たとえば、
ちょっと物をぽろっと床に取り落としちゃったりしたときに、
普段何気なくやれてるはずの仕事がうまくいかないときに、
「ああもう、ちくしょう!」
とか思ったり言ったりしながらリカバーする、
ってなことが、いつの間にか全然なくなっちゃってるのよね。
その分、本当に自分に残ってる
「心の中で握り締めてるもの」
が、はっきりと際立って見えるようになっているのだけれど。
たとえば、
渋滞に巻き込まれたりしたときに、
ラッシュアワーの満員電車に直面したときに、
「なんでこんなに混んでるんだ!」
とか愚痴ったりイライラしたりして仕方なくなる、
ってなことが、いつの間にか全然なくなっちゃってるのよね。
その分、周りの人が抱えてる、
「思い通りにならない現実への苛立ち」
が、じっくりと観察できるようにもなっているのだけれど。
たとえば、
「今、心地よく居るか」それとも「心地よくなく居るか」、
そんな、自分の反応というものは、
大勢が信じるように、本当に自分では選べないのだとしたら。
自分に、自分の反応を選択する力が本当にないのだとしたら。
宇宙が、自分を創り出した必要性なんて、ないのだとおもう。
河内国之言珠媛こと敦 URL 2011年11月11日(Fri)13時55分 編集・削除
>自分に、自分の反応を選択する力が本当にないのだとしたら。
宇宙が、自分を創り出した必要性なんて、ないのだとおもう。
全ては自分次第だと思います。
幸せの敷居低いから、私は今日も幸せで~す。(笑)