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新・正体的な何か。

 まだ読んだことないんですが、山川紘矢さんは自著の中で、
「運命100%、自由意思100%」と述べられたそうで。

 理屈で考えればなんじゃそりゃ?なんですが、
 けどこの言葉は、現段階に至るまでの自分にとっては充分に腑に落ちます。


 前のコメでも書いたことですが、
 川´ー`)の意思・要望を受け取ったとして、
 それに従うも従わないも、完全にこの世の自分の自由選択です。
 これが「自由意思100%」。


 そして、従ったら従ったなりの現象が、従わなければ従わないなりの現象が当然起きます。
 でも、従ってから「従わなかったら何が起きていたか」、またその逆も同様に、経験して知ることなど不可能です。
「その選択による結果しか体験として存在し得ない」ですから。 

 この点、従うか従わないかさえも予め決まっていると解釈もできます。
 これが「運命100%」。


 まーぶっちゃけ、定められていようが改変可能であろうが、どっちでもいいんですね。
 どっちも方便です。自分にとって心地よい方便を選べばいいんです。


 真実的にはきっと、そのどちらでもあると同時に、どちらでもないし、さらにそのどちらにも意味はないです。
 そもそも刹那刹那の選択を経て、刹那刹那に起きる現象はただ、単なる現象としてあるがままに起きているだけ。

 楽しい現象も、悲しい現象も、嬉しい現象も、怖い現象も、実は存在しません。
 単に、その現象に遭遇した人が、楽しいとか悲しいとかの着色をしているだけ。


 慧能禅師というお坊さんの逸話にこんなのがあります。

 あるとき、二人の僧が風に旗がなびいているのを見て議論してました。
 一人は「あれは旗が動いているのだ」、もう一人は「いや、風が動いているのだ」

 そこに通りかかった慧能禅師は、こう言ったそうな。
「風が動いているのでも、旗が動いているのでもない。おまえたちの心が動いているのだ」


 ……ま、つまりは結局、オチャドゾー(* ̄∇ ̄)_旦~~(ぇー

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だざいふおさむ

 太宰府天満宮いってきたー。


 おまいり


 去る16日、ちょいと唐突に誘われまして。

 「行かないか」「ウホッ、いいお餅」


 梅が枝ですがなにか。



 とびうめ

 かの有名な飛梅。本殿前の脇に鎮座ましましてます。
 当時は、現地の人によると三分咲きとのこと。
 今はもうちょっと開いてるんじゃないかな。




 えまえま

 時期も時期だし、案の定合格祈願の絵馬がわんさか。
 本殿上でも受験生と思しき年頃の一団が神主さんにお祓いを受けてる真っ最中だったし。

 けど残念ながら(?)、合格した(する)ことに感謝します~な類の文言は見つかりませんでした。

 本当は神社って場所はお願い事を叶えてくれるよう要求するんじゃなく、感謝をするのが適切なんだよね。

 「願い」ってのは「ねぎらい」から来た言葉だそうで、今生かされていることも含めて全ての現象を在らしめてくれている存在を労い感謝することが本義なのさ。
 けどまあ、まだまだそこらの認識違いはやっぱ根深いんだねー。

 ほらほら、今こそクレクレタコラ状態から脱却すると一歩前に出れるy(ぇー




 さるさる

 本殿の境内を出ると猿回しー。

 一旦上演し終えた直後だったようで、見物人もなくまったりしてますた。うきー。




 もちもち

 で、正面の参道には梅が枝餅のお店が多数。
 写真のはその内でも、参拝客の多いシーズンには行列必至らしいお店、きくち

 他と食べ比べたわけじゃないからその辺はわかんないけど、うん、とても上品なテイスト。ばっちり美味しいよ。


 もっとも個人的には、大宰府への道中で食べた資さんうどんぼた餅の方が、さらにすっきりさっぱり控えめな甘さでヒットw

 どっちかっつーと辛党なのよたわし。(ぇー



 つーか実を言うとですね、当初誘われても全く乗り気じゃなくて。
 前の記事でもちらっと書いたけど、当時はしばらく「存在」との繋がりへの感覚が鈍りまくってて精神的に大絶賛低調真っ最中。
 それもあって、かったるさマキシマムで断るつもりだったんですね。

 だけどまたしても川´ー`)が行け行けとせっつくのなんのって……。
 すっごい通信しづらい状態だったはずなのにね。
 これだけはものすごく強く届いたのさ。もう必死ってぐらい。

 だから、しょーがないなーうい太くんはー、ってしぶしぶ行ってみたら、


   なんということでしょう。(加藤みどり風


 確実に「存在」への感覚が戻り始めたんですわこれが。

 おかげで帰る頃にはこころうきうき、ほっぺたてかてか( ̄∇ ̄*)(ぇー



 いわく。

川´ー`)「おぬしのエネルギー調整のためじゃよ」

 先に言ってよそういうことは……( ̄д ̄;)

川´ー`)「先に知らせたら意味ないんじゃよ。サプライズが効果的なんじゃよ」

 まあそうだろうけどさー。




<東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
                あるじなしとて 春な忘れそ>

              菅原道真

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ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(4)

 しばらくほったらかしにしててすみまそん( ̄д ̄;)
 ちょいと旅に出たり飲み会参加したり川´ー`)のスパルタ食らったりでバタバタしてたもんで。(ぇー


 その間のことも後日少しばかりネタにしようかとは思ってるんですが、その前に。

 指怪我したって書きましたけど、そこに至るまで実は一週間くらい連日飲酒を続けてたんですね。
 他人には酒に強いと評される方だし、事実酒は好きなんですが、でも普段ほとんど飲まないんですよ。
 飲んでも一日コップ1杯程度で週一日二日飲むか飲まないか、二日以上連続して飲むことは滅多にないです。

 それが、どういうわけか突然川´ー`)がせっつきだしたんですよ、飲めって。
 気付いたら何の脈絡もなく買ってきた焼酎とワインのボトルをデスクに配備。
 で、短期集中とはいえ毎日続けて飲んだんです。一日あたりグラス2~3杯くらい。


 そしたらもうね、思考が暴れる暴れるw

 いや、そのことが怖いくらいに自覚できるんです。
 強烈にメタ認知状態で。

 こりゃまずいって酒を止めて、けど思考は一日二日程度じゃ静まらなくて。
 ていうかそれまで確かに感じてた存在との一体感や感謝のエネルギーが感じられないの。感覚が鈍りきっちゃったみたいな(実は今現在も多少そんな感じが残ってたり)。
 更には不安やら意図にそぐわない想念やらがぐいぐい湧き出てくる。

 そうして最終的に怪我で叩き起こされたような格好。
 ああ、これも自分で引き寄せたことなんだ、ってね。


 結局ね、「食べごと」に続いて、「飲みごと」の影響を学ばされてたみたいです。
 おかげでというか、更新放置中に行った飲み会(実は数年ぶり)で、酒をあおりつつも思考に翻弄されずにすんだし、その中にいろんな学びを知ることができた……のかな?(ぇー


 そんな折、というかつい昨日読み終えたこの本。 


 去年末頃にブックオフで100円だったのを何となく気になって確保したままずっと放置してたんですが、一日で一気に読破。
 著者の帯津さんは日本のホリスティック医療の第一人者なんですが、確か小林正観さんの本の中にも名前が出たことがあったはず。

 でもね。

 ぶっちゃけ買う時も著者が誰かなんて全く気にしてなかったし、終盤まで読み進めてやっと初めてその繋がりに思い至ったんですわ、マジでw
 うむ、川´ー`)め(ぇー

 で、この中で一流のお医者さんでもある帯津さんは、こんなことを書いてました。
 以下引用。

「食べ物というのはつくる人の気が入っていると、いい生命場になってしまうのではないかということですね。つくる人が心をこめて、おいしいものをつくろうと思っていると、その人のポテンシャルが入ります。だから、おいしいものをつくろうとして努力してくれた料理というのは、素材は体に悪くても、食べていいのではないかという感じがします。」(p315)


 ……以前ここで書いた事とまるっきり共通してるがな……( ̄Д ̄;)




 てなわけで長ったらしい前置きを経て、南北たんストーリー再開ですよー。


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触れ続けてきたもの

 あなたの手を、宙に差し伸べてごらん。

 その手は、何かに触れているかな?



 何も触れていない、そう思うでしょう。

 でも、そんなことはありえないんだよ。



 だってあなたの体、その皮膚の全ては、

 常に必ず、何かに触れ続けているから。



 空気に、水に、服に、タオルに、靴底に、

 一瞬たりとも、何かに触れていない時はないんだ。

 でも、あまりに当たり前すぎて、見落としてきたよね。



 もし気が向いたら、試してごらん。

 これは空気だ、これは水だ、これは服の裏地だ、

 そんな風に「判定」しないで、「判別」しないで、

 「頭」で、「名前」や「言葉」で、「理解」しようとしないで、

 ただ、ただ、「肌」で、「感触」してみてごらん。



 その「名前のない感触」を見つけ出せたとき、

 「名前をつける前の、あるがままの感触」を思い出せたとき、



 それが、本当のリアリティーへの、

 本当のこの世界への、入り口になるんだよ。




 もし、その扉を開けてみたいなら。


 あなたの手を、宙に差し伸べてごらん。

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我ガ艦隊、屋久島ニ上陸セリ。

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