常に曖昧に。
職場の取引先経由でふらいんぐげとずさー
※解禁は明日17日。
持って帰って早速開栓。
実はボジョレー産ヌーヴォーって買ったの初めてなんですわ。
付き合いで飲んだこと自体はあるけど、家で自らコルク抜くのも初。
やっぱ若ワイン特有といわんばかりに自己主張の強いフルーツ臭がしますわ。
注いでみた。
味もある意味香りそのまま。
細かい品評はソムリエさんのお仕事なので任せるとしてw、素人なたわしは単に楽しみます。
ってかこれはこれで熟ワインにはないさっぱりした味わいがあるから面白いんですよねー。
絞りたてのぶどうジュースににより近い味といいますか。甘味はアルコールに変換されてますけどw
お隣は色味比較用のたわし特製青汁。
中身はキャベツに白菜にほうれん草に小松菜にバナナに、リンゴ酢と玄米酢の水割り。
見た目からは想像もできないくらい飲みやすいよ?
てなわけで。
何やら昨日今日オープンしたばかりらしいパン屋で買ったバゲット&食パンに、
昨日の残りな総植物性豆乳カレー(ルウ不使用)を添えて、これが今日の夕飯w
いや普段は玄米なもんだから、こういう晩餐久々でつい写真撮っちまったい(ぇー
どーでもいいけど、
「パンとワイン」てぐぐったら真っ先に聖餐が出てくんのね(´д`;)
くーこ部長さんフランスから無事帰国お帰りなさいヾ(´∀`)ノ
レンタサイクル事情には、さすが自転車の国と興味深々な世羅司さんでございました。(ぇー
たわしの地元にも役所とかにサイクルステーションが併設されてあったりとレンタサイクルはそれなりに認知されてるんですが、
たわし自身はマイバイク持ちなのであんまり利用する機会がありません(ぇー
ところでクラブサンデー連載の『ツール!』も最終回になっちゃったなぁ……(何、
そんなわけでどんなわけだ。
コメント書き込もうと思ったらコメント欄がないみたいなので、
せっかくだからこっちのネタにしちゃおうって魂胆でちょっと転載させていただいちゃいます(ぇー
元記事をご覧になる方はこちらへどうぞー。
>(ほっほっほ。そうじゃ。
>ぬしらは進むのよ。
>楽しいことも辛いことも、
>振り返ってみれば懐かしく感じられよう。
>その時まではただひたすら刻み続ける旅じゃ。
>ひたすら前へ進む自転車と同じじゃ。
>転ばぬようにしっかりこげよ。
>坂道もあるぞ、登り坂に下り坂。
>ボヤボヤしてる暇はないぞ。
>しっかりこげよ)
>「何気に、登り坂辛いじゃん。
>チャリで例えるならば、下り坂の方がいいなぁ。
>スピードも出て気持ちイイじゃん。
>そっか、下りが悪いように世間的には例えるけれど、
>チャリに関しては登りのがヤだよね。
>下りイイじゃーん」
>(そうじゃ。物事にはいろんな側面がある。
>登りがよくて下りが悪いなどとは
>ぬしらが勝手に決めておるだけよ。
>状況が変われば、
>登りが辛く、下りがラクなこともあるものよ)
本当にね、
自転車乗りなら常々感じられる、まごう事なき真実なんですよ。
坂は坂であって、上り坂でも下り坂でもなく。
ただ、見る方向によって感じ方が違うだけに過ぎない、ってことは。
ビッグな坂を自転車で下るとき、
「人生下り坂最高!」って叫びたくなりますw
風だって同じです。
自転車ツーリングの最大の障害って、上り坂よりもむしろ向かい風なんですよ。
でもこれが追い風になると、信じられないくらい軽くスピードに乗れるわけで。
正観さんもこんな意味合いのことを仰ってました。
「人生の前半では追い風だったもの(努力とか)が、
人生の折り返し地点を過ぎると向かい風になってくる。
そうなったら、手放して軽くなったほうが、人生はスムーズになる」
で、こないだも書いたとおり、myクロスバイクにはメガレンジがついてるわけですが。
上り坂をらくらく登るんです。
けど当然、スピードで言えばノロノロですw
それでいいんです。
レースならまだしも、人生もツーリングもレースじゃないんです。
向かい風や上り坂に、抵抗して挑んでみてもいいし、なすがままにのんびり行ってもいい。
自転車的に言えば、スピードよりもケイデンス(ペダルの回転数)を一定にするよう心がける方が、
実は結果的に速いし、より遠くまで体力が続くし、何よりも楽なんです。
>進む、進む。くーこ号は進む。
>どこまでも進む。ただひたすら進む
たわし号も大絶賛進みますw
亀の子たわしだけに亀の歩みでカサカサと(ぇ
1匹見たら30匹はいます(ぇー
サメが強いわけでもなく
「わたし」が弱いわけでもなく
サメが冷たく薄情なわけでもなく
「わたし」が儚く温厚なわけでもなく
サメが立派で人情味がないわけでもなく
「わたし」が哀れで情緒豊かなわけでもなく
サメが鋭い牙もつ加害者なわけでもなく
「わたし」が柔い肌もつ被害者なわけでもなく
どちらも強くて、どちらも弱い。
どちらも加害者で、どちらも被害者。
どちらも強くなんかなくて、どちらも弱くなんかない。
どちらも加害者ではなく、どちらも被害者でもない。
それを呑み込めた人から、
傷つくことも、傷つけられることも、
だんだん少なくなってくる不思議。
けどそれを呑み込めていなくたって、
誰一人、絶対に漏れることなく、
現実を生きて、生きて、生き抜いて、生き倒し、生き通す力は、
完全に備わってるよ。
ただし、ひとつだけ要注意。
加害者面するのも、被害者面するのも、
やってることはどちらも同じ。
“自分を生きる力”を放棄しちゃうことだから気をつけて。