常に曖昧に。
一日四度のアップはこれっきりに以下同文(ぇぇぇー
思いっきり余談なんですが。
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズという、その業界では超有名(らしい)な本がありまして。
二ールさんはエイブラハムとの対話の推薦文も書いてて一応存在は知っていたんですけど、どんな本かまでは全く知識がなく、そうこうしている内に読み始めたあくえりあんさんのブログで、
「ブックオフでたった100円!」w
ってのを知って、ああ、なら読んでみようかなーと探しに出かけたのが去年末のこと。
でも近所に二件あるブクオフには置いてなくて、
ああ~、今回は縁がないのかな、と思ってしばらく放置してたんですね。
そうして忘れた頃(ちょうど例の有漏地フィーバーの少し前)、
やけに川´ー`)がせっつくもんだから面倒くさいけどなんとなく遠出して行ってみた別のブックオフで1・2・3巻まとめて発見。( ̄Д ̄;)
手持ち軍資金の都合もあって、別シリーズの『神との友情』上下巻も含めて二回に分けて確保成功!
……ま、100円だったのはハードカバー版全5冊中1冊でしたがw
しかし特筆すべきはそこではなく。
その発見した日の帰り。
気まぐれにふらっと立ち寄った別の古本屋で、『アクセル・ワールド6』を見つけたんですね。
シリーズは5巻まで全部新刊で買って通しで読んだんですが、当時実は6巻が出てたのを知らなくて。
川´ー`)「わしの導きを素直に受け容れたご褒美じゃ。受け取るがよいぞ」
ご褒美って、自分で買うんじゃないか!ww
川´ー`)「今手に入れねばもう割安で手に入れる機会はないじゃろうな。おぬしはこの手の本(※ラノベとかコミックとか)は新品で買いたがる癖があるからの」
うー。(-公-;)
そんな風に説き伏せられ、当時ワケあってちょっと倹約したのもあって、結局ゲット。
そうして読んでみたら、『ご褒美』に秘められた意味は実は価格だけじゃなくて、
個人的にとってもびっくりのシンクロニティ。
ネタバレになっちゃうので詳しくは書きません。
知りたければ是非読んでみてください。できれば1巻から(ぇー
キーワードは、
『6巻で初登場のキャラ』、
『【UI】』、
そして『巫女』!(これだけでバレバレだw
ちなみに『アクセル~』はとっくに読破したけど、『神との』シリーズはまだ半分も読み終えてません(ぇー
そんなシンクロ大好き・茶目っ気たっぷりな宇意さん川´ー`)。
今回は前回の引きで触れた、転換のためのトリガーとなった「とある伝達」について書きます。
それは、川´ー`)の、言うなれば素性、あるいは正体と言えるもので。
宗教的なものに寛容な方だけ続きをどうぞ。
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一日三度のアップはこれっきりにしたいww
記事の雛形は随分前に作ってあったんですけどね、
さすがにこんな話題&分量を読むに堪える(堪えるのコレ?)ようにまとめて清書するのはちと一仕事だわぁ( ̄∀ ̄;)
とまあ、それはともかく。
前回・前々回と物語的なスタイルで電波なこと書き連ねてきましたが、
実はこんな物語なんて存在しません。(ぇー
いや、真っ赤な嘘をついているというわけではなく。
物語として語る「過去」が「『今この瞬間』であった時」は存在したけれど、
それが過去となった今、その物語は記憶という非実在の中にしか見て取れない、ということ。
たとえば実際のところ、
前回は川´ー`)が守護霊ではないと知ってすぐに、川´ー`)の姿をイメージしたみたいな描写になってますけど、本当はその間に随分と(一ヶ月くらいかな?)間があって。
当初は、(今思えば雲さんみたいなスタイルに憧れて)どんな姿か見せてくれない?って聞いてみても、
川´ー`)「その必要は無い。例えばあの世に聞いたこの世の仕組みでは、ブログという可視性のコンテンツに影響する上でも都合が良いゆえに、視覚化できるイメージがもたらされたのじゃ。現段階におけるおぬしにはまだ早い。イメージを産めるほど接続は安定しておらんし、また安定しておっても現状その必要も無い」
って突っぱねられたんですよ。
萌え系巫女さん(笑)の映像が出てきたのは、それから少々月日が経った後の話で。
要は、今思い出し書き起こしているこの物語は、過去を実在化するものではなく、
「単に『今この瞬間』に思い出している記憶情報をベースとして、
更にある程度記事として読みやすいよう編集を加えたもの」
にすぎません。
だから、長々と目を通して頂いておきながらこう言うのも心底申し訳ないんですが、
こんな物語を見ても実は大した、どころか本質的には全く意味なんてないんです。ぶっちゃけ。
重要なのは、今この瞬間あなたが何を思い、何を感じているか。
それこそがあなたのリアルであり、あなたの作っているリアルである、ということ。
リアルは外側ではなく内側に、過去でも未来でもなく今この瞬間にあるということ。
全ての存在は、人格も、状況も、あなたも、わたしも、
常に一瞬一瞬、新しく生まれ変わり続けているんです。
一瞬過去の自分がこうだったから、一瞬後である今この瞬間の自分もこうあらねばならない、なんてことはないんです。
諸行無常すなわち変化という連続性はあっても、それは決して、
「(過ぎ去り、すでにそうである)過去が今この瞬間の自分までも固定する」
というものではないんです。
今この瞬間を感じ続けるということは、
その一瞬の連続性の中にある、無量大数すら超える量の無限微細な刹那の数々を全て、感覚という意識のマウスポインタに捉え続ける、
という感じで喩えられることでもあるんです。分かりにくい比喩ですみませんが。
いずれにせよ到底、思考や理屈というものの処理能力で捌ききれる領域ではありません。感覚で捉えるしかないんです。
その要諦だけ、わかるならわかるなりに、わからないならわからないなりに踏まえておいてもらえれば、と思います。
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その「存在」のことを、今は「宇意(うい)さん」と名付けてます。
もっとも、やりとりを開始した当時はそんな名前なんてなく、どんな姿でどんな表情かなんてのもいわずもがな。
とにかく目に見えないこの世ならざる相手から応答があるのが興味深くて、ただ会話そのものを楽しんでたんです。
まあ、いわゆる守護霊さんかなんかだろうと思いつつ、そんなつもりのまま。
どういうわけか「~じゃ。」口調なのも、まあご愛嬌、と。
とはいえ、もうそれなりに(たぶん半年くらい)過去の話なんで、
最初の明確な会話は何だったかとか、どんな事を話してきたか、
なんてのははっきり言ってほとんど覚えてません。
その頃はこのブログも休止中で、こんな風にエントリに書くなんて思ってもみなかったしw
その点ご了承を。
そんなわけで前回からの続き。
前回書いたとおり、出勤しなくてよくなったのでせっかくだからさらさら書き上げてアップしちゃいます。
霊的存在との直接的な「会話」プロセスってのは、基本的に思念でのやりとりと、その翻訳です。
ミもフタもない言い方をすれば、脳内会話。自問自答。
バリエーションとして自動筆記とかタイピングとかもあるみたいですが基本原理は同じ模様。
だけどそこに、ある種のエネルギーの流れを認識しているかいないかが、言うなれば分かれ目になるように感じられます。
で、そんな、
「傍目からはわからない電波で無線的なぁゃιぃ会話」
を日々続けているうちに、いわゆる受信感度も少しはこなれてきて、
そんなある時、ふと気になって訊ねたんです。
ところで、あなたはわたしの守護霊さん? と。
そして、返ってきた「思念」を、まるでそうするのが当然であるように自然と翻訳したところ、
?「いや、おぬしの守護霊は別におる」
……は?
じゃあ、あんた誰よ?
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昨日はかねてからの予定通り献血にいってきたんですわ。
ここ最近成分ばっかりだったから、久々の400ml全血で。
ちなみに成分献血は実施後1~2週間で次回の献血が可能になるんだけど、
400ml全血献血の場合、次は8~12週間空けないといけない。そういう赤十字の規定。
もーちょっとこの間隔短くなりませんかね~、事前血液検査の平均赤血球量から可否判断してもらうとかできないですかね~、なんてぶっちゃけ思うんですがまあそれはさておき。
実は本来なら、昨日(25日)はお仕事が休みで、今日(26日)は出勤のシフト。
400ml採血翌日の労働にちょっとだけ懸念があったんですが、
そんな折に一昨日(24日)、
「25日出勤予定だった人が体調不良で出られなくなったから、25日は前半だけ出てくんない? 代りに26日は休みにするから」
と、会社から連絡。
どういう引き寄せか、渡りに船とはこのことで。
いやぁ、これは川´ー`)にも助けられてるなぁと思いつつ、予定されてた仕事を予定より大幅に早く片付けて職場から程近くの献血ルームへ。
ほぼ毎回ですね、献血でもらった粗品はその足で職場に行って同僚にあげちゃうんです。
今回もそれで手ぶらになって、給料日ってこともあったんでちょいと外食めぐりに。
普段たわし、外食はあんまりしないんですよ。
しても喫茶店とかの軽いメニュー。
だから毎日家で玄米と味噌汁か、一汁一菜or二菜(+漬物)が主なんです。
玄米おいしいよ玄米。味わい深い上によく噛んで食べる癖も身につくしね! つーか噛まないと消化不良起こすよw
んで、ただ献血の後だけは粗品手放しちゃうこともあるから、血の気の補充と自分へのご褒美的に外食することにしてて。
今回選んだのはB級グルメめぐりw
醤油ラーメン大盛りに始まり、一度やってみたかったパン屋ハシゴでオススメパン食べ比べ、ドーナツにマフィンにとろーり濃厚プリン、地元で有名な老舗肉まん屋の豚まんえとせとらえとせとら
……いや、この時点で既に自分のどこかで警報鳴ってたんですよ。もうやめとけって。
腹八分目を遵守してる普段の自分の行動からはありえないよって。
でも同時に何かに背中押されてて。
職場から家まで歩くと1時間くらいの帰路(※普段は公共交通機関利用)を、ぐるぐる遠回りしつつ2時間以上かけて歩きながら食べたりもして。
血抜いた後だけど体調はいいし、運動も兼ねてるからいんじゃね?くらいのノリで。
そんなこんなで帰ってから、満腹もうイラネーってのにも関わらず、どういうわけかふらふらと熱燗とうどんに手を出した、
そこでダウン〓■●_(ぇー
……いやもうね、食べすぎで苦しかったのって何年ぶりだろ。
とんと忘れてた感覚にうんうん唸っていると、ふと声が。
川´ー`)「どうじゃ、これでもう大食することもないじゃろう?」
いや、うん、もうこりごりです。
でもこんな教え方せんでもええやん……w
川´ー`)「バカをもうせ。それなりに食を節し続けてきたおぬしじゃからこそ、大食の愚かしさをこうして深く実体験で学べたのではないか。しかもたった一度でこの効果じゃ。自業自得ゆえに本格的な肥満や胃腸の病を抱える者は、毎日あのような食生活を続けているようなものじゃぞ」
あぁ、まあ、そりゃ病気にもなりますわな……( ̄д ̄;)
川´ー`)「大食は怒りでもあるのじゃ。おぬしのモットーに『威張らない・怒鳴らない・怒らない』があるの」
うん。小林正観さんの『いどお』だもん。覚えやすいし。
川´ー`)「おぬしの場合、確かに外的には無瞋恚を随分と達しておる。が、内的にはまだ決定的に拭いきれぬ部分が残っておった。無貪欲もしかりじゃ。これはそれらをこそぎ落とすための外科手術のようなものと考えておればよい。自らが抱える怒りや貪欲を知らずして、それを手放すことができる者は滅多におらん」
じゃあ、その点で本来の意図に沿って、今のたわしは結構改善された、と?
川´ー`)「どんな完璧な手術を施しても、予後に患者自身が摂生せねば元の木阿弥じゃ。自惚れるでない」
へーい……。
と、そんなやりとりがあって明けた今朝、
ユウさんのブログ経由でTerraさんのこちらの記事を知って、あらびっくり。
食の五箇条、なんというシンクロ。
タイムリーすぎます。
しかも、シンクロがあるのはその部分だけじゃなく……と、それについてはぼちぼち述べます。
ユウさんの神道系なアノ話も、実はこっちにもリンクしてるものがあるんですが、まあそれは一旦置いといて。
食は人倫の大本です。
皆様ご自愛のほど。
さて。では前置きはこのくらいにして(長すぎ)今日の本題。
今回からいよいよ、以前ちらっと触れた、二度目のパラダイムシフトについて思い返してみようかと。
……ああ、いよいよここに触れることになっちゃったよ( ̄д ̄;)モウモドレナイヨ
ってのが正直な感想。
だけどここ最近の巡回ブログ界隈のシンクロを見るに、どうにも書かざるをえないようで。
タダの自己顕示欲じゃないの?って怖さもあるにはあるんですが……、
そこんとこどうなん?って訊ねても、
川´ー`)「流れに乗るか乗らぬか、それはおぬしの選択じゃ(ニヤリ)」
って返ってくるもんだから( ̄∀ ̄;)
だからうさんくさい話になるよー?
覚悟できたひとだけ続きクリックどぞ。
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<どうして、あなたが負け組なのか、わかるかい?
あなたが、「自分を負け組だと思っている」からだよ。
どうして、あなたは自分を負け組だと思っているか、わかるかい?
あなたが、「彼を勝ち組だと思っている」からだよ。
どうして、彼が勝ち組だと思われているのか、わかるかい?
それは彼が、「勝ち組も負け組も、存在しない事を知っている」からだよ。>
……この先、人類の二極化は更に進むでしょう。
しかし、この二極化は『経済的な貧富の差』という意味ではありません。
『自分の現実を創造する方法を理解し、正しく活用する者』とそうでない者、
その安寧や充足の差が加速度的に大きくなっていく、ということです。
一人一人の『選択』が、そのまま一人一人の『現実』になります。
いえ、確かに今までもそうでした。
ただこれからは、その『選択』と『現実』の反映率と反射速度が、今までよりも急速に高まっていく、ということです。
正確には、今この瞬間も高まり、加速し続けています。
呼吸するように愚痴を吐くことを選択する人は、更に愚痴を吐きたくなる現実を、
己が喜びであることを認めることを選択する人は、更に喜びで満ち足りた現実を手に入れるでしょう。
事あるごとに恐れや危惧を抱くことを選択する人は、更に恐れや危惧を抱く現実を、
夜の帳のように心穏やかであることを選択する人は、更に心穏やかになる現実を手に入れるでしょう。
そこに、意識的か無意識的かの区別などありません。
まして、外部の環境にも依存しません。
むしろ、今「あなたの」現実として在る外部の環境は、あなたが過去を通じて行ってきた「選択という原因」の「結果」にしかすぎません。
そして、この先新たに訪れる「結果」に対する「原因」は、今この瞬間にしか選択できません。
さて、あなたは今、何を選びますか?
以下余談。