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記事一覧

ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(12)

 えーっとお知らせ。
 前回までこの「ストーリー・オブ(以下略」は《考え事→飲食》カテゴリに入れてましたが、
 新たに《物語→水野南北》カテゴリを作って、過去記事も含めて全部そちらに移動させました。

 なので以前の話には「物語」としちゃ余計な能書きが入ってたりもしますが、
 そーゆー経緯なんで、特に新たに読み進めて頂いた方はご容赦くださいませ。m(_ _)m


 んじゃ前回の続き。




 初めての弟子・紀州浪人の八助を迎えた南北くん。

 その八助、温和な割に案外果断な行動派で。


(=_=`)「師匠、只今帰りましたでござる」

(  ̄д ̄)「おうお帰……って八助、何だその本の束は。それに刀差してないじゃん、どーしたんだよ?」

(=_=`)「拙者、師匠の弟子になりもうした。ゆえに、一日も早く師匠の教えについてゆけるよう、まずは古今東西の観相書を読破しようかと」


 弟子入りの翌日には大小の刀を売り払い、
『柳庄相法』『麻衣相法』『陳搏相法』『神相全編』『月波洞中経』『非相篇』などなど、
 古本屋で観相学の本を買い漁ってくると、南北くんの前に座って音読を始めました。

 海常師匠の教示を受けて後、実学一辺倒だった南北くんも、
 思いがけず弟子の口から流れ出す新鮮な知識に、一緒に座り込んで耳を傾けました。


(  ̄д ̄)「(人に教えることとは自分が教わることだ、ってよく聞くけど……師匠もこんな風に俺から学んでたのかなぁ)」


 普段物静かな割に、ハッキリと芯のある八助の朗読を聞いていると、
 海常師匠に初めて教えを受けた時の事がしみじみと思い出されます。


(  ̄д ̄)「(つっても、これじゃどっちが師匠かわかんねぇなぁ。ま、いいけど)……って八助、今の『五常』ってのは何だ?」

(=_=`)「五常と申しますは、儒教における仁・義・礼・智・信の五つの人徳のことで――」


 何はともあれ。
 師匠と呼ばれるようになっても、南北くんの学究心は衰えを知りませんでした。



 さて。八助が弟子となってしばらく後。
 南北くんはさらに、もう一つの重要な出会いを果たします。

 それは、以前の働き場で贔屓にしてくれたVIPの頼みで、ある人物の観相へと出向いた時のこと。

 行き先は、現代でも薬の町として知られる大阪・道修町。
 観相相手の名は、薬種商の若旦那こと三代目小西喜兵衛。

 依頼してきたVIPの話では、この喜兵衛という男、とにかく病身病弱な上に不運続き。
 あちこちの易者に観てもらったものの、『この相では三十歳まで生きられないだろう』と口を揃えたように判定される始末。

 おかげで、ただでさえ貧相虚弱な喜兵衛は、余計陰気に落ち込んでいく一方。
 それを見かねた依頼人が、藁にもすがる想いで南北くんを頼ったのでした。


(  ̄д ̄)「なんとか縁起直しできないものか、って頼まれりゃ、まぁひとつやってみるしかないわなぁ……ごめんくださーい」

(●A●-)「本日はぁ……わてのためにぃ、わざわざお越しいただきぃ……ほんまおおきに……」

Σ(; ̄д ̄)「うわっ! めっちゃ暗っ!?」


 初めて目にした喜兵衛には、凶相も凶相、短命貧窮の悪相がこれでもかと出ていました。

 しかし今回の依頼内容は、単なる観相だけではありません。
 この『悪相』を、いったいどうやって『好相』へと押し上げるか。

 模索の中で思い出したのは……他でもありません。
 南北くん自身がかつて経験した『凶相からの脱却』と『現在にまで至る、向上と理解』、そのプロセスでした。

 この日から、南北くんは喜兵衛の相を改善するため、頻繁に道修町へと通いつめます。

 相の改善、ひいては運勢・運命・そして生命力の改善。
 それらを成功させるべく、まず「相とは何か」、「相は何によって定まるか」、
 そして「相を変えるにはどうすればよいか」……八助も交えて、喜兵衛の屋敷で根気よく講義を行いました。


(  ̄д ̄)「相って字は木目って書くだろ。木目ってつまり、年輪のことじゃん」

(=_=`)(●A●-)「「おお、確かに」」

(  ̄д ̄)「顔の、人相ってのも同じなんだよ。
 例えば、目は心の窓でさ。顔の相の六割は目の光で決まるんだ。日頃暗い事を考えてれば光は暗く淀むし、善い活力に満ちてれば澄んで力強く輝く。
 荒んだヤクザ生活してる奴の血走った目や、いつも愚痴や泣き言こぼして取り越し苦労ばっかりしてる奴の恨むような目は、その心の暗さが目の色にこびりついてできた相なんだ」

(=_=`)(●A●-)「「ふむふむ」」

(  ̄д ̄)「口も同じだよ。口ってのは言葉、つまり意思を発する場所だ。
 悪口や不平不満ばっか言ってると、口の端がへの字になる。何度も繰り返せば、その動きがこびりついて、口の形そのものが歪んでくる。悪い相が積もって刻まれていくんだ。
 喜兵衛さん、あんたのアルファベットな形の口も同じさ。心当たりあるだろ?」

(●A●-)「はぅ……確かに、そないやったかもしれまへん……」

(  ̄д ̄)「イエスキリストだって、はじめに言葉ありきって言ってるじゃん。それに言葉は考えや思いがあってこそ生まれるし、行動も同じだ。外面に現れるかどうかは一切関係なく、どんな些細な要素でも全部重要で、つまり全部『相』になるんだ」

(=_=`)「なんと……相とは、それほど根深いものでござったのか」

(  ̄д ̄)「つまり『相』ってのは全部、自分で蒔いた種から出たものだ。
 考えたこと、思ったこと、口に出したこと、行動したこと……塵も積もれば山となるって言うけどさ、その全部が本当にもれなく積み重なって、年輪のように層となって、その人の人相が固まる。他の相も同様にでき上がるんだ。
 例外はないよ、本人がそれを意識していようといまいとね。天網恢々疎にして漏らさずってのは、ある意味そういうことでもあるんだよ」

(●A●-)「あ……つまり、意識してへんっちゅうのが……疎、天網の目が粗いってことでおますか……」

(  ̄д ̄)「おうよ。自分は不幸だ不幸だって嘆いてる奴を見てみなよ。例外なく自分が自分の運命を、相を創ってるって意識がまるで皆無だろ」

(=_=`)「……言われてみればまこと、そのようでござる」

(  ̄д ̄)「いいか。本当の相ってのはね、外側じゃない、内側にあるんだ。
 というか本来、肉体に相はないんだ。
 生まれつきの悪相なんてのは無くて、それは全部、いわゆる自我から生み出されて、つまり自我が目に見える『相』という姿形をとって、外側ににじみ出てきただけなんだよ。
 と、いうことは……だ。八助、喜兵衛さん、どういうことかわかるかい?」

(=_=`)(●A●-)「「?」」

(  ̄д ̄)「俺は何のためにここに来たんだい?」

(=_=`)「それは、喜兵衛氏の運命を好転させるため、でござるな」

(  ̄д ̄)「そうだ八助。そして今言ったとおり、悪相も良相も生まれつきじゃない、後天的なものだ。つまり……」

(●A●-)「あっ……ほなら、わての三十歳まで生きられんっちゅう運命も……?」

(  ̄д ̄)「おうよ、喜兵衛さんにその気があれば、変わるぜ。相は、運命は心持ち一つで変え得るんだ!」

(●A●-)「! せ、先生ぇぇ……」

(  ̄д ̄)「感激で涙ぐんでるとこ悪いが、泣くのはまだ早いぜ。
 これから基本方針として、俺の監督下で日頃の行いの見直しと矯正を試みる。で、それを通じて喜兵衛さんの『内側』を変える。そうすれば相も運命も、勝手に変わってくる。俺はそれを身をもって経験してきたからね」

(●A●-)「ハイ先生! わてはいくらでも、先生の教えに従いますさかい……なにとぞ、なにとぞぉ……」

(  ̄д ̄)「俺の袖で鼻水拭くな。んじゃまずは日々の食事、献立から変えていこうじゃないか」

(=_=`)「食事、でござるか? 師匠、それはなにゆえでござる?」

(  ̄д ̄)「さっき、心の姿勢も含めた全部が『相』という年輪として積み重なって現れる、って言ったよな。
 逆に言えば、そんな年輪が生じるからこそ観相ってのは成り立つんだ。
 ただ、従来の観相学ってのはそこで終わってた。満足して追究を怠ってたんだ。あんたは運がいい、運が悪い、それだけ判定してハイ終わり、ってね」

(●A●-)「ああ……今まで見てもろた易者はん達も、言われてみればそうでおましたなぁ……」

(  ̄д ̄)「俺はこれまで、千人万人の観相を通じて、実学で学ばせてもらってきた。いわば、千人万人がもれなく恩人なんだ。
 なのに、そんな恩人に対して、ただ相を見て『あんたは運がいい、運が悪い』ってだけで済ませてんじゃ、相手のためになりゃしない。恩返しにならないんだ。
 運が良いならそれを保ち更に押し上げるには、悪いなら悪いなりに好転させるにはどうしたらいいか、そこまで的確に処方箋を出せてこそ、つまり一人一人それぞれが本当に幸せを噛み締めてくれてこそ、ようやく俺も恩を返せたことになるんだ。
 そのためには、不幸な人間が不幸になるべくしてなった、その根本的な共通点を洗い出す必要があった。不幸の原因を取り除けば、あとは幸せになる道しか残らないからな。火葬場にまでもぐりこんだのには、そんな理由もあるんだよ」

(●A●-)「ひそひそ(八助はん……あんさん、ええ師匠に恵まれはったなぁ……)」

(=_=`)「ひそひそ(誠に、我が事ながら同感でござる)」

(  ̄д ̄)「っと悪い、話が逸れたよな。
 たとえば熟練した庭師は、庭木の葉っぱ一枚見ただけで、その木の健康状態や、庭土の質まで見通しちまう。
 それと同じだよ。相は葉っぱ、考えや心は幹だ。いくら葉っぱをいじったところで幹の病は良くなりゃしないけど、逆に幹が健やかなら自然と葉っぱも変わり、緑濃く生い茂る。つまり運も栄える。
 でも、それだけじゃない。今の喩えで、何か抜けてるところに気付かないかい?」

(=_=`)「抜けた所、でござるか……? 葉っぱが『相』で、幹が『心』……」

(●A●-)「あ。先生、『庭土』にあたるものがおまへんな」

(  ̄д ̄)「そうだ。葉と幹、つまり木を俺たち人間とすればさ、庭土はその人間の生命を根本的に支えるものだ。
 あ、人間の生命つっても、単に肉体の生命ってことじゃないよ。
 それだけじゃなく、心も精神も、全部ひっくるめた『にんげん』を構成する全て、ってことさ。
 で、俺たちってのは要するに、飲み食いした物でできてるだろ」

(=_=`)(●A●-)「「あ!」」

(  ̄д ̄)「オーケー、その顔は気付いたな。
 そう、人倫の大本は『食』だ。
 運命って字は命を運ぶって書くけど、そのためには食わなきゃいけない。
 でもその食う物ってのも、やっぱり命だ。
 食った命にまた命を運んでもらってるんだ。それこそ恩人みたいなもんだ。
 そんな命の扱いがぞんざいなら、つまり食い方が悪ければ……具体的には美食や贅沢、暴飲暴食なんかを繰り返してれば、運ばれてくる命の方が愛想を尽かす。つまり運命が悪くなるんだ。
 実際、火葬場で見た陰惨な人生を遂げたやつの内臓ほど、いったいどんな悪食だったか知らないが、青黒くて病気そのものみたいな色してやがった。それにこれは一つの例なんだけど、昔の俺はさ――」


 そうして、南北くんが続けてしみじみと語った過去――海常師匠に死相を指摘され、必死の思いで麦と豆のみの慎食行に挑み、そして剣難から脱したばかりか観相という道を見つけた実話に、喜兵衛は大いに感激した様子で、


(●A●-)「そないなことが……ほなら先生は今も?」

(  ̄д ̄)「おう、麦飯は一日一合半、酒は好きだけど一日一合以内を続けてる」


 かくして彼、三代目小西喜兵衛。
 南北くんの指導の下、慎食と日々の心構えの改善に挑み……やがて。


(◎∀◎-)テカテカ

(; ̄д ̄)「……呆れるくらい見違えたなおい。口がターンエー化してやがる」

(◎∀◎-)「いやぁ、それもこれもみんな先生のおかげでおま!」


 あれだけハッキリ出ていた喜兵衛の悪相はまるでナリを潜め、
 それどころか、明るくイキイキはつらつとした、いかにも大店の若旦那にふさわしい覇気を発揮するまでになりました。

 実際にコーチを務めた南北くんにとっても驚きの運命向上っぷりでしたが、
 何より誰より、一番心躍っていたのは、他ならぬ喜兵衛本人でした。 
 感謝の念もあらわに、喜兵衛は南北くんへと、こんな事を申し出たのです。


(◎∀◎-)「つきましては先生、わても八助はんと同じゅう、先生の門弟にしてもらえまへんやろか? そしたら、この近くにわての別邸がありますさかい、遠慮なく自由に使ってもろて構いまへん。そこに八助はんも一緒に住まってもらえまへんやろか?」

(  ̄д ̄)「ん? まあ、それは問題ないし非常にありがたいんだけど、何でまたいきなり?」

(◎∀◎-)「わての先生を千日焼き場にずっと篭らせとくわけにもあきまへん。それに先生はほんまに大したお方や。そんな先生の教えを、わてと八助はんの二人占めやなんて社会の大損失でんがな。ここはひとつ、わてが宣伝部長として駆け回りますさかい、ウチを拠点にもっとお弟子はんを集めまひょ!」

(; ̄д ̄)「あ、ああ……つーか元気になりすぎだろ。嬉しいけどさ」

(=_=`)「しかし、ついに先生もお屋敷住まいでござるか。ツチノコでも捕まえて一攫千金を果たしたみたいなものでござるな」

(◎∀◎-)「ほならわてはツチノ小西喜兵衛かいな! こりゃ八助はん、うまい事言いよりますなぁ!」

(  ̄д ̄)「うまいか? それ……」


 こうして、地元でも有力な商家である喜兵衛の強力な援助を得て、
 南北くんは本格的に観相家としての大きな一歩を踏み出そうとしていました。

 ……が、その矢先。

 ある悪質な事件が、彼ら南北一門に降りかかってきたのです。

 その事件とは……次きの講釈にて。


 次回、ナンボククエスト第十三話、
「喜兵衛絶体絶命! 南北一座、一世一代の大芝居!?」
 をお楽しみに。嘘ですは嘘です。

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変わらない信号はない

『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』

 ……なんてたまに言われますが。

 ちょっとタチの悪い印象で用いられるんでしょうけど、
 実はこれ、まだマシなほうでして。

 だって、
「赤信号はほんとは危ないから渡っちゃ良くない」
 ってことを一応自覚してますもん。

 見渡す世間の内、多くの人々には、
 むしろこっちの標語(?)が当てはまるんです。

『赤信号 みんな渡ってるから 渡れって意味なんだね』(超字余り)


 怒る
 怒鳴る
 威張る
 愚痴る
 文句を言う
 不平不満を言う
 悪口を言う
 陰口を叩く
 嫉妬する
 嘲笑する
 いじける
 羨む
 貪る
 侮る
 騙す
 奪う
 暴力を振るう
 こき下ろす
 尊大に振舞う
 他人を糾弾する
 自分を卑下する
 他人を見下す
 自分を責める
 他人を責める
 他の何かに責任転嫁する
 自分を運命の被害者だと思い込む
 自分を悲劇の主人公だと思い込む
 世界の全ては私の敵だと思い込む
 過ぎたことを後悔する
 未来の状況を不安がる



 全部、赤信号。

 たくさんの人々が、それでも渡ろうとする。
 渡ろうとして、もれなく車にはねられて、痛い目見てる。

 でも、やっぱり赤信号は渡らなきゃいけないんだって思い込んでるから、また渡る。

 渡って、渡りきった先に、
 素敵な素敵なご褒美が、幸せが待ってるって思い込んでるから、また渡る。


 でも、それで向こう岸に辿り着いた人なんて、いないんですよね。
 そもそも「向こう岸」なんてどこまで渡っても見えないんですよね。
 なのに、なんで「向こう岸に幸せがある」なんて、わかるんだろ。


 それは、
 偶然はねられずに「独自の目標に決めた距離まで渡った」人が、
 「ああ、俺はここまで渡ったぞ! やったぞ!」
 って、一時の達成感・解放感を幸せと勘違いして、そこでバンザイしてたから。

 他のみんながそれを見て、
 羨ましがったり、「よーし俺も!」と意気込むから。
 あの場所こそが向こう岸なのだと、こぞって目標にするから。


 そこはまだ、車道のど真ん中なのにも関わらずね。



『山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう
 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
 涙さしぐみ、かえりきぬ
 山のあなたになお遠く、幸い住むと人のいう』

(カ-ル・ブッセ 作/上田敏 訳)




 だけど、そうやって無数の人がはねられていく中、
「あれ? なんかおかしいんじゃない?」
 って疑問を抱く人が、僅かながら出てくる。


 更にその中から、この疑問を真摯に受け止めて、
「もしかして、赤信号って渡っちゃまずいんじゃない?」
 って仮説を打ち立てる人が、僅かながら出てくる。


 更に更にその中から、この仮説を誠実に検証し続けて、
「あ、やっぱり赤信号って、渡っちゃいけないんだ!」
 って確信と結論を導き出す人が、僅かながら出てくる。


 それが、「目覚め」の始まりです。


 そして、渡っちゃいけないんだという結論を、
 それまでの「渡り癖」と問答しつつ、地道に実践していくことで、

 時々焦りながら、でもやっぱり焦らずに、
 ゆっくりじっくり、少しずつ力を抜く術を身につけながら、
 ただただ、「渡らない」「その場に在る」という実践をしていくことで、

 いつしか気付くんです。


「ありゃ。渡らなきゃ幸せじゃん」



『赤信号 渡らずにいれば 青になる』



 ♪とーぉりゃんせーとーりゃんせー

 ちなみに青信号の中には、が描かれてます。

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今日は死ぬのにもってこいの日

 身近な人の死や、死に準じる事態に突然直面したとき、やってはいけない事がひとつある。


 それは、驚くことでも、悲しむことでも、悼むことでもなく、


 うろたえ、取り乱し、途方に暮れることだ。


 「どうしよう。ああ、どうしよう」と。

 「突然こんなことになってしまって、これからどうなってしまうんだ! どうすればいいんだ!」と。


 有り体に言えば、過去や未来に心を飛ばし、眼前の死と呼ぶ現象から逃避し、
 今この瞬間に存在していない状況を妄想し、不安を創造して「遊ぶ」ことだ。


 悲しむのは構わない。悼むのは構わない。
 むしろそれは、人として断然、あってもよいことだから。


 しかし、
 「人は必ず死ぬものだ」ということを予め、本当に理解できていれば、
 たとえどれほど悲しみに苛まれても、不安という自縄自縛にはまず陥らないし、仮に陥っても短時間で済む。


 でも、世の中には、そうでない人もいる。
 まだ若く、経験と哲学に乏しいなら話は別だが、
 突然の死、あるいは死の宣告を前に、
 いい歳をしてただ闇雲に、心を過去や未来に逃がし、遊ばせ続けている人が。
 いつまでもいつまでも、ただ不安に嘆き浸り続けるだけの人が。



 そんな人に「人は必ず死ぬものだ」と告げると、必ずといっていいほど返ってくる反応がある。



 「そんなことはわかってるよ!」



 わかっていないから、取り乱すのだ。



 もっと正確に言えば、
 理屈で理解しても、胆(はら)の底で受け止めていないのだ、
 頭で、自我で、思考で「人は必ず死ぬものだ」という「言葉をコレクションしているだけ」で、
 覚悟という胆の領域に落とし込む事を、怠ってきたのだ。


 そう。
 自らの心を修めるという一世一代の大仕事に対する、怠惰の結果だ。



 人として生まれた以上、誰一人の例外なく、必ず一度は死ぬ。

 その理解の真髄を端的に語った言葉こそが、


 「一期一会」


 この言葉を飾り棚に収めることなく、

 いつでも抜き放てる愛刀として座右に置き続ける剣人(賢人)は、

 悲しめども、決して取り乱すことはない。





 ……。

今日は死ぬのにもってこいの日
 プエブロインディアンの死生観を綴った詩集で、
 記憶が確かなら、かれこれ10年くらい前に入手した一冊です。

(って書いた後で、たわしのアカウントでamazonにログインして上のリンク先見たら、
 「2001年2月に購入しました」って表示されてた。記憶違いじゃなかったね)

 当時はまだ音楽活動真っ最中の頃、いわゆるペシミズム的な見方しかできなかったこの世界観。
 様々な紆余曲折や有形無形の存在との出会いを経て、近頃になって読み返してみると、
 大地に根ざして生きてきたネイティブアメリカン達の境地は、まさに悟りそのものだったのだ……と、
 それなりに少しは肌で分かるようになってきたようではあります。
 それもまた、おかげさまなのだな、と。


 仮に今日、自分が死ぬとして。
 はたしてその時に周囲の人々が取り乱すのかどうか、
 それははっきり言って、その一人一人各自の問題です。
 冷たく聞こえるでしょうが、そこまで後生責任抱えてあの世に逝くなんてまっぴらごめんです。


 ただただ、放言してしまえばエゴイスティックに。

 今では本当に、今日は死ぬのにもってこいの日だと、
 一日一度は一瞬でも思うよう、自分に課しています。

 そしてその瞬間とは、どのような瞬間かというと、


 今この瞬間に、いまここに、意識が完全に集約されている時です。


 過去も未来もなく、執着も妄想もなく、全部が空っぽなのに、完全に満たされた心の状態、その瞬間。

(正確には、「あ、その瞬間を迎えてた」という自覚、認識ですね。
 その認識・思いの汲み上げ自体には思考を用いるので、
 厳密には「その瞬間」とは別物ではあるんですが、それはここでは置いておきます)


 それは、自ら命を絶つ事を望むのでは決してなく、
 しかし死を憂うことなく、むしろ待ち遠しくもあり、その上で生を全うする覚悟もあり、
 何より本来生も死も無く、同時に眩い命の総体という祝福そのものとして、存在するという感触。

 ああ、今まさに、生きるために必要な全ては、完全に与えられている。
 今まさに、完全に生かされている。
 だからこそ今、もしも死が訪れるならば、何の心残りも躊躇いも恐れも無い、と。
 そう明確に「わかる」瞬間。





 ちなみにその瞬間、
 タンスの中のエロゲーの箱やHDD内のエロ画像の処分についてとかもどうでもよくなっていますが何か(ぇぇぇー

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4色ツイストマーブル食パン

 これ焼けたの先々月のことなんですけどね、
 写真とか残ってたんでせっかくだからさくっとご紹介。

 名前はタイトルどおりだけど、
 どんなのが出来上がるのかは読み進めてのお楽しみ~。


 まず材料!

 毎度のごとく〔〕内はベーカーズパーセント。

・強力粉(ゴールデンヨット):300g〔100%〕
・てんさい糖(他の砂糖でもOK):30g〔10%〕
・塩:3g〔1%〕
・インスタントドライイースト(サフ赤):5g〔1.6%〕
・水:190g〔63%〕
・スキムミルク:15g〔5%〕
・とき卵:30g〔10%〕
・バター(雪印):15g〔5%〕

・ココア:約10g(配合生地重量の約7%)
・粉末緑茶飲料(またはよもぎ粉など緑色の色素):約7g(配合生地重量の約5%)
・紅こうじ:適量(色つき具合を見ながら)



 では材料の強力粉からとき卵までを混ぜてこねこね。
 しばらくこねて生地がまとまって滑らかになり始めたらバターも投入してこねこね。

 で、こねあがり直前くらいで、一旦生地を4分割します。

 分割生地のうち一つはそのままこねあげ。
 残り三つはそれぞれ、色の素となるココア・緑茶・紅を投入し、各々追加でこねて色を馴染ませます。

 終わったら4つとも別々に発酵してもらってパンチ。
 下の写真のようになります。

一次発酵&パンチ


 で、こやつらを成型するのですわ。
 4つとも薄くのして、任意の順番で重ねます。
 それをくるくるっとロール、細長い棒状に巻いて、

成型・のし

 更にその筒をスケッパーなどで縦に一刀両断っ(ぇー

 そうしてできた二本の長い生地を、互いにツイストさせる格好でねじってまとめて型にポン。

 この時点で少々不恰好に見えても全然問題ないです。
 とにかく型に収めることが一番大事。
 型に収まりさえすれば、発酵と焼きによって見栄えはどうとでもなりますw

成型・型入れ→二次発酵・卵塗

 それでも見てくれが……ってんなら、焼く前に照り卵を塗ってから、粉ふるいで小麦粉をパラパラッとまぶしてやりましょう。

 そんなこんなで覚悟を決めて160度のオーブンで30~35分。

 すると、

焼き上がり

 ほらね、一応格好ついたw


 で、で、中はこんな感じになるのさー!

カット


 おkおk。
 このランダム感がたまりませんわなぁ( ̄∀ ̄*)

 ちなみに味も、ココアと抹茶とが入り混じって、生地自体もリッチ気味で甘みがあるから中々面白いですぜ旦那。
 紅こうじを別の風味つき色素(たとえば苺とか?)にするともっとカオス味わいが拡がるかも~。

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犀の角のように

 さて、元々は一昨日アップしようと思って書いたこのエントリ。
 でも以下書いてあることは、とってもイタタです。
 宗教的に寛容でない方は、できれば見ないで頂けるとありがたいかな、お互いのために。

 そんなヒト、そもそもこんなトコに来ないでしょうけどw

 つーわけで続きを読む

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