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新・正体的な何か。

 まだ読んだことないんですが、山川紘矢さんは自著の中で、
「運命100%、自由意思100%」と述べられたそうで。

 理屈で考えればなんじゃそりゃ?なんですが、
 けどこの言葉は、現段階に至るまでの自分にとっては充分に腑に落ちます。


 前のコメでも書いたことですが、
 川´ー`)の意思・要望を受け取ったとして、
 それに従うも従わないも、完全にこの世の自分の自由選択です。
 これが「自由意思100%」。


 そして、従ったら従ったなりの現象が、従わなければ従わないなりの現象が当然起きます。
 でも、従ってから「従わなかったら何が起きていたか」、またその逆も同様に、経験して知ることなど不可能です。
「その選択による結果しか体験として存在し得ない」ですから。 

 この点、従うか従わないかさえも予め決まっていると解釈もできます。
 これが「運命100%」。


 まーぶっちゃけ、定められていようが改変可能であろうが、どっちでもいいんですね。
 どっちも方便です。自分にとって心地よい方便を選べばいいんです。


 真実的にはきっと、そのどちらでもあると同時に、どちらでもないし、さらにそのどちらにも意味はないです。
 そもそも刹那刹那の選択を経て、刹那刹那に起きる現象はただ、単なる現象としてあるがままに起きているだけ。

 楽しい現象も、悲しい現象も、嬉しい現象も、怖い現象も、実は存在しません。
 単に、その現象に遭遇した人が、楽しいとか悲しいとかの着色をしているだけ。


 慧能禅師というお坊さんの逸話にこんなのがあります。

 あるとき、二人の僧が風に旗がなびいているのを見て議論してました。
 一人は「あれは旗が動いているのだ」、もう一人は「いや、風が動いているのだ」

 そこに通りかかった慧能禅師は、こう言ったそうな。
「風が動いているのでも、旗が動いているのでもない。おまえたちの心が動いているのだ」


 ……ま、つまりは結局、オチャドゾー(* ̄∇ ̄)_旦~~(ぇー

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