常に曖昧に。
これは、いわば何の変哲もない物語。
血沸き肉踊るような大冒険などない。
縦横無尽に繰り広がる大騒動もない。
難解不可解迷宮入りな大事件もない。
ひどく胸を締め付ける大恋愛もない。
驚天動地の大どんでん返しすらない。
ただ普通よりちょっとひたむきに日々を過ごすだけの面々が、
それでも得難き大切なものを、少しずつ手に入れてゆく……、
そんな、物語。
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前回の続き。
食は命なり――。
ついに、相法の極意に開眼した南北くん。
その観相は、文字通りの百発百中の領域へと到達しました。
さらに、慎食によって運勢を改善できるという、
『節食開運説』
の確立により、いわば『開運コンサルタント』としての実績と名声も、
まさしくウナギノボリで高まってゆきました。
この頃南北くんは既に、地元大坂のみならず、近畿一円を中心に複数の拠点を持っていました。
それらを転々と巡りつつ、人々の観相や弟子の育成に力を注いでいました。
ここはそんな拠点のひとつ。
京都・南北庵。
∈( ・´-`・ )∋「さすがは高名な水野どのでおじゃる。麿の胸のつかえもすっきり取れたでおじゃるよ」
(  ̄д ̄)「なんの、俺は大したこたしてねーさ。お公卿さんが自分で本来の強く気高く高貴な心を奮い立たせる、そのためのきっかけを提示しただけにすぎないよ」
∈( ・´-`・ )∋「ほっほっほ、そうでおじゃろそうでおじゃろ~。しかし麿もさることながら、水野どのの力も大したものでおじゃるぞよ。では麿はこれにて帰るでおじゃる~、また来るでおじゃるよ~」
(  ̄д ̄)「はは、ありがたき幸せっす。またどうぞー」
公卿が上機嫌で退室すると、入れ替わるように八助と喜兵衛が入ってきました。
(◎∀◎-)「いやー先生、相変わらず絶好調でんなー。やっぱ百発百中の観相に開運コンサルタントっちゅう二本柱で、もはや先生の名声も磐石でおます!」
(  ̄д ̄)「鼻高々なとこ悪いけど喜兵衛さん。名声つったって、つまるところ人様の役に立てたって結果の副産物でしかないさ。そりゃもちろんありがたいことだけどな。
前も言ったろ、我を離れた心でなきゃ、観相家は務まんないさ。そもそもいくら百発百中したって、それが人の役に立たなきゃ、誰かの救いにならなきゃなんの意味もないだろ」
(=_=`)「……しかし、かような先生だからこそ、拙者たち弟子一同のみならず、先生の観相を求む数多の者たちが、こうして慕い集ってきているのでござる」
(◎∀◎-)「その通りでんがな! せやかて意外でおまんなー。いくら京の都ちゅうたかて、まっさかあないな身分のお方までもが観相やら人生相談を求めにやってきなはるやなんて」
(  ̄д ̄)「いや、悩みに身分の貴賎は関係ねーさ。迷いつつ生きれば誰しも、な」
(=_=`)「宮中人とて人は人。ゆえに相もあり、迷いもあり、悩みもある、ということでござるか」
(  ̄д ̄)「ま、そゆこった。リップサービスが効くのも人ゆえに、ってな」
そう言った南北くん。
ふと脳裏に、ある思い出が浮かびました。
(  ̄д ̄)「……人ゆえに、迷い悩みがあり、そして相もある……か」
(◎∀◎-)「? 先生、どないしはったんでっか?」
(  ̄д ̄)「……いや、俺の、南北って名前の由来さ」
(◎∀◎-)「由来でおまっか?」
(=_=`)「確か、海常大師匠より賜ったと、前に教えて頂いたでござるが」
(  ̄д ̄)「ああ。確か師匠はこう言ってた」
(゚┏ω┓゚ )「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(迷うが故に三界は城、悟るが故に十方は空、本来東西無く、何処にか南北あらん)。
ここより南北を賜いて、さらに我が姓を加えて水野南北!」
(=_=`)「本来東西は無く、南北など何処にもない……でござるか」
(◎∀◎-)「むぅ~、なんやイミシンでおまんなぁ」
(  ̄д ̄)「ま、今の俺なりに示すなら、こうかな」
紙と筆を取った南北くん。
さらさらと、一つの詩を記しました。
『東有東西南北 (東に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
西有東西南北 (西に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
南北各々亦然 (南も北も、また同じ。)
若夫得一隻眼 (もしそれを本当に己の見方で観られたなら、)
東西南北則在其所 (東西南北を、まさにそこに在らしめることができるんだ。)
非有非無亦有亦無』 (有るでもなく無いでもなく、有であり無でもある、ってこった。)
(  ̄д ̄)「……前に、相は無相こそ最高の相とするって言ったよな。それもそのはずだ。元々全てに相なんかないんだからな」
(=_=`)「しかし、先生も多くの人々の相を、確かに観てきたはずでござるが?」
(  ̄д ̄)「ああ。その通りさ。元々全てに相などないが、同時に、全てのものには相があるんだからな」
(◎∀◎-)「なんでっかいなそれ、わけわからんでんな」
(  ̄д ̄)「言葉や理屈じゃ矛盾するからな、それも無理はない。けど、有も無も、同じなんだ。
そうさ、それだけじゃない。俺たちも含めて全ては不生不滅、無始無終。ひとつの何かなんだよ」
(=_=`)(◎∀◎-)「……」
(  ̄д ̄)「そもそも、あらゆる不明も、恐れも、不運不幸も、迷いから生まれるのさ。
迷うからだめなんだ。
例えば価値観一つとっても、たくさんの人が迷ってる。
一番多い迷い、迷妄、誤解は『幸せは他の何かとの比較や、他者からの評価で決まる』ってやつだ。
ハッキリ言うぜ。
幸せは何かや誰かとの比較で決めるもんじゃない。
他人に限らない。過去や未来の自分だって、比べるものじゃない。
ましてや、他人の承諾や是認や肯定を必要とするもんじゃない。
今、自分で、今この一瞬の自分を認めて肯定する。幸せに必要なのはそれだけさ。
今の自分が在るのは、他でもない、まさしく今なんだからな。
……まあ、つまるところだ。
つべこべ言ってないで、黙って今一瞬の自分を生きろ、ってこったな。
相を観るための境地も、相を超えて無相に生きるための境地も、全部そこに集約されてんだからさ」
(◎∀◎-)「う~、そうは言っても迷ってしまうのが人情でおまんがな」
(  ̄д ̄)「じゃあ……これ見なよ。今俺が描いたこの絵、何に見える?」
(◎∀◎-)「うわっはは、これはまた不細工なネズミでおまんなー」
(=_=`)「……喜兵衛殿、これはクマではござらぬか?」
(  ̄д ̄)「いやまあ、俺としちゃメスライオンのつもりで描いたんだがな」
(=_=`)(◎∀◎-)「……(汗)」
(  ̄д ̄)「ま、とにかく喜兵衛さんにとっちゃこいつはネズミ、八助にとっちゃクマ、俺にとっちゃメスライオン。
だけどさ、よく考えてみなよ。
三人三様、千差万別、各々それぞれの解釈、つまり現実や判断、価値観があるってのに、その大元であるこの絵、つまり事象そのものは、何にも変わっちゃいないだろ」
Σ(=_=`)(◎∀◎-)「あ」
(  ̄д ̄)「師匠に学ぶ前の俺は、本当に迷いの闇路で途方にくれてたも同然だった。
だからそれこそ人の世の底辺でくすぶってたし、どうしょうもない死に様を迎えかけもした。
人生や世間っつーただの事象を、迷いの目で見てたからそうなっちまってたんだ。
だがそうは言っても迷っちまうってのはな、他人の、他人が勝手に作った価値観を、自分の価値観だと錯覚して、いいやむしろ絶対の真実として自動的に見てしまってるから、それだけにすぎないんだ。
そうじゃなく、本当の自分の価値観で物事を観るんだ。観るように訓練してけばいい。
もちろん、単に視野狭窄で強情なものの見方と取り違えてもらっちゃ困るぜ。
まず評価や価値判断の無い、ありのままで物事を観る。それが自由自在に出来るようになってから、あらためて己の内側からの声に耳を傾けるんだ。
そうすりゃ、おのずから本当の自分の価値観が確かなものになってくる。
そしてそいつは、自然に周りと調和し、周りに……そうだな、愛ってやつをもたらすものになるんだろうな。
少なくとも、俺はそう思うし、実際にいくらかは、観相を通じて、それこそ愛を誰かに与えることができたんじゃないかな、と自惚れもするわけさ。運命を上向きにして、幸せを感じてもらうことでな」
(=_=`)(◎∀◎-)「……」
(  ̄д ̄)「ま、要するに、だ」
(  ̄д ̄)「こう書き加えりゃ、こいつはたった今からメスライオン、ってこった」
(=_=`)「……ところで、ライオンとはいかなる獣なのでござろうか?」
(◎∀◎-)「……絵を見る限り、えらいトロそーな動物なんやおまへんか?」
と、八助と喜兵衛が途方にくれた、その時でした。
廊下を慌しく駆けてくる足音。そして……。
∈( ・´-`・ )∋「み、み、水野どの、水野どの~! 祝着でおじゃる~|」
(  ̄д ̄)「おぉぅ、何だい公卿さん。そんないきなり血相変えて飛び込んできて。おしろい塗ってるから顔色なんてわかんねーけどさ」
∈( ・´-`・ )∋「そ、そんなことよりでおじゃる水野どの!
水野どのの観相の御業、麿が陛下のお耳にお入れいたしたところ、この度陛下より、水野どのの業績をたたえ『大日本(日本一)』ならびに『相学中祖(観相学中興の祖)』の号とともに、従五位出羽之介に叙するとの旨、麿が伝達を承ったでおじゃるよ~!」
(  ̄д ̄)「……………………は?」
(=_=`)「先生が……従五位……大日本?」
(◎∀◎-)「ほなら……先生が、お公卿はんに……?」
その日。
夜が明けるまで、南北庵は大騒ぎとあいなりました。
――かくして。
観相家として、名実共に日本一の頂点に立った南北くん、
いや、水野南北、その人は。
終生観相一筋、 また自ら節制を徹し続けた結果、
友や弟子たちに囲まれ、豊かに、かつ大変充実した人生を全うしました。
皇室の引き立ても受け、晩年には広大な敷地と複数棟の蔵屋敷を有する大資産家にもなりながら、
その生活、特に食生活は徹底して質素であり続けました。
これは、自らが提唱した摂食開運説、すなわち慎食の教えを推し進めるべく、
自ら人々の手本となるためでもありました。
水野南北が亡くなったのは、天保五年(1834)、十一月十一日。
大坂・道修町、小西邸の奥座敷にて、喜兵衛達高弟に見守られ、穏やかに息を引き取ったといいます。
享年七十五歳。
男性の平均寿命が40歳台といわれた江戸時代において、これは非常に長寿であったと言えるでしょう。
彼が遺した『南北相法』などの書籍は、
現在でも観相を志す者なら必ず目を通さなければならないとされるほどの名著とされています。
福沢諭吉は、あの有名な『学問のすすめ』にて、次のように述べました。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。
人は生まれながらに、貴賎上下の差別はない。
けれども今この人間世界には、確かに、賢い人愚かな人、貧乏な人金持ちの人、身分の高い人低い人とがある。
その違いは何だろう? それは甚だ明らかだ。
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによってできるのだ。
人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、
ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。』
しかしそれよりも先んじて、
水野南北は、このような言葉を残していたのです。
『人の貴くなること、また賤しくなることは、みな飲食の慎みにあるべし』
南北いわく、食べ物は生命の源であり、生命は食べ物にしたがい生じるもの。
すなわち食は命であり、命あればこそ、ようやくその上に学問も成り立つのは自明です。
彼自身、無学を自認するがゆえもあり、もちろん学問の重要性は認めながらも、
しかし学問よりも更に根本的なところにある、シンプルかつ重大な事実を見抜き、
それを万人に通用し、万人の運命を土台から改善しうる方法として説き続けたのです。
それは、明らかに『観相家』『観相学』の域にとどまるものではありませんでした。
まさしく、生々しいまでの「にんげん」への熱い想い、
いわば普遍的な人間愛という目線によるものであったのは、想像に難くありません。
最後に、作家・神坂次郎氏が、
著書「だまってすわれば」のあとがきにて記した水野南北評を引用し、この物語の締めとさせていただきます。
『南北の命運学の面目は、「適中を誇るべきではなく、人間を救う」ことに重点をおいたことであろう。
南北が偉大なのは、ここである。』
これをもちまして、
ナンボククエストことストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース、完結と相成ります。
長らく目を通していただき、お付き合いいただきまして、
まことに、まことにありがとうございました。
■参考文献
・『だまってすわれば―観相師・水野南北一代 』(神坂次郎箸 新潮文庫刊)
・水野南北『食は命なり』
・開運の秘訣は食にあり
・北京堂鍼灸治療院さん:南北相法現代語訳、『相法早引』現代語訳序文
・若く長生き! 幸福生活養生法さん:水野南北
――他多数。
(  ̄д ̄)<みなさん本当にあざーっしたー!
(゚┏ω┓゚ )(=_=`)(◎∀◎-)
(´ム` )(=д= )(=“゚ω゚”)
(メ●д▽)(=゚л゚)(´・ω・)(`д´メ)
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前回の続き。
満を持し、伊勢神宮へと訪れた南北くん。
自らが掲げる『天の相法』を極める目的の旅でもありましたが、
それ以上にむしろ、命とは、生とは、運命とはそもそも何なのか、
そして、それらを真に司るものとは、一体何であるのか、
今こそはっきりと見極めたい、という強い思いに突き動かされていました。
豊受大神を祀る外宮に参拝し、進路を内宮へ。
五十鈴川の畔で足を止め、
その先の内宮正殿に祀られし天照皇大神へと思いをはせた、南北くん。
ここならば、と、川の水で禊を済ませ、断食と瞑想の荒行に入りました。
(  ̄д ̄)「掛けまくも畏き天照皇大神……あまねく照らす太陽の、宇宙の神。
そうだ……人は皆、天からの火を受けて生まれ、天の火を身にとどめて生きている。
……だから『火止(ひと)』と呼ぶんだ。
それは天より与えられた、天の理によって全て生かされている、ってことに他ならない……。
人に限らず、草木の一本、虫や魚や鳥や獣の一匹、全て漏らさず、だ」
観相に関わって数十年。
膨大に積み重ねられてきた、運命哲学とでも言うべきものを、
その数々を、南北くんは一人静かに、改めて振り返り、織り上げ続けました。
それらが指し示し、交わる先にあるはずの……「何か」を求めて。
(  ̄д ̄)「だから、天の相法とはすなわち、天の理に従い、天の理を観ることだ。
そして、天には天気、天の気があるように、人にも人の気、心の気がある。
心の気こそが、『にんげん』として直接的に現れる、全ての相の原型になってる。
……そこまでは問題ない。もっと掘り下げるんだ」
来る日も来る日も、幾度となく繰り返す自問自答。
過去、現在、未来……あるいは空間。
自らを構成する全てを感じながら、南北くんは己の内へと深く、深く潜り続けます。
(  ̄д ̄)「そうだ……考えてみれば、天の気、太陽の気を健やかに受けるときは、人の気もまた陽で、健やかに勢いを得る。
つまり人間も一つの小宇宙なんだな……天の気の勢いが陽光に乗って現れるのと同じで、人の気の勢いもまた相に現れる……心の趨勢によって顔の相も変わる。この変化を掴むのが、観相の基本だ」
自らが辿ってきた道を、今まさにもう一度、一歩一歩踏みしめ直すかのように。
(  ̄д ̄)「天の相法……吉凶を見分けるだけでなく、その人の『命の運ばれ方』を正し、
より天の理に添って『生きる』べく、俺がやってきたこと……」
観相を通じ、無数の人々に運命改善の道を施してきた南北くんでしたが、
しかし実はまだ、僅かな迷いがありました。
いや、それは迷いと言うよりも、
『解ってはいるが、確証がない』状態と言った方が正しいかもしれません。
そうして、荒行開始から数週間が経過した、ある日。
(  ̄д ̄)「……? なんだ、別の参拝客の団体か」
川辺で座り込む南北くんの傍を、お伊勢参りの集団が通りがかりました。
――その時でした。
すれ違いざま、先頭を歩く観光ガイドの言葉が、
断食の空腹で遠ざかっていたはずの南北くんの聴覚に……なぜか、はっきりと届いたのです。
川´ー`)「えー、先ほど参拝いたしました外宮に祀られております豊受大神は、別名を御食津(みけつ)神と申しまして、全ての食物を司り――」
Σ(  ̄Д ̄)「!!!!!!!!!!!!!!!!」
強烈なシンクロでした。
無知無学を自認する南北くん。
ここに来る直前に参拝した神様こそ、
実は食の一切を統べる神だということを一切知らなかったのです。
(; ̄д ̄)「間違って……なかったんだ……!!」
全身を雷に打たれたかのごとき、鮮烈なインスピレーション。
南北くんは、声を震わせて叫びました。
(  ̄Д ̄)「天の相法は、食の相法……!
やっぱり食なんだ……そうだ、すなわち、『食は命なり』!!」
それは、『食』を中心に据えることによって『運命』の車輪を脱する観相。
おそらくは世界史上初めて、どの観相家も成し得なかった画期的な道が、
はっきりと拓かれた瞬間でした――。
荒行上がりのボロボロの風体で、急いで伊勢から帰宅した南北くん。
インスピレーションに任せるがまま、何かにとりつかれたかのように執筆へと全力を傾け始めました。
(; ̄д ̄)「今を逃せば、この頭の中に湧き出してくる文章が永遠に消えちまうかもしれない……書かなきゃ、書かなきゃ……!」
そんな、一種恐れにも似た衝動を、一切抑えることなく。
こうして出来上がった書、
『南北相法修身録』
の中で、南北くんは次のように語っています。
(  ̄д ̄)「人倫の大本は『食』だ。
誰でもちょいと考えりゃわかるはずさ。人は皆、飲み食いした物を元にしてできているだろ。
食のあるところに命あり、命あるところにまた、食がある。
つまり命とは食によって起こり、食によって生きるものだ。
どんな良薬を駆使したって、食べ物がなきゃ身体を保てないし、とても生き続けられない。
だから、真の良薬ってのは、『食』そのものなんだ。
ほら、『食』って字は、『人に良いもの』って書くじゃないか」
(  ̄д ̄)「すると、命を運ぶもの、つまり運命もまた、『食』によるってことになる。
かつての俺は、観相をするにあたって、この『食』を観ていなかった。
そのせいで、長寿福相の人が落ちぶれてあっさり早死にしたり、
逆に短命悪相の人が長生きして繁栄したりすることもあって、百発百中とはいかなかった。
だけど、運命が食によって決まることを悟ってからは、本当に外れがなくなった。
それはその人の食生活を聞いてから、観相するようになったがために他ならないんだ。
よって、食を観ることが、天の相法の奥義なんだ」
(  ̄д ̄)「肉・酒・砂糖などの美食や、大食に明け暮れる奴は、
それらがみんな醜い心身となって、結果的に一生を棒に振る。
そもそも、大食やら酒やら肉やら油なんてのは消化に内臓の力をたくさん使うだろ。
砂糖だって、消化にいいとか言われているけど、実は体全体に与える負荷はバカみたいにデカイんだ。
だからそんなのを無闇に摂りすぎれば、誰だって必要以上に眠くなって、起きていても心身がだるいまんまになる。
大事な五臓六腑を馬車馬か奴隷のようにこき使ってんだから、当然の帰結だよな。
必然的に、限られた人生の時間を大量かつ無駄に浪費しちまうわけだから、
世間的に立派なことを成し遂げるだなんて、夢のまた夢に成り下がっちまう。
簡単な道理だろ?」
(  ̄д ̄)「『天は無禄の人を生ぜず』って言って、誰しも必ず、天からの恵み、天禄を受けている。
けど、その一生分の天禄の量には分限、限りがあるんだ。人それぞれ多い少ないはあるがな。
で、身の程を超えた大食や美食は、まさしくこの天禄を余計に食って費やすってことに他ならない。
それを繰り返せば、要は『天への借金』がかさんでいくから、
何らかの形で返済しないでいると、本人自身に不要な苦労や災いが降りかかるのさ。
それでも返しきれなけりゃ、その子やら孫やらまで返済義務を負わされることになる」
(  ̄д ̄)「いいか、吉凶を左右する大本は、食生活だ。
どんな良相でも、分限以上の酒肉や美食に明け暮れる奴は、不運に終わる。
そんな食生活を続けりゃ、体中が細胞レベルで緩んで腐った気を吐き始める。必ず心も荒んでくるのさ。
気とか天禄なんて言わなくても、収入が少ないのに外食を繰り返せば貧窮するだろ。それと全く同じだよ。
どんな悪相でも、食をしっかり慎めば、立派な上に裕福な境遇で栄えるのも夢じゃない。
ただし、いくら粗食っつっても、大食いで食事のリズムも定まらない奴にそんな可能性はないぜ」
(  ̄д ̄)「そうさ、大食だって戒めるべきさ。
単純にエンゲル係数高けりゃ家計が火の車ってのも美食と同じだし、
観相の視点から言えば、そういう奴は一生身持ちが悪くて生活が安定しない。
食事のリズムや内容が全然定まらない奴も一緒だよ。
そういうのは、一生苦労や心労が絶えないまま、
生活の中で安心するということができずに終わる可能性が高いものさ」
(  ̄д ̄)「とまあ、脅すような暗い言い方ばっかりしちまったけど、
全部逆方向から解釈してくれればいい。
つまり、食を慎めば、天禄を浪費せず、逆に天への貯金となって、いずれ何らかの大きな幸福の形で帰ってくる。
健康長寿かもしれない。金銭かもしれない。
社会的成功かもしれない。伴侶や子宝かもしれない。
あるいは、絶対的な安息の境地かもしれない。
本人に帰らなくても、子々孫々に繁栄をもたらすことさえあるだろうさ。
要は『食が正しければ、心正しくなり、体も正しくなる』
よっておのずから、『運ばれてくる命、運命もまた、正しくなる』ってこった。
わかったか?
災いと幸せとの分れ道が、日々の飲食にはあるんだ。
毎日の営みだからこそ、絶対にバカにしちゃいけないぜ。
悪い運命を幸福な運命に変える鍵もまた、食にこそあるんだ!」
南北くんは一貫して、飲食の重要性を説きます。
人として最も基本的で、最も重要な営みである、『食べる』ということ。
あまりに単純すぎて多くの人が気にも留めなかった原始的な行為こそが、
まさしく運命を左右する根幹であると喝破したこの書は、世間に強いインパクトを与えました。
……かくして。
当代髄一どころか、事実上、史上最も偉大な観相家の一人として円熟の域に達した南北くん。
やがてその彼が、ついに、
「名実共に」日本一の座へと就く瞬間が、すぐそこまで迫っていました。
つづく。
次回、ナンボククエスト最終話、
「東西南北中央不敗・マスターナンボク、暁に死す」
さらば南北。君の事は忘れない。嘘です(嘘かよ!?
前回の続き。
観相家としての南北くんの勢いは、留まるところを知りません。
(  ̄д ̄)「目ってのはな、清浄なる心の窓にして、精神つまり神の精の通い路にして、また人体でも特に感情の集う器官だ。
眠ってるときには何処にあるかも判らない人間の『心』は、目が覚めれば文字通り、目に再び留まる。
つまり目は相を観るときにも重要な『窓』になるのさ。
たとえば、勢いのある人間の目は輝きが強いし、俺ら観相者の目を正面から見据えてくるが、逆に悩み多く気力の弱った人間の目は暗く淀んで、相手の目を正視できない。
これは俺の極道としての経験からも言えるが、目の定まりが正しくまっすぐなら、そいつは心も正直でまっすぐだ。けど目が定まらず、落ち着きなく常にきょろきょろしてる奴は、心に邪なものがある。盗人なんかがいい例だな。
それに、精神集中して何かを見つめる時は、ほとんど瞬きもしないだろ。精神、つまり文字通り神の精、神の気を目の一点に集めるからなんだよ。逆に瞬きが多いときは、精神力が薄く心が浮ついてたりするもんだ。
つまり、その人の性格、根性、心の清濁、それにその時々の感情は、ことごとく目に表れる。
いいか、人の顔でまず観るべきは目だ。目で顔の相の七割は決まるぜ。
もちろん、我を離れて『観』なけりゃ、手前勝手なフィルターをかけて大失敗しちまうのは忘れるなよ」
(・o・ )(・o・ )(・o・ )「はーい」
喜兵衛別邸における日々の講義を経て、弟子たちも観相家として目の覚めるような成長を遂げてゆきました。
その弟子たちが、やはり観相を通じて、さらに多くの人々の運命を改善してゆく……南北くんの理想は、南北くん一人だけでは決して成しえない大きさで、しかし確かに実現の根を広げて続けていました。
また平行して、南北くんは件の『南北相法』の後編にあたる全五巻を完成させます。
講義の内容を弟子たちがまとめた前編と違い、
後編は南北くん自身が執筆、長年の実学で積み上げた観相における自らの見識を、
人体各所のみならず、暦、土地、方角など、微に入り細に入り様々に分別し、
それら一つ一つに対して事細かに解説する形で明確に記す形を取っています。
それが、享和二年(1802)のこと。
ところで。
この『南北相法』に記された、天明八年(1788)当時の南北くんの弟子は、
地元大坂だけでもなんと160名以上。
他にも東北から九州まで全国各地、中には地元では右に出るもののいないとされた、
当時の名だたる観相家たちが多数、南北くんの弟子として教えを乞うたとされています。
最終的に、弟子名簿へと記された名前は実に583人。
その内には更に数十人、百人以上の弟子を抱えた人物も複数存在するため、
孫弟子まで加えると、水野南北という観相家の門人は、ゆうに千人を軽く超えることになります。
ですが。
(; ̄д ̄)「しっかし、さすがにこれじゃ講義するにも手狭だわなぁ……」
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(-_- )Zzz..
(=_=`)「決して狭い屋敷ではないでござるのにな……門弟の中にも、窮屈すぎて講義に身が入らぬという者も出始めてござる」
(◎∀◎-)「ほなら先生、この際どーんと、もっと広いとこにお屋敷でも建てたらどないでっしゃろか? せっかくやから、門弟全員で寝食を共にできるくらいデッカイやつを」
(  ̄д ̄)「そっか。確かにそれが一番手っ取り早くて確実な手段だな。よし決めた」
提案に、善は急げと南北くん。
大勢の弟子たちが集える拠点となり得るだけの土地と屋敷を買い求めました。
実際、そのころの南北くんには、それだけの財力が備わっていました。
毎日の見料、つまり観相料金による収益だけでなく、
「悪相を良運へと導く」、南北くんの『天の相法』によって心身を救われた人が、、
謝礼として寄付を申し出るケースも珍しくなかったのです。
南北くん自身、日々粗食で食費も大してかさみませんし、
生来が無頼の徒で酒好き女好き博打好きではありますが、
それでも自ら観相の道を極めるべく程々に慎んでいるため、結局お金は貯まっていく一方です。
割合大きめな個人的出費と言えば、せいぜい、所用や見聞のための旅費程度。
来る日も来る日も、ひとつずつ、ひとつずつ、
ただ目の前の観相に心を集中し続けてきた結果、
いつのまにかこれほどのものが南北くんの元へと流れ込んできていたのです。
(  ̄д ̄)「しっかし、どうしたもんかねこの銭の使い道。溜め込んでもあの世にゃ持ってけねーしさ。
かといって弟子連中を養うための蔵を建ててもまだまだ余るし、なんか使い道は……そうだ!」
思いついたのはやはり、南北くんのできることであり、南北くんにしかできないことでした。
あの『南北相法』を、判り易いように要約したハンドブック、
とでも呼ぶべき『南北相法早引』を執筆し、
観相師を志す全国の若者たちのために無償で配って周ることにしたのです。
その数、千冊。
併せて、昔のように諸国の街頭に立って、
やはり無料で千人分の観相を行うことにもしました。
名目は、師匠・水野海常の追善供養として。
(゚┏ω┓゚ )「……え? ワシ死んだの? いつのまに?」
(  ̄д ̄)「ほらほらおじいちゃん、棺桶には去年入ったでしょ」
(゚┏ω┓゚ )「そうじゃったかのう。葬式はまだかのう……ってボケ老人ちゃうわい!」
(  ̄Д ̄)「おお、師匠のノリツッコミ初めて見た!」
霊界チャンネル遮断閑話休題。
かくして、敢えて弟子たちの手伝いも断り、
かつての修行時代同様、深傘と坊主姿に身を包んだ南北くんは、
無料の千人観相と施本を、ついにたった一人でやり遂げました。
この奉仕行脚を終えた南北くんの胸の内には、ある一つの想いがありました。
(  ̄Д ̄)「不思議なもんだよなぁ。若い頃は自分の事だけしか考えずに、挙句死にかけたこの俺が、だよ。
今じゃ何だか、いつのまにか世のため人のためになるようなことを、自然にやってるみたいだ。
久々に旅をして改めて感じたよ……金もそうだが、物も、縁も、お天道様も、みんな廻り廻ってる。
人だって、その体も、心も、同じように見えても、二度と全く同じ形、同じ『相』を持つことはない。
観相一筋でやってきたからこそ、今になってそれがよくわかる……」
陽は昇り、やがて沈み、そしてまた昇る。
誰しもが産声をあげてこの世に現れ、そしていずれ必ず息を引き取る。
それら「絶対不変にして普遍の変化」のかたち――『相』を、
南北くんは数十年、最早数え切れないほど間近で観て、触れ続けてきました。
まさしく森羅万象、天地自然の『相』、そのものの中で。
否、そのものとして。
(  ̄Д ̄)「それを確か、お釈迦さんは諸行無常って言ったんだっけな。
じゃあその『無常』なこの『命』ってのは、その命を運ぶ『運命』ってのは、
その運命をなぞって『生きる』ってのは……そもそも一体、何なんだろうな……?」
観相家としてでなく、ただ一個の、生命体として。
観相への追究という枠を超えた、命としての問いかけに突き動かされ……南北くんはついに決心しました。
(  ̄Д ̄)「……よっし、修行するか!」
文化九年(1812)の春。
時に水野南北、55歳。
人生の集大成とも言うべき修行の旅へと、その一歩を踏み出しました。
目指すは――伊勢神宮。
つづく。
次回、ナンボククエスト第十七話。
「極意開眼・食は命なり」
をお楽しみに。嘘じゃありません。