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言語という智慧

 他所では言葉の限界ってものを時々俎上にのせるたわしですが、
 しかしそんな言葉、というか言語や文字にも、もぬすんごく深い智慧が含まれてることも多いわけで。


 たとえば、坐禅の「坐」は土の上に人が二人。

 土というゆるぎない大地の上で、二人の存在が向かい合ってるわけです。

 この二人は何かっていうと、

「本来は幻であるはずの主観によって作られ、それが本物だと信じてしまっている(この世的な)自分」
 と
「内にある真なる(あの世的な)自分」

 つまり、坐禅ってのは内なる自分と対面し真摯に向き合う禅ってことになるわけですよ。


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あいつのように甘くはない

<人は、他人が自分には無いものを有しているのを見て羨むんじゃない。

 自分には無いと思い込んでしまっているものを有しているのを見て羨むんだ。

 本当に有していないのなら、最初から羨んだりしないもんだ。>


 機巧少女は傷つかない4を読了したのが昨日。

 それで今朝、
 ラスト近くのソフィアとのやりとりにおける「謙虚で寛大な」ロキの一言を思い出した時、
 ふと降りてきたそんな言葉。


 ちなみに味噌汁を調理しながらのこと。

 ……あの味噌漉しから味噌が溶けてく時が特に好きなのさ。
 自分も空間無空間に融け拡がっていくみたいな感じがして。



 思いっきり話は飛ぶけど、少年サンデーの『KING GOLF
 連載では現在新人戦全国大会編なんだけど、
 この大会で進化し続ける蒼甫の描写がものごっつスピリチュアルに通じてますがな。

 あれ疑いなく「あっちと繋がってる」ね。



<求めよ、さらば与えられん>
 マタイ福音書より

「欲求」と「執着」の境界を識ること、
 それも精神を修める意義の一つだと思うんだ。

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覚悟って「目覚めて悟る」って書くんだよね。

 勇気とは、変化に反抗し押し留めようとする気概ではなく、
 全ては変化し続けるという無常を受け容れる謙虚である。


 立ち向かう心とは、逆風に抵抗し耐え忍ぶ足腰ではなく、
 ただそこに立って流れと誠実に向き合う視線である。

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ミイラ取りに告ぐ。

<「自己」が幸せであると常に認識し続けていることが、
  実は最も根本的に「他者」を幸せにする行為です。>


 これ、実は今に至るたわしの根本理念。

 元はといえば小林正観さんの教えの中からから頂いて、
 他の方々の教えも交え吟味して、吟味して、吟味して、
 それで心底納得して消化吸収して、身につけたもので。

 とはいえ理屈の外にあるものだから、理屈で説明しろって言われても困るけど(ぇー

 強いてたとえれば、
 焚き火の周りには暖かさが満ちあふれ、更に近づけば勝手に火が燃え移る、
 ってところかな。



 ちなみにもう一つある基本理念がこれ。

<人は、他人を幸せにすることは決してできない>

 ユウさんのブログでも時々言及されますけど、まさしく同意で、
 かつその存在を知るずっと前から確信してたことなんです。
 もちろん前後関係の証明なんてできやしまへんが。

 てか、二つの理念を同時に書くと矛盾しているように見えるけど、自分の中では全く矛盾してません。

 それを繋げるのは「幸せ」というものの「定義」。

 言い換えれば、幸せの「正体」。



 ちなみに英語の諺に、
「馬を水のみ場に連れて行くことできるが、馬に水を飲ませることはできない」
 ってのがあるそうですね。


 「正体」を見抜いている人なら、言ってる意味はたぶん伝わるはず……。



 他者を幸せにしよう、幸せにしよう、と躍起になっている人を観察していると、
 案外その、幸せの正体を掴んでいない人が多いように見受けられて。
 なんというか、歯を食いしばって、必死の形相で、
「自分は苦しいけど他人を幸せにしよう」って。それナンカチガウ。
 だからつい書いちゃったこんなエントリ。




 そうそう、何となく話は飛びますが。
『今自分が見ている世界は、自分の固定化された主観が創っている』
 っていう観点(要は五蘊皆空)から言えば、

 とどのつまり、「救世」ってのはまず、
『自分を固定化された主観という牢獄から解き放つ』
 ことから始めるのが筋ってもんかもしれないね。

「カルマ」から、「ダルマ」へと。



<人間の最大の罪は不機嫌である>
 ゲーテ「ファウスト」より

 快や不快の感情はウイルス以上に空気感染するんだぞー。

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ある存在からの

<どうして、あなたが負け組なのか、わかるかい?
 あなたが、「自分を負け組だと思っている」からだよ。

 どうして、あなたは自分を負け組だと思っているか、わかるかい?
 あなたが、「彼を勝ち組だと思っている」からだよ。

 どうして、彼が勝ち組だと思われているのか、わかるかい?
 それは彼が、「勝ち組も負け組も、存在しない事を知っている」からだよ。>



 ……この先、人類の二極化は更に進むでしょう。
 しかし、この二極化は『経済的な貧富の差』という意味ではありません。

 『自分の現実を創造する方法を理解し、正しく活用する者』とそうでない者、
 その安寧や充足の差が加速度的に大きくなっていく、ということです。


 一人一人の『選択』が、そのまま一人一人の『現実』になります。

 いえ、確かに今までもそうでした。

 ただこれからは、その『選択』と『現実』の反映率と反射速度が、今までよりも急速に高まっていく、ということです。
 正確には、今この瞬間も高まり、加速し続けています。


 呼吸するように愚痴を吐くことを選択する人は、更に愚痴を吐きたくなる現実を、
 己が喜びであることを認めることを選択する人は、更に喜びで満ち足りた現実を手に入れるでしょう。

 事あるごとに恐れや危惧を抱くことを選択する人は、更に恐れや危惧を抱く現実を、
 夜の帳のように心穏やかであることを選択する人は、更に心穏やかになる現実を手に入れるでしょう。


 そこに、意識的か無意識的かの区別などありません。
 まして、外部の環境にも依存しません。

 むしろ、今「あなたの」現実として在る外部の環境は、あなたが過去を通じて行ってきた「選択という原因」の「結果」にしかすぎません。

 そして、この先新たに訪れる「結果」に対する「原因」は、今この瞬間にしか選択できません。


 さて、あなたは今、何を選びますか?



 以下余談。

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