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■第1章:入学、そして入部? ―― 第4話
「そっ、そんなことはありませんっっ!!」
あずさから放たれた台詞に、ゆいが即座にいきりたった。
拳を握ってガタッと立ち上がり、今にもあずさに詰め寄らんばかりの剣幕で。
思わぬ事態に拓実は焦った。背後で、ほのかもあわあわと困惑のそぶり。
しかし、発端であるあずさに動じた様子は一切ない。むしろ優しく微笑むと、
「うむ、その意気は非常に好ましい。そう言いたい気持ちもよく解る。だがまあ、落ち着いて聞いてほしい」
やんわりとゆいを押し止めた。
言葉と気配、そして、その底知れない瞳、それだけで。
呆けて力が抜けたようにゆいは椅子に腰を下ろし、拓実は内心で胸を撫で下ろした。
「少し考えてみるといい。幸せ、というのは突き詰めれば、幸せだという感じ、すなわち『感情』であり『心の有り様』だ。それはわかるな?」
ゆっくり、しかし一語一語に、何か確信めいたものが垣間見えるあずさの声。
正直その理屈をよく理解できなかったにもかかわらず、拓実はほとんど無意識に、軽く頷いていた。
「感情、そして心というものは、例えどんなに外部から力を加えられたように見えても、結局はその持ち主にしか変える事ができん。私の感情は私だけのものであって、お前達のものではない。逆もまた然りだ。最終的に心の姿を変える権利を持つのは、その心を持つ当人だけなのだ」
あずさは心の在り処を示すかのように、静かに片手を自分の胸に当てた。
「例えば他者や外部から不快に思う行為を受けたとしても、その行為自体は只の事象であって、最終的に『不快』と感じたのは他ならぬ自分自身でしかない。余程極端な事でもない限り、同じ行為を受けたとしても不快に感じる人もいれば、感じない人もいるだろう。同じ踏み切り待ちでも、のんびり微笑んで待つ人もいれば、イライラして待つ人もいる。間近を通り過ぎる電車を楽しげに眺める人もいれば、大音量に顔をしかめる人もいる。その反応の違いがこの事実を証明している」
ゆいは素直にふんふんと聞き入っている様子だ。
ようやく意味を飲み込み始めていた拓実には、経験上反駁したい部分がない訳ではない。
が、語るあずさの雰囲気は、その言葉に得体の知れない説得力を与えていた。
有無を言わせず、というよりも、有無を言うことすら憚られて、拓実は押し黙ったまま、耳を傾けるしかできなかった。
「また誰かが不幸と感じた出来事も、時が過ぎれば、あるいは別の誰かにとっては幸せだったという事もあるだろう。それらを分ける基準はその状況や立場によっても変わってくるだろうが、結局はそれらも事象を構成する一要素にすぎん。何となくで構わんが、理解できるか?」
「え……ま、まあ、理屈は……」
「言葉遊びと思うかもしれんがな。自分の心を変えられるのは自分だけ、つまり最終的に自分を幸せにも不幸にもするのは、他ならぬ自分だ。とある思想家の言葉に、こんなものがある」
拓実が少し戸惑いつつ返事すると、あずさは軽く微笑んで、再び板書しはじめた。
程なく書き上がったそれを、促されるでもなくゆいが音読する。
「悲劇や不幸というものは存在しない。そう思う心があるだけ……?」
「うむ……そしてこれは、幸せにもそのまま当てはまるとは思わないか? つまり幸や不幸というのは具体的な事象ではない。突き詰めればただの気持ちの有り様、心の置き所によるものでしかないのだ、と」
二人へと向き直ったあずさは、書いたばかりの文にトンとチョークを突き当て、どこか熱のこもり始めた声音でそう断言した。
垣間見える、どころではなくなった。
にじみ出る……否、あふれ出るかのような、確固たる自信と、情熱。
麗人の静かな迫力に、拓実は思わず息を呑んだ。
「で、我々の活動についてだ。例えば我々が誰かを幸せにしようと躍起になったところで、相手が幸せを感じようとしなければそれは到底叶わない。相手が幸せを感じてくれないからといってこっちが意固地になったり押し付けがましくなったり、あるいは見当外れな事をしてしまえば尚更だ。相手の為を想ったつもりの行いが逆効果だった。そんな経験はないか?」
あっ、とゆいが何かに気付いた声を上げた。ボランティア経験豊富な分、それなりに身に覚えがあるのだろう。もちろん拓実にもいくつか思い当たる節はあった。
「だが、今の不快感の例を逆手に取れば解るとおり、他者がその自身の心に幸せを感じさせるように、我々が仕向ける事はできる。強制的に幸せにする事はできなくても、幸せを感じてもらうよう誘導する事はできる。人の幸せを強引に管理、マネージすることはできないが、いざない、リードすることはできるのだ」
あずさはそこまで言うと、今度は先に書いた正式な部名、その中のある単語を丸で囲った。
「ここでこの『演出』に繋がる。テレビや映画を考えるといい。ディレクターや監督や作家は、観る者の心を笑いや喜びや驚き、清々しさや共感……ひっくるめれば感動へと誘導しようとする。そうでなければ面白くならないからな。その誘導こそが『演出』なのだ。そして……」
そこであずさは一旦言葉を切った。グラウンドの方角から運動部の掛け声が微かに届く。
不意の沈黙に、拓実とゆいの注意は一瞬、更にあずさへと強く傾いた。
それを見計らったかのように、
「うたいしえあ部の最も重要な領分、基本スタンスこそがこの演出、言い換えれば『先導』あるいは『後押し』だ。陰に日向に、誰かが幸せを感じるための助力をさせてもらい、結果として『ありがとう』という感謝を集める。それが我が部の目的だ」
「え……っとえっと、それじゃその、普通のボランティアとは例えばどんな所が違うんですかっ?」
ゆいが今度は大きく手を上げて聞いた。その雰囲気はどことなく興奮している……と、長年連れ添ってきた拓実には判る。何やら随分と感じ入る所があるらしい。
そして、その質問にあずさは満足げに微笑んでひとつ頷いた。
「うむ、先程も言ったが、我々の活動は何でも屋的なものから公共奉仕まで多岐に渡る。これという活動に絞る事はない。ありがとうを集めるのに原則手段は問わない。ただ、そこで重要なのが今しがたのスタンス、我々の心のあり方だ」
「心の……あり方?」
「例えば公共のごみ拾いをするとしよう。ある者は自然環境保護を、またある者は街の美観についてを念頭に据えてごみを拾い続けるだろう。だが、行為こそ同じでも、我々の考えは違う」
ゆいの呟きに、語るあずさの視線はなお一層、拓実の左隣へと注がれた。
拓実がふとそちらを覗くと、ゆいは目を見開き、これ以上なく真剣にあずさの瞳を見つめていた。
今まで目にした事のない幼馴染みの意外な横顔に、知らず、微かに胸が高鳴った。
「一側面を突き詰めて考えれば、ごみ拾いとはその場所の利用者が彼ら自身の心で清々しいと、ひいては幸せだと感じるように誘導、つまり演出する行為に過ぎない。我々のスタンスはまさにそこにあり、自然保護がどうの、社会環境がどうのなどという高尚な物ではないのだ。結果的にそこに繋がったとしても、な。入部し活動してもらうにあたっては、まずそれをせめて頭の片隅に置いてもらう必要がある」
今すぐには理解できなくともいいがな、と注釈を加え、あずさはそこまで言葉に宿り続けた熱を少し鎮めて、チョークを置いた。
ゆいの微かな吐息がひとつ、拓実の耳に聞こえた。
と、それで我に返った瞬間、ふと浮かんだ疑問。
「あの……」
「うむ。何だ、陣内」
「ひとつだけ気になったんですけど……最後のありがとうを集める、の違いは何なんですか? 言ってもらう、のままでも相手にそうなってもらうって事だと思うんですけど」
おずおずとしたその問いにも、やはりあずさは満足げに頷いた。
「うむ、いいところに気が付いたな。だがこれは残念ながら今説明することではない。入部して、実際に活動し目標を達成して、その時になって初めて意味が解るものだ。だから今は省かせてもらったのだ」
「そうですか……」
とはいえ強引に連れて来られた身。うたいしえあ部という場が『変ではあるが悪くはない』ものだと感じてはいたが、かといって積極的に参加しようという心境でもない。
なので実質的な回答拒否にも拓実はあっさり引き下がった。
が、しかし。
「じゃあ入部すればその意味もわかるんですねっ!」
一方、もう一人の拉致被害者(兼、加害者)は興味津々の模様だった。
臨界寸前まで瞳を輝かせ、どうやらあずさの意味深な口振りがさらなるゆいの関心を引き寄せたらしい。
「うむ、真摯に活動すれば必ずな。そして、得た意味は必ず一生、役に立つ」
「……うんっ、きめたっ! 一年二組神原ゆい、うたいしえあ部にー入りまっすっっ!!」
「ちょ!? ゆいお前っ!?」
...To be Continued...
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ponsun URL 2011年11月05日(Sat)07時50分 編集・削除
「感情、そして心というものは、例えどんなに外部
から力を加えられたように見えても、結局はその
持ち主にしか変える事ができん。私の感情は私だけ
のものであって、お前達のものではない。逆もまた
然りだ。最終的に心の姿を変える権利を持つのは、
その心を持つ当人だけなのだ」
「例えば他者や外部から不快に思う行為を受けたと
しても、その行為自体は只の事象であって、最終的
に『不快』と感じたのは他ならぬ自分自身でしかない。
余程極端な事でもない限り、同じ行為を受けたと
しても不快に感じる人もいれば、感じない人もいる
だろう。同じ踏み切り待ちでも、のんびり微笑んで
待つ人もいれば、イライラして待つ人もいる。間近を
通り過ぎる電車を楽しげに眺める人もいれば、大音量
に顔をしかめる人もいる。その反応の違いがこの事実
を証明している」
フムフム、と思わず納得してしまいます
このような部活があったら、よかったなぁ
と回顧してしまいそうです
ありがとうございます