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内にある自戒の部分

 えっとまあ、そんなわけで。
 今個人的な二つの自戒が、とんでもなくタイムリーに、
 シンクロ的な形で訪れて、ありがたくも示唆してくれてます。



 まずひとつが、ありがとう仙人さんの今日のエントリ
 これついさっきアップされてるの見つけて、正直そのタイミングの良さに驚いたんですけどね。

 ご存知の方も多いでしょうが、
 このお話、故事成語「人間万事塞翁が馬」の語源です。

 価値判断、評価、定義、分類、レッテル貼り、解釈、分析、ジャッジ、

 それらを行わないことで、幸せも不幸も消滅する。
 だけどそうすることで初めて、本当の意味での幸せが顕になるという、
 逆説の真理を理解している老人のお話です。

 現在に至ってたわし自身が抱き描く生き方、在り方の、
 ある意味最も大きな柱の一つってのが、まさにこれと同じものなんです。

 ちなみに、
「禍福はあざなえる縄の如し」って諺がありますが、
 これはまだ判断と二元性の世界の中にいます。
 だから、心がこの領域にある限り、決して不幸はなくなりません。
「人生楽ありゃ苦もあるさ~」ってのも同じです。

 閑話休題。

 つまるところ、喜び、感動はしても、浮かれず、
 いや、浮かれても全然構わないんですけど、
 ただ「いまここ」から遊離してしまわないよう、
 過去や未来や観念や判断を手放し、リラックスし続けていようね、と。自分へ。
 要は、全てが「今=現在=present=贈り物」ですよ、ということなんです。




 そしてもうひとつは、この写真。

昔ガンジーと鑑真って同一人物と思ってた(ぇー

 いつぞやの店内陥没の店近くの寺の、掲示板です。
 これを見つけて撮ったのが、一昨日のこと。
 予言的という意味では、思い返せばこちらの方がインパクトは強いかも。

 (ちなみに件の店はまだ閉まってました(ぇー
  ただシャッターから店内陥没の張り紙は消えてたけどねっw)

 ……この数ヶ月、たわしに訪れてくれた流れは、
 自らを苦に縛りつけようとする観念を手放す感覚を根付かすために、
 観念を自覚させる状況を与えてくれる、これまた贈り物の連続でした。
 それは決して、表面的には嬉しいものばかりじゃありません。
 むしろ、世間的にはネガティブな感情を伴うものの方が圧倒的に多いです。
 まあ幸いにもというか、大きな事件事故は一切無く、日常の些細な出来事からそれらを拾い上げてこれたのが、思い返せば嬉しくもあるんですが。

 ともあれ、R・バッジョ風に言えば、「仏陀からの究極の問いかけ」なんです。

 というか、(特にネガティブな)観念が浮かぶそのたびに、つねに問いかけられているんですね。
 それをようやく悟れたっていうのが、まずこの休止期間中の収穫の一つ。

 それを踏まえて、今回のような状況的変化が訪れたことで
 自分の内深くに眠っていた、忘れていた遠い過去の観念が浮上し、ある意味で新たに向き合わされています。
 言い換えれば、新たなステージに進む準備ができたから、実際に進んで、さらに手放していきましょうね?っていうコズミックティーチャー?wの新学年講座開始w

 でも結局は、やること(根本的な正答)は同じなんですよね。

 いまここにある。それだけ。

 自我にかまわず、思いを眺めて流し、観念を手放す。

 うれしければうれしがり、楽しければ楽しがる。
 でも本質的な部分では一喜一憂せず、流れを信頼し、ゆだねる。


 ……と、一つ目の示唆とかぶるんですが、
 ここまでが、これまで自分が精神的に在らせていただいた道でした。

 それ自体は、今後も基本的にはそれほど大きく歪む感じはしていません。

 が、同時に。
 新しいステージでは、何やら追加要素があるようでして。
(追加といっても結局は同じところに帰結する、ってのは分かりきってるんですけどね)

 これまでは比較的、自分が既に幸せであるのを前提にするだけでよかった。
 でもこれからは、それだけじゃない。

 まさに掲示板のガンジーの言葉、そのものを問われているというか、
 あるいは問うというか、確認するというか、その配慮も持っていくんだよ、
 という示唆だったのかもしれません。

 あるいは。
 自分が幸せであることは最早当然。
 君はもうすでに、この世というゲームの次のエリアを十分楽しんでいけるようになってるんだから、ためらわなくていいんだよ、と。

 前エントリでちらっと触れた、三次元における成功と貢献への意識にも、さりげなく繋がりますけどね。



 ま、そんなところです。
 現象は現象として置いといて、
 あくまでたわし個人の在り方、内的な姿勢を確認させていただいた、という観点からの徒然でした。



 ああ、まとまりもとりとめもないのはいつものことだからキニシナイ ホジホジ( ̄δ ̄ )(ぇー

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