てなわけで。
公私共にちと用事が詰まって中々更新できなかったものの、
おかげさまでどうにか南北くんも終わりまして、
まあ一段落とばかり優雅にブランデーを傾けとります(朝っぱらからかよ!?(嘘です。
ところで、ですよ。
この更新あいてた間、一日のアクセス数がそれまでよりも数倍になってたんですね。
昨日今日でようやく落ち着いてきましたが。
その理由ってのが、これ。
ここしばらくのアクセスログ、リンク元URLリストです。
他にも検索キーワードとしてログに残ってたのをさらっと拾い上げてみると。
「小林正観 訃報 死因」
「小林正観 死因」
「小林正観 死亡原因」
「小林正観 死亡 原因」
「小林正観の死亡原因」
「小林正観 死因 記事」
「小林正観 逝去 理由」
「小林正観 はなぜ死んだか」
「小林正観 なぜ死んだ?」
「小林正観はなぜ死んだのか」
「なんで小林正観は亡くなったの」
とまあ。
この正観さんの死因への関心の高さよ。
どんだけ気にしてる人多いのさwといいますか、
そんなの知ってどうすんのさ? ってのが、たわしの偽らざる感想ですわ。
まあ、中にはミステリアスなイメージを持って「○○の真相に迫る!」ってな三面芸能的な感じの人もいるんでしょうけれど、
そういったのを除けばほとんどは、
「自分にも起こりえるその死因を気にしなければ、不安でしょうがない」
という感じが根っ子にあるんじゃないかな、と個人的に感じてたりします。
今日はそこにたわしなりのあまのじゃっかーを突っ込んでみたいと思ふですよ。
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sarasa 2011年10月30日(Sun)14時51分 編集・削除
祖父はまさに「もちし」をしましたがー
…体が衰えつつある中、惚けたばあちゃんに出されたもちで天界に行けたのだとしたら、幸いだったかもしらん、と孫の私は思ったり。
死について話すのはむつかしーんですが、
死をおちゃらけたように扱っている訳ではなく、(外からは不謹慎なように例え見えても)、あるべきタイミングだったと、肉親として納得できるというか。ひょっとしたら生きている間の交流に悔いがないから、そう思えるのもあるかもしれません。
死因は選べんですが、死は必ずやってきますねー。