常に曖昧に。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだに感謝し
欲はそれなり
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米一合と
味噌汁と野菜と果物を食べ
大抵のことを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして極力忘れず
野原の松の林の陰の
小さなログハウスにいて
東に
西に
南に
北に
ぶらぶら歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
たわしは
なりたい
ここ最近とみに、
自分の誠実に照らしてやりたくないと思ったことを、
突発的な偶然の結果やらずに済んだり、
ある相手が取るべき手続きを取るかどうか、懸念があったところに、
これまた突発的な偶然から、いつ具体的に行うと言質が取れたり、
そのほかいろいろ、
「ああ、守られているなぁ」
「良いように、物事が運ばれてくれている」
と、特に強く感じられる出来事が連発してまして。
それはもう文句なしにありがたいことに。
だけど、ですよ。
守られていると感じる出来事に遭遇するよりも、
常に守られ、育まれ続けているという事実の方が、
比較するものではないのだろうけれども、
やっぱりより絶大な幸せなんでしょうねぇ。
常にそうある事実なのだから、
不足することもなければ、渇望する必要もないわけで。
欲張るのは、不足してるんだと誤解してるから。
不足どころか、溢れるくらいの全てとして遍在してるんだ、と識れば、
あとはもう、頂くことと、分け合うことしかできない。
たわしがいつも愛読してるメールマガジンのひとつに、
ちとえ藤堂塾さんの「仕事の課外授業」というのがあります。
このバックナンバーで、ネタ的に面白い問題がありましたので、
せっかくだからここでも紹介してみます。
つーわけで、推理してみてくださいな。
でわ問題。
『チケット売り場でのことです。
料金は、一般席が1200円、指定席が1700円です。
男の人が、2000円を窓口に出すと、
「一般席にしますか、指定席にしますか?」と聞かれ、
「指定席をお願いします」と言うと、
指定席のチケット1枚とおつり300円をくれました。
続いて、女の人が、2000円を窓口に出すと、
今度は何も言わずに、
指定席のチケット1枚とおつり300円をくれました。
なぜ、女の人が「指定席」だとわかったのでしょうか?』
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「老いる」ということは、
経年で肉体が衰えることだと思っている人がほとんどの気がします。
が、実はそうではないと思うのです。
『「自分」とは、
毎瞬毎瞬、新しく生まれ変わり続けている存在であり、
常に学び成長できる能力を有する存在であり、
ゆえに、最期まで学習し、挑戦し、進化し続けるし、
その姿勢と行動とを、続けていく』
ということを忘れ、あるいは気づかずに、
放棄し、やめてしまうこと、
つまり変化を拒絶してしまうことを指すのではないでしょうか。
諸行無常。
つまり変化とは絶対に避けられないものなのに、
嫌だ嫌だと抗って、変化を避けようとする。
その矛盾、コンフリクトこそが、
老いというものの正体なんじゃないしょうか。
老も若も、本当はないわけで。
齢百歳の若者がいたって良いわけで。