常に曖昧に。
たわしがいつも愛読してるメールマガジンのひとつに、
ちとえ藤堂塾さんの「仕事の課外授業」というのがあります。
このバックナンバーで、ネタ的に面白い問題がありましたので、
せっかくだからここでも紹介してみます。
つーわけで、推理してみてくださいな。
でわ問題。
『チケット売り場でのことです。
料金は、一般席が1200円、指定席が1700円です。
男の人が、2000円を窓口に出すと、
「一般席にしますか、指定席にしますか?」と聞かれ、
「指定席をお願いします」と言うと、
指定席のチケット1枚とおつり300円をくれました。
続いて、女の人が、2000円を窓口に出すと、
今度は何も言わずに、
指定席のチケット1枚とおつり300円をくれました。
なぜ、女の人が「指定席」だとわかったのでしょうか?』
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『どれだけ涙を流せば あなたを忘れられるだろう』
――XJAPAN 「Rusty Nail」より
どれだけ、「あなた」に執着しているのだろう。
「あなた」を忘れるのに、涙を流すのが必要だと信じているのだろう。
忘却に涙は必要じゃない。
ただ、今、忘れることを選択するか否か、それだけだ。
忘れても、ふっと思い出すのは仕方ない。
そういう力が、波動が、流れてきただけなのだから。
ただ、その時、その後まで、覚えていることを選択するか否か、それだけだ。
すべては自分で選ぶだけのこと、それだけだ。
そんなに私は強くない、と人は言う。
君みたいに強くはない、と人は言う。
大きな誤解だ。
病に罹らず、精力的に動き回れるからといって、
超人的な肉体を持っているわけではない。
むしろ人並みより少し虚弱なくらいだ。
何事も前向きに捉え、弱音を吐かないからといって、
強靭な精神力を持っているわけではない。
むしろ意志は他人より簡単に曲がるくらいだ。
ただひとつ、違いがあるとすれば。
それは、今を選択する力を、自覚して、自ら行使していること。
ただそれだけだ。
今を選択する力は、
誰しも、必ず、生まれつき、一片の欠損もなく有している、偉大な力だ。
今を選択する力とは、
今、感じている現象を、どのように感じるかを決定する力なのだから。
強さなど、自分には強さがないと信じ思い込む人間の生み出した、幻想に過ぎない。
弱さもまた、同じ。
強い人間も、弱い人間もいない。
ただ、己本来の力に気付いているか、いないか。
ただ、己とは何かに気付いているか、いないか。
ただ、それだけの違い。
だから、涙してもいい。
涙しなくてもいい。
……いや久々に聴いたけどやっぱええ曲やわw