常に曖昧に。
職場の取引先経由でふらいんぐげとずさー
※解禁は明日17日。
持って帰って早速開栓。
実はボジョレー産ヌーヴォーって買ったの初めてなんですわ。
付き合いで飲んだこと自体はあるけど、家で自らコルク抜くのも初。
やっぱ若ワイン特有といわんばかりに自己主張の強いフルーツ臭がしますわ。
注いでみた。
味もある意味香りそのまま。
細かい品評はソムリエさんのお仕事なので任せるとしてw、素人なたわしは単に楽しみます。
ってかこれはこれで熟ワインにはないさっぱりした味わいがあるから面白いんですよねー。
絞りたてのぶどうジュースににより近い味といいますか。甘味はアルコールに変換されてますけどw
お隣は色味比較用のたわし特製青汁。
中身はキャベツに白菜にほうれん草に小松菜にバナナに、リンゴ酢と玄米酢の水割り。
見た目からは想像もできないくらい飲みやすいよ?
てなわけで。
何やら昨日今日オープンしたばかりらしいパン屋で買ったバゲット&食パンに、
昨日の残りな総植物性豆乳カレー(ルウ不使用)を添えて、これが今日の夕飯w
いや普段は玄米なもんだから、こういう晩餐久々でつい写真撮っちまったい(ぇー
どーでもいいけど、
「パンとワイン」てぐぐったら真っ先に聖餐が出てくんのね(´д`;)
正観さんの訃報やら死因やら関連の検索ワードでいらっしゃる方々が割合として多いですw
またしても、今日時点における最近のアクセスログ画像を下に公開しちゃいますが、こんな具合。
今回また、そんなワードの中からちょこちょこリストしてみようかと。
・『小林生観の死』
・『小林生観 死因』
・『謙虚な生き方 小林静観』
・『小林静観 志望』
誤字関係、結構ありましたよー。
しかも一番下のは、死亡してさえいない(ぇー
・『小林正観 急死』
・『小林正観 早死』
早急って言いますけど、この二文字を別々に分けるとこんなにもニュアンス違うんですねぇ、と改めて気付いた(ぇー
ちなみに早死っていったい何を定義にして早いと言っているのか、考えてみると奥深いですよ。
たわしは早死だなんて全く思っていませんが。
・『小林正観 殺された』
・『正観さんは良からぬことをしていた』
・『小林正観詐欺』
来た来た三面ゴシップ系w
良からぬことってなんなのさwww
・『小林正観さんも、良寛さん』
ちとこれ、ほろっときました。
本当に、現代の良寛さんだったんじゃ、と思いましたもん。
ま、正観さん関連はこのくらいにして。
他にはこんなのも。
・『どうやって 怒りを手放す』
・『感じ切る 手放す』
後者はつまり悪感情とか心地よくない感覚を感じきることで手放すって意味を探してたんだと想像するんですけど、
これね、見た瞬間に、老子のある教えを思い出しました。
要は「止めさせたかったら逆を行け」ってことでして。
流行を止めたければ、もっともっと流行らせれば飽きて止まる。
何かから取り上げたいときは、どんどん与えれば「もういらない」となって取り上げられる。
そういうのと似たもので、嫌だという感情、その元となる感覚は、敢えて進んで感じきってやることで、なぜか解消されるんですよね。
そうすることで、それを感じているのが「今」でしかないということに気付くから。
すると、「今」には「嫌だ」という感情が入り込む余地はなく、感覚しかないということがわかるわけで。
面白いパラドックスです。
・『クエン酸は素手でもかまないか』
素手だと噛み付くクエン酸!(ぇー
・『vsr-10 レキ』
あのねレキの愛銃はドラグノフだしVSR-10は東京マルイオリジナルで実銃じゃないから!(何
……要するに、このワードの組み合わせである意味がわからない(ぉ
さて、と。
「この際だから離れてくビジターが出てくるならそれでもいいやー」
とばかりに開き直って敢えて変な方向へかっ飛んでみるべく発揮してみた黒モードはもうこの辺で脇に置いとくとしまして(ぇー
南北くんも14話を数え、いよいよ佳境に近づいてきました。
気が早いかもですが連載終了後のあり様としましては、
いつものその場しのぎ、もといその時々の気まぐれに……
と言うわけでは実はなく。
本当に自分に正直なことを、正直なやり方でやっていく、
誰に石投げられても、そっぽ向かれても、やっぱり自分がやりたいことをやる。
どんな評価をされても、それを全て受け入れ、覚悟を決めて世の中へ作り出せたものを差し出していく。
あわよくば、何らかの形で誰かの役に立つかもしれないことを。
という、繰り返しながらも新たな覚悟のもと、
そのための新企画を用意しつつあります。
しつつある、といっても実はもう数年前に書き上げてたものではあるんですけどね。
それを少しずつ、連載形式で垂れ流していこうかと。
それは、
「今、ここ」にある融和感の後で改めて感じ得た、
要するにある意味、
「なりふり構わぬ」「自分をかなぐり捨てる」「結果への期待を度外視する」
ことへの信頼感の発揮と、具体的な方法論の模索の一つでもあります。
(実際にはそういう「能動」とはまるでニュアンス違うんですが……他に説明し辛いのでまあその辺は割愛)
もちろんそれとは別個に、
その都度、その時々の「うたし(嬉しい・楽しい・幸せ)」なエクスペリエンスも綴っていきます。
ただただ自由に、曖昧に、水のように。
誰かの幸せ、恵みになるように。心温かくなるように。
上善如水、水の流れるがごとく生きるのが、やっぱりしっくりくるから。
自他におもねらず、自他に逆らわず、
運び、運ばれ、押さえつけず、押さえつけられもせず、
いかなる形にもその姿を変えることができ、いかなる形をもとらず、
平素至極穏やかでありながら、しかし時には想像を絶する莫大な力も発揮する。
そんな、
たとえば老子ならば「道(タオ)」の生き方を、
ひとつの人生として実践し続ける、その一環であるよう。
と、律し心がけつつ。
何より、
「普通に生きていること自体が感謝の塊」(by正観さん)
その遺言とさえ思える事実を、これまでより更に平たく、平たく、噛み締めつつ。
だから黒モードはもう極力吐き納めですからね?(極力?
……とまあ、こうやって自分を追い込むためのエントリだったりする次第で(ぇー
あ、ちなみにあのモードのイメージキャラはニャル子さんね(ぇ
だからもし再び出てきたときは、
我が家の窓の外に這いよる混沌が鎮座ましましているとでも解釈しといてください。嘘です。
てなわけで、こんなたわしですが、
愛想尽かした方はどうかお達者で、
引き続きお付き合いいただける方は、どうぞ生暖かいカミソリ入りレターのほど、
なにとぞよろしくお願いもうしあげますー。m(_ _)m
去る平成23年10月12日、
小林正観さんが62歳にて帰霊された、とのことです。
告別式などの詳細はSKPのホームページにて。
正観さんには、
どんなに言い表しても言い尽くせないほどの、
たくさんの「しあわせ」を頂きました。
もしもあなたがいなかったなら、絶対に今の私はありません。
訃報に接し、切なくも暖かき万感の思いで一杯です。
本当に本当に、ありがとうございます。
そして、お疲れ様でした。