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記事一覧

今だからこそ敢えて。

 前エントリで敦さんから頂いたコメントを読んで、
 へーそんなチェーンメールあったんだー、って思ってたら、どうやら職場の同僚の携帯にも届いたそうですw

 でも全くもって仰るとおりで、
 確かに紛れもなくチェーンメールなんですが、節約倹約(ケチとは違う)自体に何らの不都合も憚りもないんですよね。
 それに、確かにそのまま現地へ送電するには障害があっても、
 電力を生むために消費するエネルギーを僅かでも減らすことにつなげられる可能性はあるわけですし。
 そのエネルギーが備蓄となって、後々活きてくるって事態も絶対に起きないとは断言できませんから。

 とにかく、犠牲こそあれ、一人一人が自分の意識を問う、絶好の機会でもあるのは確かだと思います。
 それを活かすも殺すも、まさしく一人一人の心一つ、でしょうね。


 まあ、チェーンメールを最初に出した人も、単純に善意のつもりだったのかもしれないですね。
 もちろん本当にそうかどうかは知らないですけど。
 しかし今時、チェーンメール程度でパンクするトラフィックやサーバーもそうそう無いでしょうし、
 まあ、「気付き」のきっかけが一つ増えたくらいに考えれば穏やかに眺めていられるんじゃないかなと。


 いや、きっと、「気付く」人達は確実に増えると思います。
 シフォンさんTerraさんも語られているとおり、証明しきれないとはいえ、祈りには力があります。
  


 ちなみに、その「気付き」とは何か。
 タイミングよく、黒斎さんがそのとても大きな一側面を表現してくれていましたので、そっちで。ありがとうございます。



 さて。
 今後は、今回の地震についてエントリ上では触れないことにします。
 絶対とは言えないですが、極力。


 その代わり、というわけではないですが、
 啓発や啓蒙は他に様々な切り口で語って頂いている皆様方に任せて、たわしはひとつ、たわしなりの実践をしていきます。

 どんな実践かって。

 それは、有り体に言ってしまえば、引き寄せの法則。

 具体的には、
「災害や苦難に意識をフォーカスし続ければ、災害や苦難を引き寄せる。
 平常や安穏に意識をフォーカスし続ければ、平常や安穏を引き寄せる」

 古今東西のあらゆるブッダは、例外なくそれを知っていました。

 たわしが普段からテレビやラジオや新聞を見聞きしないのはそれに基づいた選択なんですが、
 いつも以上に、それを見習ってみようと思います。

 つまり、こんな時だからこそ、
 見ている人が少しでも意識のフォーカスを平常へと向けていられるよう、平常なエントリを上げることにします。

 ほんの僅かでも早く、ほんの僅かでも多くの人々に、
 ほんの僅かでもホッとするという選択を持てる、
 そんな平常が訪れる事を願って。

 

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タイトル思いつかないや

 その時はですね、サイクリングしてたんですよ。
 冬の間エアロバイクばっかりで全然遠乗りしてなかったんで、久々に。

 出かける前にですね、妙に「覚悟」感があったんですよ。
 日々「今日は死ぬのにもってこいの日」だと思えるようにすることを課題にしてるんですが、
 そのノリとはまた違う、なんか胸が締め付けられるような感触を抱えたまま出発したのが午前中。

 実はその前の3~4日間ほど、更新どころかほとんどweb巡回もできてなくて。
 自分の「他罰性攻撃的思念」とでもいうべきデカイ波と向き合わされてて、その余波でちょっと体調崩してまして。
 まあ学びってやつだったんですが、それをどうにか乗り越えて得るもの得させていただいて、
 気分も晴れてきたしせっかくだから出かけてみようか~ってのが、サイクリングの動機。
 あ。あと新訳禁書目録買いにいくのも。<むしろそっちがメイン(ぇー 

 だけどね、久々に風を感じてるってのに、なんか集中できないの。あんまり爽快な気分にならない。
 以前は乗るたびに、風の感触がいまここに導いてくれてたのが、今回に限って妙に気がそぞろ。
 まだ前日の精神的荒れ模様が鎮まりきってなかったのかな?

 ……って思ってたら、地震だったんですねぇ。

 なんだか、自覚してる以上にそういうのを感じるセンサーってのが備わってるみたいね……。
 そーいや中学時代にうちの祖母が亡くなったときも、
 何の連絡も受けてないのに、下校途中になんとなく直感したっけ。

 うみさんの推察の通りこっちは九州北部なので直接の影響は皆無です。
 敦さんも併せて、わざわざお気遣いいただいて本当にありがとうございます。m(_ _)m


 ともかく、この場を借りて。
 犠牲者の方々への冥福、そして被災者の皆様の一刻も早い再興をお祈りしています。




 以下超戯言。(絹旗風に

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ストーリー・オブ・ウォーターフィールドサウスノース(7)

 前回の続き。


 安永六(西暦一七七七)年。

 観相学を究めるべく、武者修行の旅に出た南北くん、この時二十一歳。

 故郷の大阪から東へと歩きながら、さすらいの人相見として辻占いの露店を構えて転々とします。が。


|易|(  ̄д ̄)|占|「……」        ヒソヒソ( -д-)(-д- )ヒソヒソ


|易|(  ̄д ̄)|占|「……あのー」   ヒッ!?Σ(゚д゚ )(゚д゚ )


|易|(; ̄д ̄)|占|「……」       ダーッシュ! -=( >д<)( >д<)



 極道くずれな南北くんの人相に、道行く人々は怖がって誰も人相を見てもらおうとはしません。


(; ̄д ̄)「な、なんつー皮肉だよ……人々の顔を観るために旅に出たってのに、自分の顔の悪さのせいで誰も近寄ってこないとかって……」


 かといって、通行人をひっ捕まえて無理矢理人相を見せやがれと凄むわけにもいきません。

 そんな旅を続けていくうちに、懐具合も厳しくなってきます。

 とはいえそこは人生の裏街道でたくましく生きてきた彼。
 錠前の技術を生かした職人仕事や、師匠・海常に観相学の知識と併せて教わった秘伝薬の調合と販売、更にチンピラ時代に培った歯切れのいい弁舌も相まって、その辺はどうにか食い繋ぎました。


(  ̄д ̄)「芸は身を助けるってのは本当だな。今更ながら感謝だよ」


 人生すべてに無駄はない。

 そう実感し、感謝しつつ旅を続ける南北君。

 すると、天は恵みを惜しまぬもの。
 旅の途中でお世話になったある和尚から、古ぼけた被り笠を譲り受けました。

 この笠、古いとはいえ結構大きく立派な代物で、被ると南北くんの顔もすっぽり隠れるほど。

 使える。
 そう判断した南北くんは、早速その笠と着古しの僧衣に身を包み、アレな人相を隠しつつもそれっぽい雰囲気を醸し出すことに見事成功。


(  ̄д ̄)_△「ねんがんの かぶりがさをてにいれたぞ!」


 と、アイスソードごっこをしても、殺してでもうばいとろうとする輩が現れたりすることはもうありません。
 ここぞとばかりに辻観相に注力します。

 その甲斐あって、徐々に彼の観相を求める人が増えていきました。


 大阪から江戸を経由して仙台、盛岡、船で一旦江戸へ戻り、東海道を伝って京へと繋がる観相行脚。

 途中、いくつもの変名や変装を使いこなして、いつしかついたあだ名が「鵺相者(ぬえそうじゃ)」。


 そうして、再び故郷・大阪の土を踏んだのは、旅に出てから六年後の天明二年(西暦一七八二年)のこと。


(゚┏ω┓゚ )「勇者が鵺になって帰ってくるとはのう」

(; ̄Д ̄)「まだそのネタ引きずってたんすか!?」


 とはいえ、南北くん自身には帰郷という感慨はありませんでした。
 むしろこの大阪も、観相修行における一つの中継地にすぎない、


 ……はずでした。




(~А~ )「あのー、もしや鍵屋の熊太の旦那じゃありゃしませんかね?」

(  ̄д ̄)「ん、あんたは……ああ! 久しぶりだなぁ!」


 滞在中のある日、街を歩いていた南北くんに声をかけてきたのは、かつてチンピラ時代に徒党を組んでいた古い仲間の一人でした。


(  ̄д ̄)「他の奴らはどうしてるんだ? 元気か?」

(~А~ )「それが……みんな死んじまいやがりまして……」

Σ(; ̄д ̄)「はぁ!? おい、何がどうしてそうなった!?」

(~А~ )「あ、いや、みんなってのは大げさなんですがね……実は、熊太の旦那が旅に出た直後にお上の一斉検挙キャンペーンがあったんですよ。それであっしら、ドブ川の泥をさらうみたいに根こそぎ捕まっちまいやして」

(; ̄д ̄)「それでお前泥鰌みたいな目してんのか」


 男の話によると、捕まった極道仲間はことごとく牢屋にぶち込まれ、その半分はそのまま病やリンチなどで獄死してしまったとのこと。
 牢屋暮らしの過酷さは南北くんも身をもって知っています。しかも一斉検挙でまとめて牢屋に詰め込まれたとなると、衛生面だけで見てもひどい有様になるのは容易に想像できました。
 この男は比較的罪状も軽く、早々に住町からの所払い(追放処分)を言い渡されて出所できたものの、いまだに収監中の面々も多数いるといいます。


(  ̄д ̄)「そうか……でもお前はこうして生きて出てこれたんだな。運が良かったなぁ」

(~А~ )「運がいい? 冗談はおよしなすって。むしろ運がいいのは熊太の旦那じゃありやせんか」

(  ̄д ̄)「は? 俺が?」

(~А~ )「そうじゃありやせんか。タイミングよく旅に出て行方くらまして捕り手から逃れた上に、今もみじめなあっしらと違って、そうしてしゃんと生きてるんでやすから……」

(; ̄д ̄)「……」


 複雑な心境でした。

 運が良いどころか、まかり間違えば今頃、かつて鉄眼寺で供養した無縁仏と同類になっていただろうことは、南北くん自身充分に自覚しています。

 もしもあの日、偶然水野海常に遭遇して、易断を受けていなかったら。
 もしも、転がり込んだ鉄眼寺の老僧に、試験を出されていなかったら。
 もしも、再び海常に出会って観相を志し、師事を求めていなかったら。

 その精妙に連なる糸のような、自身の「運」の流れ。

 そしてそれは南北くんだけではありません。
 旅の間に観てきた無数の人々の顔――すなわち「相」同様、運命も一人一人、一つとして、全く同じものはない。
 そんな、心からの実感。

 男と別れた南北くんは、物思いにふけりながら、いつのまにか銭湯に足を運んでいました。


(  ̄д ̄)「今更かもしれないけど……やっぱ、「相」と「運」の間には、何かある」


 その関係性をとことん突き詰めたい。
 体を洗いながら、観相への学究意欲を沸き立たせます。


 商人の街、大阪。
 人も多いが、何よりその人々の顔が、喜怒哀楽が、言うなれば「活き活きと、生々しい」。

 ここで生まれ育ったからこそ、そして長い旅を経てきたからこそ、そんな他の土地との違いが南北くんには感じられます。

 今、この地でその気付きを得たのは、決して偶然なんかではない。

 この地、この場所こそが、自分の求める観相学を究めるのに絶好の舞台なのだ、と。


 ――これは、天恵だ。


 ならば今こそ、これまでのやり方を更に押し進めていこう。
 これまでよりも多くの人々の「相」を観察していこう。

 でもそれには、従来どおりの大道易者だけでは足りない。
 もっと大勢の人々の「相」を間近で観察できる職や場所はないものか……。


 自然と、そこまでの決意と考えが胸に満ちた、その時でした。


(  ̄д ̄)「……ん?」

                    A∽∽∽∽A
                    | \vv/ |
                    〔  ▽ △ ▽ 〕
Σ(; ̄Д ̄)「お、鬼ぃ!?」  |<V ̄V>|



 湯船に浸かる南北くんの目の前に、突然、人の背中ほどもある「鬼の顔」が現れ出たのは。




 つづく。

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もってけ木綿のハンカチーフ

 よくよく考えてみると、

「体に気をつけてね」

 ってのも奇妙な言葉だねぇ。


 取りようによっては、

「あなたの体があなたに危害を加える恐れがあるから気をつけてね」

 なんて風にも思えるたわしはあまのじゃく。



 まあそれは冗談として。

「体に気をつけてね」

 とはしょっちゅう聞いても、

「心に気をつけてね」

 とは滅多に聞かないんだよね。



 大抵の人、大抵の場合、

 気をつけるのは、目に見えるものだけ。



 奇妙だよね。

 「気をつける」の「気」自体目に見えないのに、

 目に見えないものには気をつけない。


 普段気をつけていないものを使って、

 別のものに気をつけさせようとしている。


 なんとなくあべこべ。



 目に見えないものに関心を払わないまま、

 いくら目に見えるものばかり大事にしようったって、

 アンバランスもいいとこなんじゃないかな。

 ま、それはそれで立派な経験だからいいんだけどね。



 なんてことをふと考えたのは、

 母が電話で親戚の子に「体に気をつけてね」って言ってたから。

 まあ、その思いやりはいわずもがな、母の母たるなんとやら。

 ありがとうございます。

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よっぱらいつつコレ書いとります。

 昨日のアノ記事の直後、ありがとう仙人さんのブログこのエントリが上がってたのを見て、
 なんていうか胸の内にあったことを明快痛快に言葉に変換してくれてたのに驚きと感動っ。

 ありがとう仙人さんは小林正観さんや中村天風師にも繋がってて、一方的にですがとても私淑してる方のお一人です。
 うん、ありがとうございますです。



 そんなこんなで今日の本題。


 タイトルそのまんまで、今現在進行形でアルコールっとります(ぇー


 ってかですね。

 飲み会とかは別として、
 たまに、たまーーーに、自主的に、自分ひとりで、集中的に酒を飲むことがあるんですよ。

 まるで導かれるようにね、無性にね、そういう衝動が湧いてくる。

 今日もそうで、職場帰りに祖父祖母の墓参りしたついでになぜか1.5lのペットボトルワインを迷いながらも買って、かぱっと。
 すでに半分ほど胃袋へダイブ済み(ぇー



 いや、それほどの量の飲酒は決して体にいいとは言えないですよ。

 そこを承知しつつ、止めたい自分もいつつ、だけど、


川´ー`)「よい。許す」


 そんな幻聴が聞こえるんですよwww


川´ー`)「なにが幻聴じゃ。悪い悪いと思いつつ呑む方が余程体に毒じゃ。毎日とか頻繁とかならともかく、稀のことじゃからの。おぬしが許さんでもわしが許す」


 ……ってな具合でw



 そうして飲んでると、酔いの中で、自分の現在の――言うなれば「段階」が赤裸々になってくるんです。


 いつからだったかな。
 一人きりでひどく酒に酔うと、ありがとうという気持ちと言葉、そして嬉し涙ばかりが湧いて出るようになったのは。


 昨日のエントリ書いて、それから他にも関連するいろいろなことを意識に引っ張り出してみて、
 有言無言の人々の思いの糸に感を得て、その精妙な連なりと絡まりで胸の内に何かを織り綴られて。


 縁。

 夢。

 愛。

 今。


 様々なものごとがそよ風のように、優しくも疾く訪れては流れ、また涙腺を刺激する。


 そして、それら全てをまた、客観的に見つめている自分がいることも、認識している。


 酔いてなお、それを認識できる。


 それを認識できている意識を、更に認識している意識がいる。


 それはつまり、


 ああ、何だかんだ言っても、「目覚め」ているんだな、と。


 そんな確証。



 そうなんですよ。

 黒斎さんも以前書いてましたが、
 アルコールってのは、脳を強制的に興奮状態にもってくんです。
 どんなにリラックスしてるように感じても、それは錯覚。
 到底、酔った状態ではいわゆる「ワンネス」の感覚に入れなんてしません。

 だけど、それでも、わかるんです。不思議なことに。

《「たとえ自分がどんな状態でも、それを感じられなくても、『全ては一つであり、今まさに自分も全てと一つである』ということを知っている」
 ということを『知っている』》

 ……ってことを。

 入れ子のように。




 禅の世界では、酒の事を「般若湯」とも呼ぶそうで。

 般若とは、悟りの智慧のこと。

 まあ洒落のきいた呼び名ではありますが、こんな日はつくづく、その絶妙なネーミングに感服したりもします。

 のんべぇの開き直りかもしれんけどww




 そうしてふと浮かんだ言霊を。



 迷うことすら楽しむ者に、迷いはない。

 迷うことすら楽しむ時、迷いは味方となる。



 ありがとうございます。





 つーかこりゃ、明日は目が覚めたら頭痛いか重いかだろうなぁ。
 でもそれすらも楽しみなたわしがいる。マゾめ(ぇー



 おまけ:瞑想は遍在する

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