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記事一覧

禅とスティーブ・ジョブズ

 今日は正観さんの告別式です。

 その正観さんの訃報を伝えた先日のエントリにて、
 ponsunさんのコメントでスティーブ・ジョブズ氏の名前を見たとき、
 下記二誌三号のメルマガの記事を即座に思い出しました。



■ロシア政治経済ジャーナル
2011/10/08【RPE】★ジョブズをささえた日本人メンターと●

2011/10/10【RPE】★スティーブ・ジョブズ、成功と幸せの3原則

■JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル
2011/10/14 Wing-Mag No.1892 ジョブズ氏が残したメッセージ(丸山公紀



 ここでたわしがあれこれ語るより、是非時間をとって上記全てのリンク先に目を通して見てください。
 そこに何か感じるものがあれば、もうこのエントリの役目は100%完了です。



 ――今日が人生最後の日だとしたら、
   今日行う予定のことを、本当にしたいと思うだろうか?

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何度でも

 今日はもうエントリ上げるつもりはなかったんだけど、
 ちとタイムリーなネタに出くわしてしまったので。

 ついさっき、アクセス解析を見ていて気付いたひとコマ。


 ファイル 528-1.jpeg


 偶然とは思えない、解析ログ数と検索ワードの隣り合わせ。


 お通夜は今日です


 一昨日以降、正観さん訃報関連の検索キーワードで
 訪れて頂いた方がちらほらいらっしゃるようで、
 そのリンク元を辿って検索エンジンを流し見てみたんですよ。


 本当にたくさんの人々が、正観さんを悼み、惜しみ、

 そして、正観さんが常々語っていたとおりの教えを、

 「死は不幸ではない」「幸も不幸も存在しない」
 ということを悟っていました。


 なにより、誰しもが

 「正観さん、ありがとう」と。


 福岡のSKPショップ・くれいん舎さんの日記によると、
 「正観さんは、おだやかな、まるでほほえんでいるようなお顔で、横たわっておられました」
 とのことでした。


 生き様と死に様。
 別々のようでいて、二つは全く同じもの。

 それを、正観さんは最期まで、
 肩肘張って示そうとはせずに、しかしどこまでも示しきってくれました。


 何度でも、伝えたくなります。

 ありがとうございます、と。
 

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「■喜■憂」:■に入る漢字を答えよ

 一喜一憂、プラマイゼロ。

 これじゃ無限の喜びには程遠く。尚遠く。


 山のあな、あな、あな(ry






 閑話休題。



 じゃあ、

 一喜一憂を手放して、一喜一憂しなくなると、どうなりますか?


 零喜零憂?

 それって単なる無感動、無感情、無味乾燥?

 それじゃやっぱりプラマイゼロじゃない?


 普通はそう考えるわけで。

 これまで世間は、みんなにそう教え込んできたわけで。

 だから誰もが敬遠するんだよね。



 でも、それは実は上っ面だけの誤解、フェイクで。



 面白いことにね。

 一旦まっさらの、本当の零喜零憂にたどり着いた時から、

 その後は、零喜零憂にいる間中、

 喜だけが勝手に、一つずつ増えていくようになるんだ。



 零喜零憂が一喜零憂になり、二喜零憂になり、

 気がつくと、百喜零憂になっているんだ。



 面白い法則なんだよね。

 どうしてそうなるのか、

 なぜそんな法則が実際に成り立っているのか、

 その原理は理屈じゃよくわからない。

 でも、そんな不可思議な原理を、

 ある人は「無為」って名づけたんだ。



 だからね、気をつけたほうがいいよ。

 一喜一憂しか知らない人は、

 百喜零憂してる人、無為の人を見ても、

 愚か者だと思って軽んじたり、

 そんなのありえないって疑って否定しちゃったりすることがあるから。


 まあ、仕方ないといえば仕方ないけれども。

 だって、無為を心得た人は、懐があまりにも大きすぎて、

 傍目にバカなんだか利口なんだか、よくわからないものだからね。


 宇宙空間の具体的な広さなんて、誰にも実感できないのと同じでね。

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フラットで格別なすべて

「びっくりするような好プレイが、勝ちに結びつくことは少ないです。
 確実にこなさないといけないプレイを確実にこなせるチームは強いと思います。」

  ――イチロー



「神懸り」な自分を神懸りだと喜んでしまう間は、

 それ以外の時の自分を見下している。



「神懸り」な他者を神懸りだと讃えてしまう間は、

 それ以外の時の他者を見下している。



「神懸り」を賞賛するほどには、

「神懸りでないもの」に讃嘆随喜するのは容易くない。



 ドラマへと心踊らされず、

 波乱万丈へと心揺らされず、

 自他に対して誠実に、

 今、つとめて目の前の事に心を置く。


 格別であれ、と自分(他人)に求めようとせず、

 格別であるな、とも他人(自分)に求めようとしない。



 そんな日々の人生を送っていない限り、

 どんな局所的な「神懸り」も砂上の楼閣、あるいはただの蜃気楼に過ぎない。
 

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KIAI

「気合」ってのはどうやら、

 表層的・顕在的な自分(自我)と、

 潜在的・深層的な自己(真我・源)の、

 すなわち、普段は乖離してしまっている、

 それら二つの「気(エネルギー)」が「合致」することでもあるらしい。



 すると、

「気合が入る」ってのは、

「気が合致した状態」、要は「気合の状態に入る」

 とでも言い換えられるらしい。



 だから、

 気合が入り、気合が充実している時は、

 心身健やかで、勢いがあるのは、そりゃ当然のこと。

 源(ソース)とばっちり繋がってるんだから。




 気合くらい、誰だって入ったことあるよね。

 難しく考えなくていいんだよ。

 精神世界だスピリチュアルだと仰々しく看板構えて、

、あれこれ言葉をこねくりまわして複雑に考えてみたところで、

 ホントのとこは、そんなシンプルなこと。





 そうそう、昨日入籍しました。(しれっと

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