常に曖昧に。
何事も、後回し先送りにせず、
特段の理由がない限り、
きりのいいところまで進めておけば、
後に心を残さずにすむ。
まさに、今、この今において、
ただやれることをやっておけば、
後という名前の、既に過ぎ去った今に、
心が取り残されずにすむ。
後に心を残す、というのはつまり、
未来の後悔であり、未来への後悔でもあるんだ。
未来への後悔をしている限り、
未来への航海なんて、とてもできやしない。
未来へと航海することは、
まさに今、この一瞬を更改することなんだから。
てなわけで。
公私共にちと用事が詰まって中々更新できなかったものの、
おかげさまでどうにか南北くんも終わりまして、
まあ一段落とばかり優雅にブランデーを傾けとります(朝っぱらからかよ!?(嘘です。
ところで、ですよ。
この更新あいてた間、一日のアクセス数がそれまでよりも数倍になってたんですね。
昨日今日でようやく落ち着いてきましたが。
その理由ってのが、これ。
ここしばらくのアクセスログ、リンク元URLリストです。
他にも検索キーワードとしてログに残ってたのをさらっと拾い上げてみると。
「小林正観 訃報 死因」
「小林正観 死因」
「小林正観 死亡原因」
「小林正観 死亡 原因」
「小林正観の死亡原因」
「小林正観 死因 記事」
「小林正観 逝去 理由」
「小林正観 はなぜ死んだか」
「小林正観 なぜ死んだ?」
「小林正観はなぜ死んだのか」
「なんで小林正観は亡くなったの」
とまあ。
この正観さんの死因への関心の高さよ。
どんだけ気にしてる人多いのさwといいますか、
そんなの知ってどうすんのさ? ってのが、たわしの偽らざる感想ですわ。
まあ、中にはミステリアスなイメージを持って「○○の真相に迫る!」ってな三面芸能的な感じの人もいるんでしょうけれど、
そういったのを除けばほとんどは、
「自分にも起こりえるその死因を気にしなければ、不安でしょうがない」
という感じが根っ子にあるんじゃないかな、と個人的に感じてたりします。
今日はそこにたわしなりのあまのじゃっかーを突っ込んでみたいと思ふですよ。
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前回の続き。
食は命なり――。
ついに、相法の極意に開眼した南北くん。
その観相は、文字通りの百発百中の領域へと到達しました。
さらに、慎食によって運勢を改善できるという、
『節食開運説』
の確立により、いわば『開運コンサルタント』としての実績と名声も、
まさしくウナギノボリで高まってゆきました。
この頃南北くんは既に、地元大坂のみならず、近畿一円を中心に複数の拠点を持っていました。
それらを転々と巡りつつ、人々の観相や弟子の育成に力を注いでいました。
ここはそんな拠点のひとつ。
京都・南北庵。
∈( ・´-`・ )∋「さすがは高名な水野どのでおじゃる。麿の胸のつかえもすっきり取れたでおじゃるよ」
(  ̄д ̄)「なんの、俺は大したこたしてねーさ。お公卿さんが自分で本来の強く気高く高貴な心を奮い立たせる、そのためのきっかけを提示しただけにすぎないよ」
∈( ・´-`・ )∋「ほっほっほ、そうでおじゃろそうでおじゃろ~。しかし麿もさることながら、水野どのの力も大したものでおじゃるぞよ。では麿はこれにて帰るでおじゃる~、また来るでおじゃるよ~」
(  ̄д ̄)「はは、ありがたき幸せっす。またどうぞー」
公卿が上機嫌で退室すると、入れ替わるように八助と喜兵衛が入ってきました。
(◎∀◎-)「いやー先生、相変わらず絶好調でんなー。やっぱ百発百中の観相に開運コンサルタントっちゅう二本柱で、もはや先生の名声も磐石でおます!」
(  ̄д ̄)「鼻高々なとこ悪いけど喜兵衛さん。名声つったって、つまるところ人様の役に立てたって結果の副産物でしかないさ。そりゃもちろんありがたいことだけどな。
前も言ったろ、我を離れた心でなきゃ、観相家は務まんないさ。そもそもいくら百発百中したって、それが人の役に立たなきゃ、誰かの救いにならなきゃなんの意味もないだろ」
(=_=`)「……しかし、かような先生だからこそ、拙者たち弟子一同のみならず、先生の観相を求む数多の者たちが、こうして慕い集ってきているのでござる」
(◎∀◎-)「その通りでんがな! せやかて意外でおまんなー。いくら京の都ちゅうたかて、まっさかあないな身分のお方までもが観相やら人生相談を求めにやってきなはるやなんて」
(  ̄д ̄)「いや、悩みに身分の貴賎は関係ねーさ。迷いつつ生きれば誰しも、な」
(=_=`)「宮中人とて人は人。ゆえに相もあり、迷いもあり、悩みもある、ということでござるか」
(  ̄д ̄)「ま、そゆこった。リップサービスが効くのも人ゆえに、ってな」
そう言った南北くん。
ふと脳裏に、ある思い出が浮かびました。
(  ̄д ̄)「……人ゆえに、迷い悩みがあり、そして相もある……か」
(◎∀◎-)「? 先生、どないしはったんでっか?」
(  ̄д ̄)「……いや、俺の、南北って名前の由来さ」
(◎∀◎-)「由来でおまっか?」
(=_=`)「確か、海常大師匠より賜ったと、前に教えて頂いたでござるが」
(  ̄д ̄)「ああ。確か師匠はこう言ってた」
(゚┏ω┓゚ )「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(迷うが故に三界は城、悟るが故に十方は空、本来東西無く、何処にか南北あらん)。
ここより南北を賜いて、さらに我が姓を加えて水野南北!」
(=_=`)「本来東西は無く、南北など何処にもない……でござるか」
(◎∀◎-)「むぅ~、なんやイミシンでおまんなぁ」
(  ̄д ̄)「ま、今の俺なりに示すなら、こうかな」
紙と筆を取った南北くん。
さらさらと、一つの詩を記しました。
『東有東西南北 (東に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
西有東西南北 (西に行ったと思っても、その中にまた東西南北がある。)
南北各々亦然 (南も北も、また同じ。)
若夫得一隻眼 (もしそれを本当に己の見方で観られたなら、)
東西南北則在其所 (東西南北を、まさにそこに在らしめることができるんだ。)
非有非無亦有亦無』 (有るでもなく無いでもなく、有であり無でもある、ってこった。)
(  ̄д ̄)「……前に、相は無相こそ最高の相とするって言ったよな。それもそのはずだ。元々全てに相なんかないんだからな」
(=_=`)「しかし、先生も多くの人々の相を、確かに観てきたはずでござるが?」
(  ̄д ̄)「ああ。その通りさ。元々全てに相などないが、同時に、全てのものには相があるんだからな」
(◎∀◎-)「なんでっかいなそれ、わけわからんでんな」
(  ̄д ̄)「言葉や理屈じゃ矛盾するからな、それも無理はない。けど、有も無も、同じなんだ。
そうさ、それだけじゃない。俺たちも含めて全ては不生不滅、無始無終。ひとつの何かなんだよ」
(=_=`)(◎∀◎-)「……」
(  ̄д ̄)「そもそも、あらゆる不明も、恐れも、不運不幸も、迷いから生まれるのさ。
迷うからだめなんだ。
例えば価値観一つとっても、たくさんの人が迷ってる。
一番多い迷い、迷妄、誤解は『幸せは他の何かとの比較や、他者からの評価で決まる』ってやつだ。
ハッキリ言うぜ。
幸せは何かや誰かとの比較で決めるもんじゃない。
他人に限らない。過去や未来の自分だって、比べるものじゃない。
ましてや、他人の承諾や是認や肯定を必要とするもんじゃない。
今、自分で、今この一瞬の自分を認めて肯定する。幸せに必要なのはそれだけさ。
今の自分が在るのは、他でもない、まさしく今なんだからな。
……まあ、つまるところだ。
つべこべ言ってないで、黙って今一瞬の自分を生きろ、ってこったな。
相を観るための境地も、相を超えて無相に生きるための境地も、全部そこに集約されてんだからさ」
(◎∀◎-)「う~、そうは言っても迷ってしまうのが人情でおまんがな」
(  ̄д ̄)「じゃあ……これ見なよ。今俺が描いたこの絵、何に見える?」
(◎∀◎-)「うわっはは、これはまた不細工なネズミでおまんなー」
(=_=`)「……喜兵衛殿、これはクマではござらぬか?」
(  ̄д ̄)「いやまあ、俺としちゃメスライオンのつもりで描いたんだがな」
(=_=`)(◎∀◎-)「……(汗)」
(  ̄д ̄)「ま、とにかく喜兵衛さんにとっちゃこいつはネズミ、八助にとっちゃクマ、俺にとっちゃメスライオン。
だけどさ、よく考えてみなよ。
三人三様、千差万別、各々それぞれの解釈、つまり現実や判断、価値観があるってのに、その大元であるこの絵、つまり事象そのものは、何にも変わっちゃいないだろ」
Σ(=_=`)(◎∀◎-)「あ」
(  ̄д ̄)「師匠に学ぶ前の俺は、本当に迷いの闇路で途方にくれてたも同然だった。
だからそれこそ人の世の底辺でくすぶってたし、どうしょうもない死に様を迎えかけもした。
人生や世間っつーただの事象を、迷いの目で見てたからそうなっちまってたんだ。
だがそうは言っても迷っちまうってのはな、他人の、他人が勝手に作った価値観を、自分の価値観だと錯覚して、いいやむしろ絶対の真実として自動的に見てしまってるから、それだけにすぎないんだ。
そうじゃなく、本当の自分の価値観で物事を観るんだ。観るように訓練してけばいい。
もちろん、単に視野狭窄で強情なものの見方と取り違えてもらっちゃ困るぜ。
まず評価や価値判断の無い、ありのままで物事を観る。それが自由自在に出来るようになってから、あらためて己の内側からの声に耳を傾けるんだ。
そうすりゃ、おのずから本当の自分の価値観が確かなものになってくる。
そしてそいつは、自然に周りと調和し、周りに……そうだな、愛ってやつをもたらすものになるんだろうな。
少なくとも、俺はそう思うし、実際にいくらかは、観相を通じて、それこそ愛を誰かに与えることができたんじゃないかな、と自惚れもするわけさ。運命を上向きにして、幸せを感じてもらうことでな」
(=_=`)(◎∀◎-)「……」
(  ̄д ̄)「ま、要するに、だ」
(  ̄д ̄)「こう書き加えりゃ、こいつはたった今からメスライオン、ってこった」
(=_=`)「……ところで、ライオンとはいかなる獣なのでござろうか?」
(◎∀◎-)「……絵を見る限り、えらいトロそーな動物なんやおまへんか?」
と、八助と喜兵衛が途方にくれた、その時でした。
廊下を慌しく駆けてくる足音。そして……。
∈( ・´-`・ )∋「み、み、水野どの、水野どの~! 祝着でおじゃる~|」
(  ̄д ̄)「おぉぅ、何だい公卿さん。そんないきなり血相変えて飛び込んできて。おしろい塗ってるから顔色なんてわかんねーけどさ」
∈( ・´-`・ )∋「そ、そんなことよりでおじゃる水野どの!
水野どのの観相の御業、麿が陛下のお耳にお入れいたしたところ、この度陛下より、水野どのの業績をたたえ『大日本(日本一)』ならびに『相学中祖(観相学中興の祖)』の号とともに、従五位出羽之介に叙するとの旨、麿が伝達を承ったでおじゃるよ~!」
(  ̄д ̄)「……………………は?」
(=_=`)「先生が……従五位……大日本?」
(◎∀◎-)「ほなら……先生が、お公卿はんに……?」
その日。
夜が明けるまで、南北庵は大騒ぎとあいなりました。
――かくして。
観相家として、名実共に日本一の頂点に立った南北くん、
いや、水野南北、その人は。
終生観相一筋、 また自ら節制を徹し続けた結果、
友や弟子たちに囲まれ、豊かに、かつ大変充実した人生を全うしました。
皇室の引き立ても受け、晩年には広大な敷地と複数棟の蔵屋敷を有する大資産家にもなりながら、
その生活、特に食生活は徹底して質素であり続けました。
これは、自らが提唱した摂食開運説、すなわち慎食の教えを推し進めるべく、
自ら人々の手本となるためでもありました。
水野南北が亡くなったのは、天保五年(1834)、十一月十一日。
大坂・道修町、小西邸の奥座敷にて、喜兵衛達高弟に見守られ、穏やかに息を引き取ったといいます。
享年七十五歳。
男性の平均寿命が40歳台といわれた江戸時代において、これは非常に長寿であったと言えるでしょう。
彼が遺した『南北相法』などの書籍は、
現在でも観相を志す者なら必ず目を通さなければならないとされるほどの名著とされています。
福沢諭吉は、あの有名な『学問のすすめ』にて、次のように述べました。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。
人は生まれながらに、貴賎上下の差別はない。
けれども今この人間世界には、確かに、賢い人愚かな人、貧乏な人金持ちの人、身分の高い人低い人とがある。
その違いは何だろう? それは甚だ明らかだ。
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによってできるのだ。
人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、
ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。』
しかしそれよりも先んじて、
水野南北は、このような言葉を残していたのです。
『人の貴くなること、また賤しくなることは、みな飲食の慎みにあるべし』
南北いわく、食べ物は生命の源であり、生命は食べ物にしたがい生じるもの。
すなわち食は命であり、命あればこそ、ようやくその上に学問も成り立つのは自明です。
彼自身、無学を自認するがゆえもあり、もちろん学問の重要性は認めながらも、
しかし学問よりも更に根本的なところにある、シンプルかつ重大な事実を見抜き、
それを万人に通用し、万人の運命を土台から改善しうる方法として説き続けたのです。
それは、明らかに『観相家』『観相学』の域にとどまるものではありませんでした。
まさしく、生々しいまでの「にんげん」への熱い想い、
いわば普遍的な人間愛という目線によるものであったのは、想像に難くありません。
最後に、作家・神坂次郎氏が、
著書「だまってすわれば」のあとがきにて記した水野南北評を引用し、この物語の締めとさせていただきます。
『南北の命運学の面目は、「適中を誇るべきではなく、人間を救う」ことに重点をおいたことであろう。
南北が偉大なのは、ここである。』
これをもちまして、
ナンボククエストことストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース、完結と相成ります。
長らく目を通していただき、お付き合いいただきまして、
まことに、まことにありがとうございました。
■参考文献
・『だまってすわれば―観相師・水野南北一代 』(神坂次郎箸 新潮文庫刊)
・水野南北『食は命なり』
・開運の秘訣は食にあり
・北京堂鍼灸治療院さん:南北相法現代語訳、『相法早引』現代語訳序文
・若く長生き! 幸福生活養生法さん:水野南北
――他多数。
(  ̄д ̄)<みなさん本当にあざーっしたー!
(゚┏ω┓゚ )(=_=`)(◎∀◎-)
(´ム` )(=д= )(=“゚ω゚”)
(メ●д▽)(=゚л゚)(´・ω・)(`д´メ)
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )(・_・ )
随分前にcuocaに行ったときにですね、
紫いも食パンミックス買ってみたんですよ。
混ぜてみるとこんな具合でして。
これがまたええ感じに紫色で。
素のパン生地とマーブルにしてみたら面白いんじゃないかなーってのが事の発端。
つ-わけで早速材料パウンド型4本分。
〔〕内はベーカーズパーセント。
■紫生地
・cuocaの紫いも食パンミックス1袋(250g)
(※この銀袋入りのはイースト付属してません。箱入りのやつには同梱されてます)
・水:120g
(※元々ホームベーカリー用のミックスなためか、袋に記載の水量で手ごねするとかなりべたついてこねにくいです。なので今回水量を抑え気味に。HBでこねるなら袋に記載の量で問題ないかと。)
・イースト:3g
・バター:10g
■白生地
・強力粉(ゴールデンヨット):250g〔100%〕
・てんさい糖:20g〔8%〕
・塩:3g〔1.2%〕
・水:150g〔60%〕
・卵:15g〔6%〕
・スキムミルク:5g〔2%〕
・イースト:3g〔1.2%〕
・バター:5g〔2%〕
■フィリング用
・りんご:1個
・砂糖またはハチミツ:少々
・シナモン:少々
・レモン果汁:数滴
紫生地と白生地はいつもどおりにまぜてこねこね、一次発酵へゴー。
うん、とっても省略だ(ぇー
で、一次発酵の合間にリンゴフィリングを仕込みます。
まずはリンゴを小さな銀杏切りにさくさくカット。
そしたら鍋で砂糖を加えて火にかけ、リンゴ自身の水分で軽く煮立てます。
ジャム作りみたいな感じですが、ジャムほど煮込むわけではないです。
軽く水分が飛んで、砂糖が馴染んだら火を止めて、シナモンとレモン汁を振りかけます。
全体に絡んだらパットなどに移して、冷蔵庫で冷ましながら待機。
一次発酵が済んだら、2つの生地をそれぞれパンチして、4等分に分割を。
分割した生地は丸めてとじ目を下にしてから、しばらくベンチタイムを取ってグルテンが落ち着くのを待ちます。
そしたら生地を薄く延ばーす!
で、白生地の上に紫生地を重ねーる!
更にその上にリンゴスライスを適当に並べーる!
並べたら生地をくるくると、できるだけキツめに巻ーく!
巻いたら生地終端をとじて、ナイフで1本を4等分に切ーる!
……ぉぅぃぇ、ここ写真撮り忘れたんだ(´・ω・`)(ぇー
そんなわけで、生地を切ってできた4片を縦に立てて、型に並べるとこんな感じになるですよ。
二次発酵したら照り卵を塗って、粉ふるいで小麦粉をまぶして、160度のオーブンで40分。
パウンドサイズの割に、かなり焼成時間は長めです。
というのも、フィリングの水気があるので中まで火が通るには結構かかるんですよ。
かといって生地はややリッチ寄りなので焦げやすいため、高温は避けたいところ。
ためしに30分ちょっとで一本取り出して切ってみたけど、少し生焼け気味でした。
そんなこんなで焼き上がりー。
切るとこんな感じよ。
普段の横ロールとはまた違って、縦ロールならではのランダムストライプが乙でござります。
ロールシャハテストとか言わないで(ぇー
ま、見た目はともかく味。
紫芋ミックスのやわらかい甘みと、リンゴの甘酸っぱさが予想以上にマッチしててびつくり。
ご近所さんにプレゼントしてみたところ、社交辞令を頂きました(ぇー
叱る。
道理に照らして間違っているものを、
間違っていると指摘して、諭すこと。
だから叱るのに、怒るのは必要ない。
怒鳴りつける事が、叱る事じゃない。
一方で。
怒りを乗せたら叱ることにならない、
……というわけでは、必ずしもない。
単に、怒りを乗せて叱ってしまうと、
相手が心閉ざしてしまいがちだから、
諭し、間違いを正すという目的には、
普通は不適格というだけに過ぎない。
ところで。
叱りに同じ怒気を乗せてるのに、
周りに受け入れてもらえる人と、
受け入れてもらえない人がいる。
その違いは何か、と考えたとき、
ふと、「叱る」ための前提条件があることに気付く。
「叱る」という行為は、
そこに込めるものが「情熱」でなければ、成立しない。
相手の成長を願う期待や、誰かを慮る愛情や、
手の届く範囲で物事や環境の進歩を促す意欲。
他にもあるけれど、それら全部、情熱の一種。
要するに、叱ることを怒ることと勘違いし、
結局鬱憤を晴らすために怒鳴っているのか、
相手や物事に対する情熱に基づいているか、
それだけの違い。
怒りでもいい、笑顔でもいい。
ただ、情熱があるかどうか。
相手の心に届くか否かを分けるのは、
そこなんじゃないかな、と感じる。
――理屈で人の心は動かない。