おお! mocaさんブログ復活とな!
おじいさん節をまた味わえるのはうれしいのう~ヾ( ̄∇ ̄*)ノ
実は最近は、とんと川´ー`)と『視覚的な』イメージを伴って繋がることがめっきり少なくなりました。
意図すればイメージも伴うんですけどね、その必要がなくなったというか、ともあれ僅かながらも一体化の進行しているような感触は何となくあります。
そんな中で今日、通勤途中に歩きながら空を見上げた瞬間、
何の前触れもなく突如として、川´ー`)からの短いメッセージが飛び込んできやがりました。
付随するいくつかのインスピレーションとともに。
本当は今日アップするために書き上げてた別の記事があったんですが、それは明日以降に回して急遽そっちのやりとりを衝動的に編集して紹介してみたり。
そのメッセージは、
「そのものになれ」
という、たった7文字。
……。
……って、なんなのさその「そのものになれ」って( ̄д ̄;)
川´ー`)「共にインスピレーションも渡したじゃろうが。言葉にして整理してみるんじゃ」
うー。
じゃあ例えば……今みたいに空を見上げている時は、自分が空そのものになったつもりでいろ、って感じか。
別の例にすれば、風景をめでているなら、風景そのものになれ。
誰か他の人と相対して応対している時は、相手そのものになれ。
そーいや、剣豪は意識レベルで相手そのものになることで、相手の挙動や意図を感覚的に察知して勝負を制する、みたいなのもどっかで見たなぁ。
川´ー`)「とりあえず問題ないの。ならば今日一日、それを念頭において勤務に臨んでみるのじゃな」
というわけで。
「そのものになれ」
これが今日の課題だそうな。
勤務中。
試行錯誤状態ながらも、心の中で意識しながら諸業務をこなしつつ、ふと問う。
んー……。
相手があって、風景があって、つまり、要は自分以外の何かになったと仮定、というか想定して……いや、言葉にするとなんかちがうな。
感覚的に同化して、って言うのが今のところ一番近いかも?
川´ー`)「おぬしの感じておる通りでええ。
重要なのは字面ではなく、本質、感覚、感情、波動じゃ。」
うん。
でさ、例えば同じような例でいくと、
紙に文字を書いているときはペンになれ?
テキストファイルを打っているときはパソコンになれ?
パンをこねている時はパンになれ?
皿を洗っているときは皿になれ?
川´ー`)「言いたいことは分かるぞ。自分で問うておきながら、違和感を感じておるの?」
そうそう。
川´ー`)「その通りじゃ。おぬしが今挙げた例は、全てある意味的外れじゃ。
もちろんそれらも決して間違いではないのじゃが、その先がある」
先、か……。
川´ー`)「作業しながら湧き出した違和感じゃからの、もう既に答えも感覚しておる」
感覚……あ、作業だ!
川´ー`)「そうじゃ。
現象、動作、そういった形有ると同時に形のないもの、それそのものになる。
手に触れるもの、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、それらの先には、それらも包括し統合した「動き」そのものが存在するの。
その有形とも無形とも分けられぬ「動き」そのものとなるのじゃ」
ああ、そっかわかった。
パンをこねているのなら、パンをこねるという作業そのものになれ。
皿を洗っているのなら、皿洗いという仕事そのものになれ。
そういうことか……。
川´ー`)「うむうむ。
歩いているときには、歩くという動作そのものになるのじゃ。
呼吸している時は、呼吸という現象そのものになるのじゃ」
そっかそっか、ヴィパッサナーで内観を掘り下げていった時、認識が外部を巻き込んでひっくりかえることがあるのと、要領としては似たようなものかー。
ああ、なんとなくわかってきた気がするー!
飲み込め始めたらなんか嬉しいもので。
おかげでわくてか。
きびきびはたらく。
……。
そんなこんなであっとゆーまに終業。
あーよく働いた、と、帰りの電車に乗る。
先頭車両のさらに先頭で、前方からレールと共に流れ来る風景を見ながら。
電車と共に移動してる自分、か……。
じゃあ、これは走っている電車そのものになれ?
川´ー`)「それ以上、じゃ」
以上……風景そのもの、移動そのもの、か。
川´ー`)「急ごしらえにしては随分とスムーズに感覚をシフトできるようになったの。
それならば、そこから更に進めるのじゃ」
更に?
川´ー`)「当然じゃ。更に先があるぞ。
……広げてみるのじゃ。『そのもの』を」
空間……移動しながら、空間そのものに……うん、なんとなく感じてる。
川´ー`)「もっと、じゃ」
もっと……。
……。
……あ。
(↑ここで、一度『自分』が完全に消えた瞬間があったのを認識)
あー!Σ( ̄Д ̄*)
そっか、知ってる!
これ、ワンネスだ!
川´ー`)「うむ、その通りじゃ。
『そのものになれ』とは、
地球そのものになれ。
宇宙そのものになれ。
形の有無、物質非物質、この世的な実在非実在には一切関係なく、
『全て』になれ、突き詰めればそういうことじゃな」
うんうん!
自分が相手になるということは、
自分がいなくなると同時に、自分しかいなくなるということだ!
あ、いや、それは一応把握してたつもりだったし、
実際にワンネスの感覚も何度か経験してきたつもりでいたけど、
今までのはまだ序の口だったのか……。
こんな、より深い実感があったとはね……。
んー、でもさ。
半端なく素晴らしいのはわかるんだけど……、
川´ー`)「なんじゃ?」
なんでだろ、あれだけの感覚だったのに、感謝が湧かなかったよ?
川´ー`)「……まだ、おぬしは少々勘違いをしておるようじゃの」
へ? ( ̄д ̄;)
川´ー`)「おぬしのそれは、
『感謝こそが最上にして無上、究極の祝福であり最高の波動である』
という固定観念じゃな」
うぁ? ( ̄д ̄;)
川´ー`)「感謝は、確かに素晴らしい波動じゃ。
じゃがの、感謝とは、感謝する者とされるものがあって、初めて成り立つ。
つまり、二元論的な領域における一つの極地じゃよ。
これをおぬしは頭では理屈ではわかっておったが、そこで理解は留まっておった」
う、確かに……。
川´ー`)「じゃが、今しがたの深化した感覚によってわかったじゃろう。頭ではなく、理屈でもなく、実感での。
拒むでない、認めるがええ。
自と他、全と個を真に超越した先には、感謝も喜びもなくなるのじゃ。
が、それこそが、二元論的な感謝や喜びすら越える、感謝や喜びそのものなのだということでもある」
(↑ここで、宇意さんの気配がさらに澄み渡った、周波数が上がったような感じに変化)
え? あー……でも、それを言葉でどう表現すれば……?
川´ー`)「わからぬか。今伝えた通りだ。
感謝や喜び、そのものになるのだ。
全も個もない、その全てとは、
敢えて言葉で表現すれば、極めて高い波動、完全なエネルギー、それそのものだ。
それはまさしく、『感謝』とも『喜び』とも『幸せ』とも『今この瞬間』とも、
いかようにも言葉では表現できるが、それら全てを完全に重ね合わせ調和させたものよりも、
更に純粋で、強烈で、穏やかで、劇的で、静謐で、広く深く、留まるところを知らぬ。
ゆえにそれは、『感謝』でも『喜び』でも『幸せ』でも『今この瞬間』でもないと同時に、
『感謝』でも『喜び』でも『幸せ』でも『今この瞬間』でもある。
つまりそれは、こういうことだ。
『全て』になった状態では、感謝はいらぬ。感謝そのものなのだから。
同じく、喜びもいらぬ。喜びそのものなのだから。
……十牛図は知っておるの。
あの7番目から8番目の間には、その違いがあるのじゃよ」
(↑ここでいつもの宇意さんの感じに戻った)
はー……( ̄д ̄*)ポカーン
川´ー`)「まあ、もちろん通常の意識状態における『感謝』の効能とでも呼べるものは絶大じゃぞ。究極的には感謝もなくなるとは言っても、日常生活でないがしろにするのは当然、到底おすすめできんの」
いや、まあ、そだねー……なんつーか、なんとも言い辛いけど。( ̄Д ̄;)
……ま、それはぼちぼち内的に整理していくとして。
しかしまた何で今日になってこんなこと?
川´ー`)「おぬしが昨日から集中してやっておったアファメーションがあるじゃろ。
あれによって、俗な言い方をすれば『波動が上がった』からじゃ」
へ? うっそ、あれそんなに効果あったん?Σ( ̄Д ̄;)
川´ー`)「おぬしの意識を日常の諸事に際しても高く保つ、という効果がの」
ってかあのアファメやってみそ、って勧めてくれたの宇意さんじゃん!w
川´ー`)(ニヤリ)
……とりゃえず、こんな感じで、只今少々たわしのなかで醗酵中みたいな状態でござる。
ちなみに、どんなアファメーションなのかについてはまた今度にでも。
まとまりない記事でほんますんまそん。m(_ _)m
コトノハ 2011年02月04日(Fri)21時41分 編集・削除
おおお...これまた超シンクロ記事です!
職場でいろいろあって丸一日も嫌な気分になってたのがいっぺんに吹っ飛びましたw
明日の仕事でも試してみよう...「そのものになれ」
あんまりコメントしてないけど、毎記事とても多くの気づきを得ています。せらつかさんの影響で粗食もはじめましたw
感謝、感謝です♪