常に曖昧に。
あとはただ
宇宙として
生きるのみ
We're the universe.
uni = 一つの
verse = 詩(歌)
歌といえば、
今朝なぜか真っ先に浮かんできたのが、大黒摩季の「ら・ら・ら」
無明に溺れる人の有り様を歌った詞は数あれど(むしろそれが大半だよね)、
それをここまで写実的に描いたのもかえって珍しいなや、と。
その時はですね、サイクリングしてたんですよ。
冬の間エアロバイクばっかりで全然遠乗りしてなかったんで、久々に。
出かける前にですね、妙に「覚悟」感があったんですよ。
日々「今日は死ぬのにもってこいの日」だと思えるようにすることを課題にしてるんですが、
そのノリとはまた違う、なんか胸が締め付けられるような感触を抱えたまま出発したのが午前中。
実はその前の3~4日間ほど、更新どころかほとんどweb巡回もできてなくて。
自分の「他罰性攻撃的思念」とでもいうべきデカイ波と向き合わされてて、その余波でちょっと体調崩してまして。
まあ学びってやつだったんですが、それをどうにか乗り越えて得るもの得させていただいて、
気分も晴れてきたしせっかくだから出かけてみようか~ってのが、サイクリングの動機。
あ。あと新訳禁書目録買いにいくのも。<むしろそっちがメイン(ぇー
だけどね、久々に風を感じてるってのに、なんか集中できないの。あんまり爽快な気分にならない。
以前は乗るたびに、風の感触がいまここに導いてくれてたのが、今回に限って妙に気がそぞろ。
まだ前日の精神的荒れ模様が鎮まりきってなかったのかな?
……って思ってたら、地震だったんですねぇ。
なんだか、自覚してる以上にそういうのを感じるセンサーってのが備わってるみたいね……。
そーいや中学時代にうちの祖母が亡くなったときも、
何の連絡も受けてないのに、下校途中になんとなく直感したっけ。
うみさんの推察の通りこっちは九州北部なので直接の影響は皆無です。
敦さんも併せて、わざわざお気遣いいただいて本当にありがとうございます。m(_ _)m
ともかく、この場を借りて。
犠牲者の方々への冥福、そして被災者の皆様の一刻も早い再興をお祈りしています。
以下超戯言。(絹旗風に
昨日のアノ記事の直後、ありがとう仙人さんのブログのこのエントリが上がってたのを見て、
なんていうか胸の内にあったことを明快痛快に言葉に変換してくれてたのに驚きと感動っ。
ありがとう仙人さんは小林正観さんや中村天風師にも繋がってて、一方的にですがとても私淑してる方のお一人です。
うん、ありがとうございますです。
そんなこんなで今日の本題。
タイトルそのまんまで、今現在進行形でアルコールっとります(ぇー
ってかですね。
飲み会とかは別として、
たまに、たまーーーに、自主的に、自分ひとりで、集中的に酒を飲むことがあるんですよ。
まるで導かれるようにね、無性にね、そういう衝動が湧いてくる。
今日もそうで、職場帰りに祖父祖母の墓参りしたついでになぜか1.5lのペットボトルワインを迷いながらも買って、かぱっと。
すでに半分ほど胃袋へダイブ済み(ぇー
いや、それほどの量の飲酒は決して体にいいとは言えないですよ。
そこを承知しつつ、止めたい自分もいつつ、だけど、
川´ー`)「よい。許す」
そんな幻聴が聞こえるんですよwww
川´ー`)「なにが幻聴じゃ。悪い悪いと思いつつ呑む方が余程体に毒じゃ。毎日とか頻繁とかならともかく、稀のことじゃからの。おぬしが許さんでもわしが許す」
……ってな具合でw
そうして飲んでると、酔いの中で、自分の現在の――言うなれば「段階」が赤裸々になってくるんです。
いつからだったかな。
一人きりでひどく酒に酔うと、ありがとうという気持ちと言葉、そして嬉し涙ばかりが湧いて出るようになったのは。
昨日のエントリ書いて、それから他にも関連するいろいろなことを意識に引っ張り出してみて、
有言無言の人々の思いの糸に感を得て、その精妙な連なりと絡まりで胸の内に何かを織り綴られて。
縁。
夢。
愛。
今。
様々なものごとがそよ風のように、優しくも疾く訪れては流れ、また涙腺を刺激する。
そして、それら全てをまた、客観的に見つめている自分がいることも、認識している。
酔いてなお、それを認識できる。
それを認識できている意識を、更に認識している意識がいる。
それはつまり、
ああ、何だかんだ言っても、「目覚め」ているんだな、と。
そんな確証。
そうなんですよ。
黒斎さんも以前書いてましたが、
アルコールってのは、脳を強制的に興奮状態にもってくんです。
どんなにリラックスしてるように感じても、それは錯覚。
到底、酔った状態ではいわゆる「ワンネス」の感覚に入れなんてしません。
だけど、それでも、わかるんです。不思議なことに。
《「たとえ自分がどんな状態でも、それを感じられなくても、『全ては一つであり、今まさに自分も全てと一つである』ということを知っている」
ということを『知っている』》
……ってことを。
入れ子のように。
禅の世界では、酒の事を「般若湯」とも呼ぶそうで。
般若とは、悟りの智慧のこと。
まあ洒落のきいた呼び名ではありますが、こんな日はつくづく、その絶妙なネーミングに感服したりもします。
のんべぇの開き直りかもしれんけどww
そうしてふと浮かんだ言霊を。
迷うことすら楽しむ者に、迷いはない。
迷うことすら楽しむ時、迷いは味方となる。
ありがとうございます。
つーかこりゃ、明日は目が覚めたら頭痛いか重いかだろうなぁ。
でもそれすらも楽しみなたわしがいる。マゾめ(ぇー
おまけ:瞑想は遍在する
久々に頻繁に目にして気になる三桁数字が出てきたので、数字のメッセージを見ようと思ってgoogleで「エンジェルナンバー」って検索したら上から2番目に誕生日占いなるものが出てきたので興味本位でやってみたら、こんな結果。
「巫女」「ファジー」とかどんなシンクロ?とか、
「直感的に「答え」がわかりますが、「式」を論理的に説明できません。」とかまんまやん!とか、
なんか、ちょー思い当たるフシのオンパレードなんですが……( ̄д ̄;)
さて、今日のこの記事はいつもとちょっと(かなり)毛色が違います。
そもそも記事と呼べるかどうかも怪しい内容です。
半分が一昨日書いたもの。
それ以外も全く、視線とか姿勢とか、つきつめれば心理状態や波動的なものが一変した状態で一貫性皆無。文脈のつながりも皆無。
それをまるきり辻褄合せさえしないままに書きなぐって、さらにそれをほとんど修正しないまま……という、ある意味とってもネイティブな便所の落書き。
正直読まれるのも恥ずかしいって部分があるので、寛大で寛容な人だけ続きをうぐぅ(何
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おお! mocaさんブログ復活とな!
おじいさん節をまた味わえるのはうれしいのう~ヾ( ̄∇ ̄*)ノ
実は最近は、とんと川´ー`)と『視覚的な』イメージを伴って繋がることがめっきり少なくなりました。
意図すればイメージも伴うんですけどね、その必要がなくなったというか、ともあれ僅かながらも一体化の進行しているような感触は何となくあります。
そんな中で今日、通勤途中に歩きながら空を見上げた瞬間、
何の前触れもなく突如として、川´ー`)からの短いメッセージが飛び込んできやがりました。
付随するいくつかのインスピレーションとともに。
本当は今日アップするために書き上げてた別の記事があったんですが、それは明日以降に回して急遽そっちのやりとりを衝動的に編集して紹介してみたり。
そのメッセージは、
「そのものになれ」
という、たった7文字。
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