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記事一覧

米粉食パン初体験

 こめっここめこっこめこめこー(何

 近所のカルディでグルテン配合米粉売ってたので衝動買い。 

米粉パッケージ


 せっかくだからこいつで米粉食パン初体験っと。

 

米粉パッケージ裏


 こんな具合に裏面にはレシピまで用意してくれてるんですが、さくっと無視して(ぇー

 今回使った材料は以下の通り。(〔〕内はベーカーズパーセント)
 ・米粉(グルテン入り):150g〔50%〕
 ・強力粉(ゴールデンヨット):150g〔50%〕
 ・てんさい糖:5g〔1.7%〕
 ・塩:4g〔1.3%〕
 ・バター(雪印):10g〔3.3%〕
 ・インスタントドライイースト(サフ赤):4g〔1.3%〕
 ・水:200g〔66%〕


 ご覧の通り、小麦粉と半々でブレンドしてます。
 いやほら、初めてだからさー?( ̄д ̄ )←さくっと無視した勢いはどうした

 ちなみに使用したのはこの焼き型

 一斤サイズではあるけれど結構横長で、通常の一斤分量(小麦粉換算で約250g)だと、発酵させてもいつもちょっと型に対してボリューム不足な感じになりがちなものだから、材料の分量を数割分増してます。


 てなわけでいつもどおりにこねたら、一次発酵してこんな感じ。

一次発酵後

 いつもの小麦オンリーの生地と違って、手触りは少し硬め。
 見た目も含めて滑らかさでは小麦生地に一歩譲る感じですが、なんというかずっしりと、中の詰まってるような重量感はありますねぇ。

 これを今回は5等分して、卵形に丸めて型に並べます。


成型


 で、焼く!

 分量外の溶き卵を表面に塗って、160℃のオーブンで30と数分。


焼き上がり


 惜しい! 真ん中だけ低かった!ww

 それに具合が掴めなくて少し過発酵になったのか、微妙に腰折れ気味。

 でもまあ、それはともかく実際食べてみるとこれがまあなかなかどうして。
 小麦半々だけど、米粉パン独特のもっちり感と目の詰まったクラム、そして歯ごたえは充分でてます!

 ちなみに町のパン屋で売られてる米粉パンも、米粉100%とか謳ってない限りは小麦粉も配合してるっぽいですからね。
 焼きたてってのもあるでしょうが、味としてはそういったものにも充分劣らない、と自画自賛(ぇー

 初っ端でこんだけのものができるとわ、ええ時代になったもんじゃのう。

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ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(10)

 ああすんませんいろいろあってネットを離れて内面をみつめたりコラボライブ見てきたりしてました(ぇー
 おかげさまでというか、迷ったり落胆したこともあるにはありましたがそれらもひっくるめて経験させていただいたお陰で内的にかなり開けた部分というか身についたとでも言うような事柄(?)があるんですがちょいとそれはまだ言葉にしきれませんっつーかできるかー!(ぇぇぇー

 ↑句読点くらいつけようね。


 てか、ひっさびさにコンビニ弁当食ったんですけどね。
 随分ご無沙汰だったから、なんとなくごちそう感覚でw
 だけどいざ食ってみるとですね、噛み締めてるとほーんの僅かに、下がピリッとするような違和感。
 いや腐ってるとかまずいとかじゃないんですよ。
 そんなんじゃなく、もちろん自分の血肉になってくれるものだからありがたく味わっていただいたし、むしろ食べ物を不味いと思うこと自体がほぼ100%ないからそこは美味しいと思いもするんですが、それとは別にして。
 普段玄米味噌汁漬物+αの一汁一二菜を主に続けてると、そういう合成添加物みたいのにも敏感になっちゃうんだろうか、ってふと思ったもので。もちろん真偽はともかく。

 ふとね、青いご飯&薬でやわらかくした肉を思い出した。

 何が言いたいかっつーと結局このリンク貼りたかっただけ(ぇー

 いや、一応飲食カテゴリなんでこんな話も……(何


 てなわけで前回の続き。



 なんですが、ここでちょっとあだるちーな裏話。


 実はこの頃の南北くん、しばしば遊郭通い。

 遊郭ってのはご存知の通り、要はお金を払ってそういう「行為」をいたす場所なわけでよね(気を悪くされたらごめんなさい)。
 しかも、秘伝薬のヒットでお金はあるもんだから、一度にまとめて二人とか三人とか。

 でも、そういう行為目的と言うわけじゃなく。
 体全体から「相」は見て取れるってことは、要は「普段隠されてる部分」にも相はあるんですよ。
 だけど、いくら三助だからって、(特に女性)客の「部分」までまじまじと覗き込むわけにはいかないわけで。

 つまりぶっちゃけ、その部分が持つ「相」の研究目的。
 遊郭の側にしても、羽振りはいいのに「行為」はないってことで、結構な上客だったとかなんとか。

 これをどう思うか、立派と取るかけしからんと取るかはたまた他の感想かは各自のもちろん自由なんですが、
 とにかく南北くんはガチガチの価値観や倫理には囚われず、ぶっちゃけ手段を選ばなかったんですね。

 「学問に聖域なし」

 この姿勢なくして日本一の観相家には成り得なかったのは、想像には難くないでしょう。



 で、そのスタンスは、ある痛ましい事件に出会った際の選択にも現れていて。



 ――事の発端は、松の湯に勤め始めてから三年ほど経ったある日のこと。

 当時南北くんが住まっていた町内に、煙草屋の善兵衛という男がいました。

 その日、町内を駆け巡った大ニュースは、この善兵衛が実はさる大名のご落胤で、その大名が急死し家中に世継ぎもおらず、藩の取り潰しを避けるため善兵衛に白羽の矢が立った、というもの。

 藩の使者から聞いたその話は、善兵衛にとっても寝耳に水。
 一度は武士になって大名駕籠にも乗ってみたい、とは思っていたものの、あまりの事に気分は雲の上、あっという間に上の空。


 ただし、大名の死はまだ内密の事。

 現状で公費を切ると幕府につっこまれるため、身なりを整えるための羽織袴に大小の刀、また仮にも大名たる者の旅に欠かせない駕籠や、駕篭かき・荷持ち・草履取りなどの人足の手配やその旅費も、一旦自腹を切らなければいけない。

 そんな使者の指南に、善兵衛は家財道具から煙草屋まで、あらゆる私財を一切合財売り払います。
 それでもまだ少し足りず、更には一人娘にまで「あとで必ず迎えに来るから」と身売りさせて、ようやく費用を工面。

 出立予定日までの間、善兵衛は奇遇にも、南北くんと同じ長屋の別室を仮住まいにします。
 一町民が大名に栄達、立身出世のシンデレラストーリー。
 周囲から善兵衛がちやほやされる中で一人、南北くんだけは不思議でなりませんでした。


(  ̄д ̄)「妙だな……善兵衛さんの顔に栄達の相なんて、これっぽっちも出てないぞ?」


 それどころか、南北くんの目にはっきりと映る顔の相は、失財と大辛苦、そして、


(; ̄д ̄)「……あれはどう見ても、終わりの大凶相だよなぁ」


 しかし、それを見て取ったからといって、何がどうなるわけでもありません。
 仮にその事を告げたとしても、浮かれ心地の善兵衛は、決して受け容れようとはしなかったでしょう。
 極道あがりで観相修行を続けてきた故に人心の機微に聡い南北くんには、それはわかりきっていました。


 慌しく日は流れ、ついに出立前日。

 共に発つ使者や人足たち、他にご近所や同じ長屋の人々も交えて、善兵衛は住まいの長屋で最後の酒宴を催します。

 宴の最中、酔っぱらった人足たちはひとり、またひとり、ふらふらと酔い覚ましに外へ出て行きました。

 が、随分時間が経ったというのに、誰も戻ってきません。
 痺れを切らし、使者が人足たちを呼び探しに出かけます。


 ……そして、ついに出立の刻限。

 長屋には、羽織袴に大小を挿した武士姿で、ぽつねんと座る善兵衛。

 供たる者は、誰一人戻ってきません。


 その時、南北くんは叫びました。


(  ̄Д ̄)「詐欺だ! みんな、奴らを探して捕まえるぞ!」


 ハッとしたご近所一同、宴の酔いも一気に覚めて全員で部屋を飛び出し、詐欺グループを探し回りました。
 ……が、時既に遅し。その足取りは全くつかめませんでした。

 そして、長屋に帰ってきた南北くん達が見たものは、がらんとした部屋の中で自ら首をくくり、既に冷たくなってしまった善兵衛の遺体でした。


 その死に顔を目の当たりに、南北くんはふと気づきます。


(; ̄д ̄)「凶相が……消えてる?」


 いっそ安らかな善兵衛の死に顔。
 最後まで張り付いていた大凶相が、まるで嘘のように。


 それは、人の死というより、「相」の死、でした。
 言わば、「相」が動きを止めること。

 万物流転、諸行無常。
 人が人として生き続けている限り、「相」は絶えず動き続けている。

 観相学とは、まさにその「動き」や「揺らぎ」を観察・分析することでもあるのだ、と南北くんは悟ります。

 いずれも静止し、一見同じようにも思える、寝顔と死に顔。
 しかしそこには、その動きや揺らぎの有無という決定的な差があるのだ、と。

 ならば、
 観相を窮める者として、その「差」というものを、調べ尽くしてみたい。
 南北くんは決心しました。


(  ̄д ̄)「よし……火葬場で働こう!」


 かくして、日本一の観相家・水野南北、その基盤となる修行時代の、最後のピースが揃おうとしていました。


 つづく。


 次回・ナンボククエスト第十一話、
「俺は師匠になる! 誕生・水野南北中央不敗!?」
 をお楽しみに。超級覇王電影嘘です。

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ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(9)

 前回の続き。


 髪結い床『サロン・ド・鬼』での仕事を通じて南北くんは、

 特に「顔」や「頭髪」から観る相と境遇の関連性、そのデータを大きく積み上げていきました。

 期間にして、三年。


 その間、南北くんのよく当たる観相の評判を聞きつけて来店し、
 親しい顔見知りになった財界人や公人、大物と類される人々さえもいました。

 しかしそんな中、割合としてはほんの僅かですが、
 南北くんから見て明らかな『悪相』であるにもかかわらず、
 類稀な財や地位を築き、更に幸せな生活を送っている人々もいたのです。

 世間的には充分な的中率を評価されていたにもかかわらず、
 観相を窮めることに意欲を燃やし続ける南北くんは、この『例外』に納得できません。


(; ̄д ̄)「うぅん……これは、顔や髪ばかりを観るだけでは足りないぞ」


 思い出したのは、かつて海常師匠に師事した際に聞かされた、この言葉。


(゚┏ω┓゚ )「観相とはものの姿を観ることじゃ。顔のみならず、脳天から爪先、体毛一本にいたるまで、はたまた立ち姿歩き姿座り姿、その他全ての動作も含めた、人間そのものの姿を観抜き通すことじゃ。ゆえに観相学とは、人間学とも言ってよい」


 要するに、顔は所詮、人間という肉体の一部分に過ぎない。
 「人間学」であるからには、体全体はもちろん、立ち歩き、所作、声、ありとあらゆる「人間を構成する要素」そのものを包括しなければ、いくら顔や頭を睨み続けてもこれ以上は埒があかない。


(  ̄д ̄)「そう、だよな。頭部のデータはもう充分に集まったと思う。だからそろそろ、次は体全体のデータを集める段階に移ってもいいかもしれないな」


 そんなわけで決意を固めた南北くん。
 鬼店長こと平四郎に、退職届を提出します。


(´ム` )「……さようで。寂しくなりやすが、よござんしょう」

(  ̄д ̄)「ごめんね勝手ばっか言って」

(´ム` )「……なんの。これまで本当に随分と助けていただきやした。それに、」


 そう言って、平四郎が向けた視線の先、
 サロン・ド・鬼の出入り口……いや、その更に通りを挟んで向こう側。


(´ム` )「……再就職先が真向かいの銭湯ってことなら、ウチへの客足には影響ありやせんでしょうし」


 南北くんが次に選んだのは、文字通り目と鼻の先。
 サロンド鬼の正面にある、『松の湯』


(´ム` )「……松の湯さんと提携キャンペーンでも組めば、これまで以上の集客だって見込めやす」

(  ̄д ̄)「商魂たくましいなおい」


 元々繁華街の一角であるこの近辺には、遊郭も多数ありました。
 そのため、名のある旦那方が「遊び」に臨んでまず松の湯で身を清め、
 サロン・ド・鬼で身なりを整えるというお約束のコースが定着していたのですがそれはさておき。

 既にご近所で名の知れていた南北くん、松の湯側もあっさり〝とらば~ゆ〟を受け容れてくれました。

 が、


(  ̄д ̄)「体全体を見るには、裸を見るのが一番。だからこその銭湯なんだけど……むぅ」


 この頃の銭湯で働く人々の間には、その担当仕事による階級がありました。

 まず新人は「木ひろい」、つまり燃料の焚き木集めとその運搬を任されます。
 それを充分こなせるようになったら次は「釜炊き」、要は火の番、ボイラー係。
 更に釜炊きでの働きを認められたら「湯番」、湯温や浴室全体に目を配り采配をとる、サッカーで言えば一種のMF(ミッドフィルダー)。
 それを長らく勤め上げると「三助」に抜擢されます。

 三助とは、湯番がMFならこちらはFW(フォワード)。
 お客さんの希望に応じて、背中を洗い流して回る役割。

 ちなみに番台に座る「番頭」は、大抵銭湯の主人やそれに準じる人物(女房など)なので、事実上「三助」が従業員の最高ランクなのです。

 観相修行には、直接客の体に触れるこの「三助」が最も、圧倒的に都合がいいのは言うまでもありません……が。


(; ̄д ̄)「この調子じゃ、三助になるのに何年かかるかわかんないぞ。なんとかして手を打たないと」


 働き始めてすぐに業界の実態を知った南北くん。
 持ち前の機転をきかせて、即行動に移ります。

 「三助」は、確かに従業員中で最高ランクの身分なのですが、最高なだけあって、これが中々の一仕事。
 先に紹介したとおり、遊郭通いの旦那や、その遊郭で働く女性たちも多く訪れるこの松の湯では、背中洗い希望のお客さんは思いの外多く、三助の出番は絶えない有様。
 来店客を待たせず、更に順番を間違えず、洗っては流し洗っては流し、気を使う肉体労働なのです。

 そのため、三助連中の中には、


(-公-;)(-公-;)「できればもっと楽な仕事がいいなぁ~。あーかったりぃ」


 なんて人もいるわけで。


(  ̄д ̄)「ちーっす、新入りの水野南北でーっす。三助の先輩方にはご挨拶の印にこれを」

Σ(゚o゚;)(゚o゚;)「おおっ! 特上寿司大盛り! しかも大トロ! 最高級大間のマグロ!」

(  ̄д ̄)「あ、こっちは幻の銘酒詰め合わせ、あとゴディバのトリュフにロイズの生チョコ」

(゚o゚;)(゚o゚;)「こんなたくさん!? 新人くんホントにいいの!?」

(  ̄д ̄)「もちろんっすよ。全部遠慮なくめしあがってくださいな」

(^o^*)(^o^*)「いやっほーう! 新人くんサイコー! 三助仕事の疲れもふっとぶぜー」

(  ̄д ̄)「ほうほう、三助ってのはそんなにしんどいっすか」

(-公-;)(-公-;)「そりゃもう、任されたからにはやらなきゃなんないけど、できれば代わってもらいたいくらいでね……」

(  ̄д ̄)「だったらひとつ、ものは相談なんですが……」



 ――新人戦闘銭湯員・水野南北。

 こうしてショッカー松の湯入社早々、幹部三助を任されることになりました。


 サロン・ド・鬼の時と同じく、
「給料要らず、月に数度の休みをもらえればそれでOK」
 という条件を初めに提示していたのも、スムーズに話が進んだ理由のひとつ。

 見習い助手ではあるけれど、全て計画通り( ̄ー ̄ )ニヤリ



 ハードな三助仕事ですが、南北くんにとっては宝の山。
 獲物取り放題の猟場に入ったハンターのように目を輝かせて、文字通り八面六臂の大活躍。

 さらには、客が南北くんに投げてくれるチップも、「見習いだから」とそのまま兄貴分の三助にあげてしまうものだから、あっというまに従業員間でも大変可愛がられる存在になっていきました。

 そうして、やっぱりお客さんに何気なく話しかけたりして、その全身の相と境遇に関するデータをどんどん積み上げていきます。


(^∀^*)「おーう兄ちゃん、背中流すのうまいやんか」

(  ̄д ̄)「あはは、ありがとうございます。ところでお客さん、観たところ何か家庭の悩みでもあるんじゃないですか?」

(^A^*)「そーなんよ聞いてくれ。実はさ……」


 南北くんにとって、目の前のお客さん一人一人、全員がもれなく、観相を窮めるための大切な師であり、貴重な人間標本。
 自然、感謝と畏敬の念から、洗い方もコリをほぐすような心のこもったものになっていきます。

 切れ味鋭い観相と丁寧なサービス。
 にわか三助の南北くんは、ここでも評判上々。松の湯の売り上げアップに大貢献。

 観相師としてだけではない、水野南北という人間そのものの人気も、確実に高まっていました。

 そして、当の南北くんは。


(  ̄д ̄)「やっぱり、師匠の言うとおり人相とは顔だけじゃない」


 という確信を、本当に確かなものにしていきました。
 この三助時代の膨大な観察データが、その後の観相師・水野南北の業績に多大な影響を与えたのは想像に難くありません。



 ……そんなこんなで時は過ぎ。

 またも三年後。

 三助勤めで着実に観相修行を進める南北くんの身近で起きた、あるひとつの痛ましい事件が、彼にまた新たな決意を抱かせることになりました。

 その事件とは……続きの講釈で。



 次回・ナンボククエスト第十話、
「わたしのおはかのまえでなかないでくださいそこにゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺぺぺぺぺ」
 をお楽しみに。嘘です。


(゚┏ω┓゚ )「ゆ

(  ̄Д ̄)「ゆけ勇者もょもと!とかまさかほざく気じゃないっすよね師匠」

(゚┏ω┓゚ )「……腕を上げたのう」

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玄米のびっくり炊き

 昨日ようやく前回の献血不可期間が経過したから職場帰りに献血センター寄ったら人大杉ベッド満杯で断られたwwさすがにこれは初体験だわwww

 てなわけで今日は休暇だったんで朝一で突撃して無事完了。
 貴重な体験をありがとうw

 採血中、言い知れぬ喜びにちょっと思うところがあったんですがそれは別の機会に譲るとして(機会があれば、ですけど)。


 にしても昨日今日の阿部さんのエントリが究極ど真ん中すぎて以下略。



 さてさて、たわしは普段玄米食なわけですが、
 実は玄米炊くのに炊飯器使ってません。

 土鍋で直火です、ホームセンターで買った炊飯用の寸胴みたいなやつで。
 圧力を高くするための2枚蓋タイプで、そう多くない量のカレーとか煮込むのにも丁度いい感じなんですがそれはさておき。


 健康にいいとか聞くから玄米炊いてみたいけど、炊飯器だと玄米コースがあっても半日近く、なければ一日以上はつけ置きしないとしっかり炊けないし、かといって圧力鍋だとべちゃっとした食感になっちゃうからどうも……って理由で二の足踏んでる人の話はたまに耳にします。


 そこで今日は、いつもたわしがやってる玄米の炊き方をご紹介。


 この炊き方、なんとつけ置き不要です。


 なのに、べちゃっとならず、しかも白米並みにしっかり中まで炊き上がります。


 もちろん玄米なので白米と比べればどうしても歯ごたえ硬いですが、それでも普通の方法で炊いた玄米の食感を知っている人は、「漬け置きしてないのに?」とびっくりするくらいふっくら柔らかく炊けちゃいます。


 東北地方に少なくとも江戸時代から伝わるというこの炊き方。
 そのまま炊いても硬いと敬遠されがちな玄米が、
 長時間漬け置きしなくても、比較的短時間でふっくら炊けちゃう。


 その名も、「びっくり炊き」。

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とてもシンプルな煩悩の消し方。

 例えば、
 仏教でいう「預流果」に至った人からは、「有身見」という「煩悩」が消え去っています。

「有身見」とは、
「自分という、全体から分離し独立した存在が、存在する」
 という固定観念です。

「世界は私に冷たい」「世間は厳しい」「みんな社会のせいだ」
 これら全て、有身見という煩悩に基づく分離感から生まれる『誤認識』です。
 もう少し言葉を柔らかくしても、せいぜい『極度に偏った認識』です。 

 つまり、仏教で言われる「煩悩」のざっくばらんな正体とは、

 「固定観念」や「思い癖」です。

 よって、しばしばいわゆる悟りの境地に至るための道として扱われる、
 「煩悩を無くす」という実践は、
 イコール固定観念や思い癖を手放すこと、ということにもなります。




 今、イメージしてみましょう。
 

 家族に呼ばれて、廊下を普通に歩いているとします。

 「自分の力で自分の足を使って歩いている」

 その時大抵の場合、言葉にしてみれば、おそらく自動的にこう認識していると思います。

 このような自動的な認識、すなわち固定観念こそが、煩悩という名の思い癖です。



 その「家族に呼ばれて廊下を普通に歩く」という行為に必要なものを、可能な限り挙げてみて下さい。


 まず、廊下。
 板、板となってくれた木、木を育んだ山、土、水、光、空気などが必要です。
 廊下だけでなく、柱、壁、土台、屋根、建物、釘、塗料、断熱材、配管、配線、
 それらを組んでくれた大工さん、製材してくれた工員さん、板を運んだドライバーさん、
 また彼らの使う工具、機械、車、またそれらを形作った人々や材料、道路、燃料……

 足がなければ歩けません。
 それ以前に人体全体、血液、内臓、神経、少なからず歩ける形で稼動してくれていなければ歩けません。
 その人体全てを今の形に維持させてくれているのは、まず水と食料。
 水は、雲であったり地下であったり、様々な媒介を経てやってきてくれました。
 食料も、あらゆる天地の恵み、農家・流通の人々の力があって、やっと手元に届きました。
 水を飲むためのコップも、食料を食べるための食器や箸も大抵はあるはずです。
 衣服や布団や家や、他にもいっぱい挙げられます。

 家族がいなければ、生きていてくれなければ、呼ばれることはできません。
 空気がなければ、呼び声も届きません。
 家族を生かしてくれる食料や水やその他諸々は、上で挙げたものと共通します。

 これも忘れてはなりません。
 陸地、重力、そして地球。
 このどれかが欠けても、呼ばれも歩きもできません。

 そしてある意味最も肝要なのが、
「それらの内一つとして、自分の力でゼロから作り出せるものはない」
 という事実。

 こんな風に、挙げると本当に、きりがありません。



「自分の力で、自分の足を使って、歩いている」

 この、「自分がいて、自分の力でやっている」という自動認識、

 すなわち思い癖・固定観念は、

 先ほど挙げた無数の「支えてくれるあらゆる要素」を、

 それらへと繋がる認識を全部、まとめて豪快に覆い隠してしまいます。



 感謝が、思い癖を手放すことに繋がるとされる理由は、ここです。



 おかげさま。

 すべては皆の、おかげさま。



 そうやって感謝の対象を無数に挙げて、無限に拡げていくと、

 ある点で、大小無数の「ループ」「サイクル」ができあがるのに気付くはずです。



 なーんだ、全部、繋がったひとつのものだったんだ、と。



 あるがままに見るというのは、

 そんな「素の事実」を心の底から認め、受け容れる、ということです。

 統合、ワンネス、素粒子など、言葉を変えてもその根底に流れる意味は皆同じです。


 そうして認め、深いレベルで受け容れた時、

 無意識に握り締め続けていた思い癖が、するっと手放されていきます。

 すなわち固定観念が、外れます。


 もちろん、握り締めることがずっと習慣になっていたので、

 最初の内はまたすぐに握ってしまうでしょう。

 そしたらまた、感謝して、するっと放れていくのに任せればいいんです。


 「手放そう」と力を入れるのではなく、

 「あれ、手放しちゃった?」ってくらいに勝手に力が抜けて離れてくれるまで、

 感謝に没頭するのがコツかな?


 繰り返せば、慣れてきます。

 そして、そっちの方がずっと気持ちよく、心身にもとっても良い影響があると、気付けます。


 半信半疑な人は、それが本当かどうか他人に尋ねる前に、やりましょう。

 もちろんやるやらないは自由意志。強制するつもりもありませんしできませんが、

 やった人にしか、絶対にわからないことですから。



 ちょっと最近頭でっかちなエントリが増え出してきたのでその自戒と、
 せっかく「リスタート」したのだからということで、
 とっても原始的で初歩的で、核心的な部分をおさらい。

 ぶっちゃけ、悟りとか覚醒とかワンネスとか気にする必要は全然どこにも一切ないのよ。
 感謝を深め続けていけば、勝手にそこに辿り着いてるから。

 たわしの場合も、最初のきっかけの一つは、
 小林正観さんの「年齢×●万回のありがとうで奇跡が起きる(ただし途中で愚痴文句不平不満悪口泣き言を一切言わない)」だったしw
 実践すれば、奇跡はさておき、感謝習慣が絶対身につくから。


 かるくなろ。

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