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記事一覧

あまのじゃっかー

 一昨日のエントリでもおわかりの通り、
 世間様を遠慮なく差し置いていつもの曖昧さでお送りしてますこのブログ。

 なぜそのスタンスなのかは、13日にも触れました

 これはあくえりあんさんが昨日のエントリで語っておられたことと全く共通することです。
 このシンクロは正直嬉しいです。


 が、それだけがたわしの書いたことの全てとは限りませんよーっと。



 そんな、「また違う一面」をすぱぱっと表現していただいたエントリに出会わせていただいたので、今日はそのリンクを列挙っ。



 ・いまここ:徒然なるままに

 ・It’s Party Time!:「不謹慎だ」という風潮に負けず「くだらないこと」を言って笑おう

 ・おちまさとオフィシャルブログ:『不謹慎』とは何か。

 ・アゴラ:不謹慎・自粛ムードに関する反論

 ・アゴラ:東日本大震災で「ユーモア」が許されないこの緊張状態は危険

 ・togetter:震災時にスポーツや娯楽を行うのは不謹慎なのだろうか?

 ・幹事クリタのコーカイブログ;遊び楽しむことは不謹慎ではなく必要なこと

 ・大日本浪漫放浪記:不謹慎や自粛という空気・言説に関して ~東北地方太平洋沖地震後のみんカラを拝見して~ ※地震後覚書含む

 ・明日もやられやく:【アニメ】『イナズマイレブン』『ダンボール戦機』は予定通り放映 「このような状況であるからこそ、少しでも子どもたちの力に」

 ・BIGLOBEニュース:自粛ムードに批判の声 本当に「不謹慎」なのか



 ……スカブラってのは初めて知ったなぁ。


 んなわけで、パン焼きとかの長閑なエントリには、「平常を引き寄せるため」という意図の他に、
 ある種の「アンチテーゼ」的な意味も、別の一面として現状確かに存在します。

 ……まあ、アンチテーゼという捉え方をして(されて)いる時点で、そこは「ソース」とか「統合」とかからズレてるか。
 なので、実際のたわしのスタンスはアンチテーゼとはちとニュアンス違うんですが、面倒なのでこの単語で代用(ぇー


 にしても、テレビもラジオも新聞も見聞きしない、
 さらに実はtwitterもやってないたわしが、
 まるで自動的にこんなふうに動いてるなんてね。

 さすがあまのじゃっかーでんげきたい。(それもズレてます




 あ、予告どーりAA貼っときますね(=・ω・)っ

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ちょっとした(という程度ともいえない)ひとりごと。

 唐突ですが。

 たわしがこのブログの更新再開に踏み切ったのが去年末。
 それまで実質2年近い空白があったわけですが、
 ご覧の通り、その空白前後の内容は、大違いです。


 空白前は、愚痴や文句や否定や裁きやストレスや固定観念、
 そして五感以内のものばかりに基づいた表現が多数。
 いわば、表面的・外的・物質的。

 空白後は、それらから多少なりとも解放されてます。
 ご存知の通り、五感以外のものにも興味を向けています。
 いわば、深層的・内的・精神的。


 これだけ異なる内容に変貌するにあたって、
 再開ではなく、全く新しく別のブログを立てるという選択肢もありました。
 でも、そうしませんでした。

 この「変化」と「差異」を、明らかな形で残しておくのもまた一興かもねー、って。
 動機としてはそんな軽いものだったかもしれませんが。
 

 今になって、その奥深くに在った「意図」を、言葉に変換してみたくなりました。



 あくまで現状のたわしの観点から、と前置きした上で、

 結論から言います。


 スピリチュアリティとマテリアリティ。
 霊性と物性。


 この二つ、全く同じものなんですよ。


 別たれた別々のものではないんです。

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今だからこそ敢えて。

 前エントリで敦さんから頂いたコメントを読んで、
 へーそんなチェーンメールあったんだー、って思ってたら、どうやら職場の同僚の携帯にも届いたそうですw

 でも全くもって仰るとおりで、
 確かに紛れもなくチェーンメールなんですが、節約倹約(ケチとは違う)自体に何らの不都合も憚りもないんですよね。
 それに、確かにそのまま現地へ送電するには障害があっても、
 電力を生むために消費するエネルギーを僅かでも減らすことにつなげられる可能性はあるわけですし。
 そのエネルギーが備蓄となって、後々活きてくるって事態も絶対に起きないとは断言できませんから。

 とにかく、犠牲こそあれ、一人一人が自分の意識を問う、絶好の機会でもあるのは確かだと思います。
 それを活かすも殺すも、まさしく一人一人の心一つ、でしょうね。


 まあ、チェーンメールを最初に出した人も、単純に善意のつもりだったのかもしれないですね。
 もちろん本当にそうかどうかは知らないですけど。
 しかし今時、チェーンメール程度でパンクするトラフィックやサーバーもそうそう無いでしょうし、
 まあ、「気付き」のきっかけが一つ増えたくらいに考えれば穏やかに眺めていられるんじゃないかなと。


 いや、きっと、「気付く」人達は確実に増えると思います。
 シフォンさんTerraさんも語られているとおり、証明しきれないとはいえ、祈りには力があります。
  


 ちなみに、その「気付き」とは何か。
 タイミングよく、黒斎さんがそのとても大きな一側面を表現してくれていましたので、そっちで。ありがとうございます。



 さて。
 今後は、今回の地震についてエントリ上では触れないことにします。
 絶対とは言えないですが、極力。


 その代わり、というわけではないですが、
 啓発や啓蒙は他に様々な切り口で語って頂いている皆様方に任せて、たわしはひとつ、たわしなりの実践をしていきます。

 どんな実践かって。

 それは、有り体に言ってしまえば、引き寄せの法則。

 具体的には、
「災害や苦難に意識をフォーカスし続ければ、災害や苦難を引き寄せる。
 平常や安穏に意識をフォーカスし続ければ、平常や安穏を引き寄せる」

 古今東西のあらゆるブッダは、例外なくそれを知っていました。

 たわしが普段からテレビやラジオや新聞を見聞きしないのはそれに基づいた選択なんですが、
 いつも以上に、それを見習ってみようと思います。

 つまり、こんな時だからこそ、
 見ている人が少しでも意識のフォーカスを平常へと向けていられるよう、平常なエントリを上げることにします。

 ほんの僅かでも早く、ほんの僅かでも多くの人々に、
 ほんの僅かでもホッとするという選択を持てる、
 そんな平常が訪れる事を願って。

 

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タイトル思いつかないや

 その時はですね、サイクリングしてたんですよ。
 冬の間エアロバイクばっかりで全然遠乗りしてなかったんで、久々に。

 出かける前にですね、妙に「覚悟」感があったんですよ。
 日々「今日は死ぬのにもってこいの日」だと思えるようにすることを課題にしてるんですが、
 そのノリとはまた違う、なんか胸が締め付けられるような感触を抱えたまま出発したのが午前中。

 実はその前の3~4日間ほど、更新どころかほとんどweb巡回もできてなくて。
 自分の「他罰性攻撃的思念」とでもいうべきデカイ波と向き合わされてて、その余波でちょっと体調崩してまして。
 まあ学びってやつだったんですが、それをどうにか乗り越えて得るもの得させていただいて、
 気分も晴れてきたしせっかくだから出かけてみようか~ってのが、サイクリングの動機。
 あ。あと新訳禁書目録買いにいくのも。<むしろそっちがメイン(ぇー 

 だけどね、久々に風を感じてるってのに、なんか集中できないの。あんまり爽快な気分にならない。
 以前は乗るたびに、風の感触がいまここに導いてくれてたのが、今回に限って妙に気がそぞろ。
 まだ前日の精神的荒れ模様が鎮まりきってなかったのかな?

 ……って思ってたら、地震だったんですねぇ。

 なんだか、自覚してる以上にそういうのを感じるセンサーってのが備わってるみたいね……。
 そーいや中学時代にうちの祖母が亡くなったときも、
 何の連絡も受けてないのに、下校途中になんとなく直感したっけ。

 うみさんの推察の通りこっちは九州北部なので直接の影響は皆無です。
 敦さんも併せて、わざわざお気遣いいただいて本当にありがとうございます。m(_ _)m


 ともかく、この場を借りて。
 犠牲者の方々への冥福、そして被災者の皆様の一刻も早い再興をお祈りしています。




 以下超戯言。(絹旗風に

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もってけ木綿のハンカチーフ

 よくよく考えてみると、

「体に気をつけてね」

 ってのも奇妙な言葉だねぇ。


 取りようによっては、

「あなたの体があなたに危害を加える恐れがあるから気をつけてね」

 なんて風にも思えるたわしはあまのじゃく。



 まあそれは冗談として。

「体に気をつけてね」

 とはしょっちゅう聞いても、

「心に気をつけてね」

 とは滅多に聞かないんだよね。



 大抵の人、大抵の場合、

 気をつけるのは、目に見えるものだけ。



 奇妙だよね。

 「気をつける」の「気」自体目に見えないのに、

 目に見えないものには気をつけない。


 普段気をつけていないものを使って、

 別のものに気をつけさせようとしている。


 なんとなくあべこべ。



 目に見えないものに関心を払わないまま、

 いくら目に見えるものばかり大事にしようったって、

 アンバランスもいいとこなんじゃないかな。

 ま、それはそれで立派な経験だからいいんだけどね。



 なんてことをふと考えたのは、

 母が電話で親戚の子に「体に気をつけてね」って言ってたから。

 まあ、その思いやりはいわずもがな、母の母たるなんとやら。

 ありがとうございます。

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