常に曖昧に。
神頼みというのは、
体を頼むことでもあり、
心を頼むことでもあり、
気を頼むことでもあり、
力を頼むことでもあり、
技を頼むことでもあり、
芸を頼むことでもあり、
水を頼むことでもあり、
風を頼むことでもあり、
光を頼むことでもあり、
天を頼むことでもあり、
地を頼むことでもあり、
闇を頼むことでもあり、
無を頼むことでもあり、
有を頼むことでもあり、
自を頼むことでもあり、
他を頼むことでもあり、
何ものにも頼むことでもあり、
何ものをも頼まぬことでもあり、
全てが神であると知り、
全ての流れを信頼することである。
正観さんの訃報やら死因やら関連の検索ワードでいらっしゃる方々が割合として多いですw
またしても、今日時点における最近のアクセスログ画像を下に公開しちゃいますが、こんな具合。
今回また、そんなワードの中からちょこちょこリストしてみようかと。
・『小林生観の死』
・『小林生観 死因』
・『謙虚な生き方 小林静観』
・『小林静観 志望』
誤字関係、結構ありましたよー。
しかも一番下のは、死亡してさえいない(ぇー
・『小林正観 急死』
・『小林正観 早死』
早急って言いますけど、この二文字を別々に分けるとこんなにもニュアンス違うんですねぇ、と改めて気付いた(ぇー
ちなみに早死っていったい何を定義にして早いと言っているのか、考えてみると奥深いですよ。
たわしは早死だなんて全く思っていませんが。
・『小林正観 殺された』
・『正観さんは良からぬことをしていた』
・『小林正観詐欺』
来た来た三面ゴシップ系w
良からぬことってなんなのさwww
・『小林正観さんも、良寛さん』
ちとこれ、ほろっときました。
本当に、現代の良寛さんだったんじゃ、と思いましたもん。
ま、正観さん関連はこのくらいにして。
他にはこんなのも。
・『どうやって 怒りを手放す』
・『感じ切る 手放す』
後者はつまり悪感情とか心地よくない感覚を感じきることで手放すって意味を探してたんだと想像するんですけど、
これね、見た瞬間に、老子のある教えを思い出しました。
要は「止めさせたかったら逆を行け」ってことでして。
流行を止めたければ、もっともっと流行らせれば飽きて止まる。
何かから取り上げたいときは、どんどん与えれば「もういらない」となって取り上げられる。
そういうのと似たもので、嫌だという感情、その元となる感覚は、敢えて進んで感じきってやることで、なぜか解消されるんですよね。
そうすることで、それを感じているのが「今」でしかないということに気付くから。
すると、「今」には「嫌だ」という感情が入り込む余地はなく、感覚しかないということがわかるわけで。
面白いパラドックスです。
・『クエン酸は素手でもかまないか』
素手だと噛み付くクエン酸!(ぇー
・『vsr-10 レキ』
あのねレキの愛銃はドラグノフだしVSR-10は東京マルイオリジナルで実銃じゃないから!(何
……要するに、このワードの組み合わせである意味がわからない(ぉ
たとえば、
ちょっと物をぽろっと床に取り落としちゃったりしたときに、
普段何気なくやれてるはずの仕事がうまくいかないときに、
「ああもう、ちくしょう!」
とか思ったり言ったりしながらリカバーする、
ってなことが、いつの間にか全然なくなっちゃってるのよね。
その分、本当に自分に残ってる
「心の中で握り締めてるもの」
が、はっきりと際立って見えるようになっているのだけれど。
たとえば、
渋滞に巻き込まれたりしたときに、
ラッシュアワーの満員電車に直面したときに、
「なんでこんなに混んでるんだ!」
とか愚痴ったりイライラしたりして仕方なくなる、
ってなことが、いつの間にか全然なくなっちゃってるのよね。
その分、周りの人が抱えてる、
「思い通りにならない現実への苛立ち」
が、じっくりと観察できるようにもなっているのだけれど。
たとえば、
「今、心地よく居るか」それとも「心地よくなく居るか」、
そんな、自分の反応というものは、
大勢が信じるように、本当に自分では選べないのだとしたら。
自分に、自分の反応を選択する力が本当にないのだとしたら。
宇宙が、自分を創り出した必要性なんて、ないのだとおもう。