「誰が行うのか」は、重要ではあっても大した問題ではない。
問題にすべきなのは、「誰のために行うのか」だ。
前者は、手段。
後者は、目的。
手段と目的を取り違えると、
どんなシーンだろうと、何かが食い違いはじめる。
常に曖昧に。
周りを見ると、同じ仕事でも、
仕事内容や上司や部下やらの愚痴ばかり言ってる人って、
ほぼ例外なく、ただ自分の時間と言う財産をその場でお金に変えるだけの働き方しかしてない気がするんですよ。
逆に、愚痴るどころか皆の幸せを願って、つまり誰かの幸せの役に立つという目的意識を持っている人は、
笑顔だったり精力的だったり、いずれにせよ前向きに仕事に取り組むんでいるようです。
仕事という手段を、目的と取り違えているか、そうでないか、という差異がそこにはあるように思います。
仰られるとおり、省みて、事あるごとに意識を向けて生きたい部分ですね。
ありがとうございます^^
ponsun URL 2011年11月03日(Thu)10時28分 編集・削除
手段の目的化
よくありがちですね
反芻するなどして、意識を向ける
ことでしょうか
ありがとうございます