ま、たまにはこんなもんも食べます、というお話。
外食自体そんなにしないんですけど、
たわしが利用する飲食店は、大抵が一見さん状態です。
気に入らないからリピートしないなんてことではなくて、
一つの店に繰り返し通うより、一度も経験したことのない店を発掘する方が基本好きでして。
そんな中で、時々、といっても1~2ヶ月に一度行くかどうかって頻度で足を運ぶラーメン屋さんに、笑福亭ってのがあるんですよ。
まー無節操なくらいwに創作ラーメンのラインナップを揃えてる店でして。
こだわり系のラーメン屋って、
基本となるメニューは一種類のみ、あとは量やトッピングとかが多少選べるだけ~
なんてのが多いのとは正反対。
で、お店のWebサイト見ていただければわかるんですが、
どうやら一番独特らしいのが、とんかつラーメン。
とんこつじゃなくて。
実際にこんな感じのです。
↓黒味噌とんかつラーメン
(プラス味玉子トッピングにコショウと紅しょうがと揚げにんにく乗っけてますが)
↓赤味噌とんかつラーメン
(こっちもプラス味玉子トッピング)
で、こんなちょっと余所とは違う方向性でアブラ部なラーメンばかりかと思ったら、
ちゃんとシンプルで上品っぽい塩ラーメンもあるんです。
……でも、
塩とんかつラーメンもありますw
ちなみに写真のは、
塩ラーメンにゆずの風味が加わった「ゆず塩とんかつラーメン」。
そんなこんなで、
総じて見れば結構コッテリめな部類のお店だと思われまする。
ただ、たわしがこの店にリピートするってのはですね。
店内の各所に、ラーメンが好きでたまらない店主の主張や、
あるいは感謝の思いが綴られてるからなんですよ。
たとえばトイレなんてこんな具合で。
↓
要するに、微笑ましく食べさせていただける、ってのが、お気に入りの理由。
で、ですよ。
このエントリはこっそり飲食カテゴリに入ってるわけなんですけれど。
普段肉食がどうのとか言っちゃいますが、
絶対食べちゃいけないってことじゃないんですよ?
もちろん、玄米とか菜食とか節食とかを通じて、
その効果や重要性はそれなりに身をもって実感してますし、
逆に肉食や油、大食の弊害も同様にです。
ここ最近特に、件のジューサーの恩恵が加わったのもあって、
従来より更にその食生活の差による心身への影響を理解できてます。
けど、ここからはお釈迦さんの言葉を借りますが、
肉を食うのが「なまぐさ」ではないんですよ。
せっかくなので、スッタニパータのある一節を引用して紹介しちゃいます。
『生き物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の邪悪な生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみするたちで、何人にも与えない人々――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の高慢、不良の徒と交わること――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえって彼らを害しようと務め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
これら生けるものどもに対して貪り求め、敵対して殺し、常に害をなすことに努める人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
魚肉・獣肉を食わないことも、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみれることも、粗い鹿の皮を着ることも、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、ヴェーダの呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
通路(六つの機官(※))をまもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。』
※六つの機官=眼・耳・鼻・舌・身・意、つまり五感プラス意識
「ブッダのことば―スッタニパータ」(中村元・訳 岩波文庫)より。
さしあたっては、頻繁に貪り、続けて繰り返すのが一番わかりやすい不徳であり、悪習しょうか。
肉や大食いもそうですが、
特にわかりやすい例が、タバコとかお酒とか。
たしなむのはいいんですけど、そこに「依存」してしまったら、
つまり「それなしではいられない」ようになってしまったら、
何かと好ましくない形でバランスを失するのは避けられないわけで。
坂道を転がる球は、転がり始めは止めるのは容易ですが、
加速度がついて、勢いが増せば増すほど、止められなくなりますよね。
そういう事態になる前に、歪みは歪みとして自分を律して、己とは何かを理解しましょうね、ってなことと言えるんじゃないでしょうかね。
そうやって「疑念を超え」たら、あとは食でも何でも、バランス取りつつ自由に生きてくのはそう難しいことじゃないよ、
ってな話でもあるのかもしれません。
パン田 2011年11月06日(Sun)13時00分 編集・削除
「なまぐさ」についてはあれじゃないですか?(何?
まー、ふつーにしててOK、ってことですよ、自分的には。
ラーメンやさんは在り方がほほえましいね!