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叱るということ。

 
 叱る。

 道理に照らして間違っているものを、
 間違っていると指摘して、諭すこと。

 だから叱るのに、怒るのは必要ない。
 怒鳴りつける事が、叱る事じゃない。


 一方で。
 怒りを乗せたら叱ることにならない、
 ……というわけでは、必ずしもない。

 単に、怒りを乗せて叱ってしまうと、
 相手が心閉ざしてしまいがちだから、
 諭し、間違いを正すという目的には、
 普通は不適格というだけに過ぎない。


 ところで。
 
 叱りに同じ怒気を乗せてるのに、
 周りに受け入れてもらえる人と、
 受け入れてもらえない人がいる。

 その違いは何か、と考えたとき、
 ふと、「叱る」ための前提条件があることに気付く。 


 「叱る」という行為は、
 そこに込めるものが「情熱」でなければ、成立しない。


 相手の成長を願う期待や、誰かを慮る愛情や、
 手の届く範囲で物事や環境の進歩を促す意欲。
 他にもあるけれど、それら全部、情熱の一種。

 要するに、叱ることを怒ることと勘違いし、
 結局鬱憤を晴らすために怒鳴っているのか、
 相手や物事に対する情熱に基づいているか、
 それだけの違い。


 怒りでもいい、笑顔でもいい。
 ただ、情熱があるかどうか。

 相手の心に届くか否かを分けるのは、
 そこなんじゃないかな、と感じる。


 ――理屈で人の心は動かない。

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