘘偽りなくそう断言します。

 それに、冷たく聞こえて気分を害されるかもしれませんけど、
 罪悪感(?)なんてのはそれを感じてる瞬間、
 自分でそう感じることを選択しているんですから。

 彼女はその程度充分わかっていると、たわしは観てます。
 だから、大丈夫です。
 その強さをさむらいさんが信じてあげてくださいな^^
 まあ完全に的外れなこと言ってるかもしれませんが、
 何にせよ、ありがとうございますですっ


>パン田さん
 しゃかにせっぽーどころか、さんずのかわながれですよっ(ぇ?
 いやまあある意味この世とは迷いそのものですなw
 ありがたいことに、都度前に後ろに導き導かれしあうお仲間がいてくれるわけですがブラウン管の向こう側~(何

 ちなみに自我さんは1匹見つけたら30匹はいます。
 バルサン焚くときはご近所に一声かけてからにしましょう。
 ちなみに二声目には天然戦士Gが誕生します。じーが。


 ……そーゆータイトルのマンガがあるのですよ(まじで